日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年10月11日 御報恩御講拝読御書

新池殿御消息

新池殿御消息 (平成新編御書 一三六六頁)
弘安二年五月二日  五八歳

新池殿御消息 (御書 一三六六頁)

其の上遠江国より甲州波木井の郷身延山へは道三百余里に及べり。宿々のいぶせさ、嶺に昇れば日月をいたゞき、谷へ下れば穴へ入るかと覚ゆ。河の水は矢を射るが如く早し。大石ながれて人馬むかひ難し。船あやうくして紙を水にひたせるが如し。男は山がつ、女は山母の如し。道は縄の如くほそく、木は草の如くしげし。かゝる所へ尋ね入らせ給ひて候事、何なる宿習なるらん。釈迦仏は御手を引き、帝釈は馬となり、梵王は身に随ひ、日月は眼となりかはらせ給ひて入らせ給ひけるにや。ありがたしありがたし。事多しと申せども此の程風おこりて身苦しく候間留め候ひ畢んぬ


 当抄は、弘安二年(一二七九年)年五月二日、子供を亡くされた新池左衛門尉が、お米を三石、御供養として御回向を願い出たことに対して与えられた御書です。この時日蓮大聖人様は五十八歳、身延での御執筆です。残念ながら御真筆は現存しません。

 新池殿御消息は三月の御報恩御講でも拝読しました。総本山五十九世日亨上人の著された「弟子檀那列伝」には、「新池左衛門尉。遠江の国磐田郡の新池(袋井在)に住して日興上人に依って入信せられたであろう、尼と共に純真の人であった」と記されております。信徒としてのあり方を御指南された『新池御書』等を与えられている強信者です。

 当抄は、五段に分けて拝することが出来ます。

 一段目に、亡き子供の追善供養のために新池殿が御供養をされたこと、その願を聞き届けられた大聖人様が御回向をして下さったことが述べられています。

 二段目は、土の餅を釈尊に供養して大国の王として生まれ阿育王大王等の例を引かれ、法華経の行者を供養する功徳が計り知れないことが述べられております。

 三段目には、インドで起こった仏法が、中国・韓国を経て日本に伝わり、日本では中国よりも仏法が信仰されていると仰せになります。しかし、その信仰は仏の御本意に背くものであることを、法華経の「法華経最第一」・「已今当難信難解」・「唯我一人能為救護」等を引かれて、誤った信仰では地獄に堕ちることを厳しく指摘され、随自意の法華経を信ずることによってのみ変毒為薬の功徳を受け成仏が叶うことを述べられます。

 四段目では、真実の教えを人々に勧めることによって三類の強敵に怨まれていることをのべられています。そしてそのことが、日蓮大聖人様が法華経の行者であることの証明である、と仰せになられます。

 五段目では、日本国中から怨まれている日蓮に信仰を取ることは過去世の深い因縁であり成仏は疑いのないものであると励まされ、本日拝読のところとなります。


【通解】

 その上、遠江の国から甲州の波木井郷、身延山までは、道程が三百余里もあります。道中にある宿場はいずれも思い通りにはなりません。峠は高く日月に手が届くかと思われ、谷底に下れば穴の中に入るかと思われるほどです。河の水は矢を射るように早く、大きな石が流れ人や馬は渡るのが困難です。船も危険で紙を水につけたようなものです。男は木樵、女は山姥のようです。道は縄のように細く、木は草のように茂っています。この様な所まで訪ねて下さったはどのような宿習でありましょうか。釈迦仏はあなたの手いて下さり、帝釈天は馬になって下さり、大梵天王は身に随って下さり、日天・月天が眼に成り代わって下さって此れまで来られたのでしょうか。有り難いことです。有り難いことです。申し上げたいことはまだまだありますが、このほど風邪にかかり体調が思わしくありませんので筆を置きます。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺