日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年9月13日 御報恩御講拝読御書

乙御前御消息

乙御前御消息 (平成新編御書八九六頁)
建治元年八月四日  五四歳

乙御前御消息 (御書八九六頁)

女人は夫を魂とす。夫なければ女人魂なし。此の世に夫ある女人すら、世の中渡りがたふみえて候に、魂もなくして世を渡らせ給ふが、魂ある女人にもすぐれて心中かひがひしくおはする上、神にも心を入れ、仏をもあがめさせ給へば、人に勝れておはする女人なり。鎌倉に候ひし時は念仏者等はさてをき候ひぬ。法華経を信ずる人々は、志あるもなきも知られ候はざりしかども、御勘気をかほりて佐渡の島まで流されしかば、問ひ訪ふ人もなかりしに、女人の御身としてかたがた御志ありし上、我と来たり給ひし事うつゝならざる不思議なり。其の上いまのまうで又申すばかりなし。定んで神もまぼらせ給ひ、十羅刹も御あはれみましますらん。


 当抄の宛名書きには「乙御前へ」とあります。このことから当抄は、『乙御前御消息(おとごぜんごしょうそく)』と呼ばれています。しかし、内容から乙御前の母である日妙聖人に与えられた御書であることがわかります。同じように、建治元年(一二七五年)八月四日に著されたことが明らかです。この時、日蓮大聖人様は御歳五十四。身延山中で、二度目の夏(秋)を過ごされておりました。

 日妙聖人については、五月の御報恩御講で『日妙聖人御書』を拝読し、日蓮大聖人様根本、純真な信仰、行動力等から私たちの信心を励ましてくださる先輩であることを共に学びました。

 復習いたしますと、
@日妙聖人は鎌倉に在住していた女性信徒。
A乙御前という幼い子供がいたこと。
Bその子を背にして遙々と佐渡の大聖人様のもとを訪れたこと。
C夫と離別していたこと。
D鎌倉に残された大聖人様のお弟子の面倒を見ていたこと。
等でした。さらに、
E佐渡ばかりか、身延にまで足を運ばれてることから、
※日妙聖人は私たちに、日蓮大聖人様がどこにおわしましても、いついかなる時であっても、自己の心を中心とした信仰ではなく、日蓮大聖人様を根本にした信仰が大切であることを実践を通して教えてくれます
ということを学びました。

○当抄が著された建治元年とは

 文永十一年(一二七四年)三月二十六日に佐渡から鎌倉にお帰りになり、翌四月八日に平頼綱と対面されました。その時に蒙古来襲の時期についてお尋ねがあり、大聖人様は、
「今年は一定なり」 (種々御振舞御書 御書一〇六七頁)
と、今年中に来襲がある、と答えられました。

 この仰せの如く、その年の十月に、蒙古の襲来があり、さらに翌建治元年四月には蒙古からの使者が鎌倉に到着し、再びの来襲が懸念されるような世上に、人々の不安はより高まり一層騒然(そうぜん)とした状況になりました。このような中を日妙聖人は鎌倉から身延の日蓮大聖人様のもとに足を運ばれ、不穏な世上を乗り切る信心、蒙古が来襲したときの心構えなどについて御指導を仰いだのであります。日妙聖人の常に日蓮大聖人様と共に、という強い信仰心に対するご返事が当抄です。

○当抄の大意

 はじめに、中国への仏教伝来を述べられ、仏法と儒教との教えの浅深を明らかにされます。また仏教であっても浅い教え深い教え、勝れた教え劣る教えがあることを示されております。さらにその中でも法華経が最も勝れた教えであり、すべての人々を救うを教えであることを述べられております。

 次に、教えを説く人師(にんし)にも浅深・勝劣があることを示され、真言宗の人師を破折されると共に、邪法の現証を挙げて法華経の行者(日蓮大聖人様)がいかに勝れているかを明らかにされております。

 そして本日拝読のところになります。ここでは、夫と離別しながらも信仰を貫く日妙聖人を讃歎し、その信心には必ず諸天の加護があると励まされております。

 さらに、
「いかなる男をせさせ給ふとも、法華経のかたきならば随ひ給ふべからず。いよいよ強盛の御志あるべし」 (八九七頁)
と仰せになります。どのような人を夫としても良いが、法華経を誹謗する人であれば随ってはなりません。御本尊の教えを根本としなさい、と教えて下さいます。また、日本国中の人々が法華経を誹謗してその結果、我が身と国を滅ぼそうとしている時に、そのことを指摘して改めさせることが真実の法華経の行者である、と仰せです。一人を救う功徳でさえ言い尽くすことができないのであるから世界中の人々を救う功徳は計り知れない、と折伏の功徳の大きさを御教示です。

 最後に、
「いかなる事も出来候はゞ是へ御わたりあるべし、見奉らん。山中にて共にうえ死にし候はん」 (御書 八九九頁)
と仰せ下さるのです。蒙古の来襲で国中が戦場となったならばここ来なさい。食料も充分ありませんから飢え死にすることになるでしょう。それでも日蓮のいるところに来なさい、との暖かいお言葉です。御本仏のおわしますところですから、これ以上の所はありません。「我此土安穏」のお経文の如き地ですから、そこに住するならば心配することはないのです。実に有り難いお言葉です。そして、
「又乙御前こそおとなしくなりて候らめ。いかにさかしく候らん。又々申すべし」 (同頁)
と述べられて当抄を結ばれております。

○本日拝読の御文を現代語にして拝します。

 女人は夫を頼りにします。夫がいなければ女人は頼る人がおりません。夫のある女人でさえ渡りづらい世の中であるにも拘わらず、夫のいない貴女が、夫のいる女人よりも貴く心中が勝れて、諸天善神の御加護を信じ、御本尊様をお守りされるのは、夫のいる女人よりも勝れている女人です。

 日蓮が鎌倉にいたときには、念仏や真言の信仰する者はいざ知らず、法華経を信仰する人々で、誰の信仰が強盛であるか、そうでないかを量りかねておりました。ところが、佐渡の島に流罪になったときに、強盛かそうでないかが分かりました。佐渡に尋ねて来る人もいない中、女人の身でありながら様々な志を顕されたばかりか、自ら佐渡の島まで来られたことは現実のこととは思えないほど不思議なことでした。さらに今度は身延まで足を運ばれるご信心に言葉もありません。必ず諸天善神も守って下さるでしょう。法華経の行者を守護することを誓っている十人の羅刹女も讃歎されていることでしょう。


 この御文から、鎌倉時代の女性がおかれていた立場を推し量ることができます。今日以上に女性が自立するのは至難の業であったといえます。しかし、日妙聖人はそのような社会の中で立派に自立をし、子供の養育にも怠りはなかったのです。いうまでもありませんが、日妙聖人の心の支えは日蓮大聖人様の御教えであり御本尊様への純粋な信仰でした。御本尊様への強い確信と祈りは、佐渡や身延に足を運び、さらに大聖人様の弟子である僧侶を外護する行動に表れております。

 まさに、女性信徒の鏡ともいえる姿です。ところが、このように大確信の日妙聖人であっても、蒙古の再びの来襲に一瞬の不安があり、大聖人様に「今夫がいたなら少しは心強いかもしれません」と申し上げたのかもしれません。それに対する御指南として、次の御指南ではないかと拝察するのです。
「いかなる男をせさせ給ふとも、法華経のかたきならば随ひ給ふべからず。いよいよ強盛の御志あるべし」 (八九七頁)
 意は、謗法の夫に随ったのでは今生では良いかも知れませんが来世は危うくなります。それよりも強盛な志をもって法華経の教えに随って生きて行くべきです、というもので、女性の信仰の心構えを示されたものであります。誠に厳しい御指南であり、来世を信じることのできる方のみが信受できる御指南であるといえます。それだけ末法に正法を持ち続けることは難しいことなのである、と教えられたお言葉でもあります。

 このように日蓮大聖人様の教えに随った日妙聖人は、日興上人が身延を離山され富士に移られた後は、日興上人のお膝元で親子揃って信仰を貫いたことを総本山五十九世日亨上人が賛嘆遊ばされております。

 現在は、「いかなる女をせさせ給ふとも」という時代かも知れない、と思ったりします。どちらにせよ、「法華経の敵」には随ってならない、ということを肝に銘じておかなければなりません。謗法の怖さについては、
「何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」 (一〇四一頁)
と仰せです。せっかく唱題を重ね、折伏を行ったとしても、少しでも謗法があったならば功徳は一瞬のうちに消えてしまうことを曽谷殿を通して教えて下さっております。思いますに、正法を信仰していながら謗法を犯すのは、折伏の心が弱くなっているからです。御本尊様への絶対の確信が薄れるから折伏ができなくなるのです。そうすると、不審が頭をもたげます。次には同志の悪口を言うようになります。やがては御法主上人そして大聖人様への悪口となるのが謗法を犯す者が通る筋道です。池田大作がその例です。そのようになりたくなければ、日寛上人の次の御指南を実践すべきです。
「縦い名聞の為にもせよ、若しは利養の為にもせよ、身に妙法の行を立て、口に妙法の行を説け。或は身を仏前に運び、口に妙名を唱えよ。若し爾らば意業は自ら妙法の大善に入るべきなり」(『立正安国論愚記』文段集四十七頁)
 この、身・口・意の三業は私たちの生命活動を表すものです。日寛上人は、三業の根本である意業を清浄にするためには、例え「名聞利養の為」でもよいから「身に妙法の行を立て、口に妙法の行を説け」と仰せです。「名聞利養の為」とは、名誉や財産の為であっても、ということです。「身に妙法の行を立て」とは、折伏のために身を起こせ、ということであり、「妙法の行を説く」とは、御本尊様のことを話しなさい、ということです。そうすれば意業、すなわち心は「妙法の大善に入る」のです。折伏をしなさい、折伏をすることで心が真っ直ぐになります、仏の覚りを得ることが叶うのです、とのお言葉を忘れてはなりません。

 この日寛上人の御指南は、日蓮正宗総本山・富士大石寺に御安置申し上げる本門戒壇の大御本尊様を根本としたところの御指南でありますから、私たち全ての法華講衆にあてはまるものです。功徳を受けたいのであれば折伏の行動を起こせ、愚痴を言う前に御本尊様のことを語れ、この精神が富士大石寺に脈々と流れる精神です。さすれば一切の悩みは消え去り、心は御本尊様の中に収まるのです。 『立正安国論』正義顕揚七五〇年の節目に、政治変革の時期が重なったことを不思議に思います。しかも、池田創価学会が支援する公明党の「歴史的敗北」が重なっての不思議です。ただし、私たち法華講衆は、御本仏日蓮大聖人様の正法正義を世に流布することにより、真の平和国家、安穏な社会が実現することを忘れてはなりません。そのためには、
「月々日々につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」 (聖人御難事・一三九七頁)
の御指南を忘れずに、折伏の修行に精進し功徳を受けてまいりましょう。

 暑い夏が終わり過ごしやすい季節となりました。十月の御会式を目指し、折伏に励みましょう。

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