日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成21年12月13日 御報恩御講拝読御書

南条殿御返事

南条殿御返事 (平成新編御書 八八三頁)
建治元年七月二日  五四歳

南条殿御返事 (御書 八八三頁)

在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり。その上、上一人より下万民までににくまれて、山中にうえしにゆべき法華経の行者なり。これをふびんとをぼして山河をこえわたり、をくりたびて候御心ざしは、麦にはあらず金なり、金にはあらず法華経の文字なり。我等が眼にはむぎなり。十らせつには此のむぎをば仏のたねとこそ御らん候らめ(新編御書八八三頁)


【現代語訳】

(釈尊が)在世の月は今の月と変わるものではありません。また(釈尊)在世の花は今でも花です。これと同じように、昔の御供養の功徳と現在の御供養の功徳に違いはありません。その上今の日蓮は、上一人から下万民にいたるまで日本中の人々から憎まれ、身延山中で飢え死にしそうになっている法華経の行者です。そのような日蓮を不憫に思って、山を越え河を渡ってお届け頂いた御供養のお志は、麦ではなく黄金です。黄金よりもさらに尊い法華経の文字です。私たちの凡夫には食物としての麦としか見えませんが、法華経の行者を守護することを誓っている諸天善神である十羅刹は、南条殿の麦の御供養は仏の種であると御覧になっているでしょう。


 当抄は建治元年(一二七五年)七月二日に身延において認められたもので、御真蹟は総本山大石寺に厳護されています。御文の内容は、南条時光殿が精白をした大麦と小麦を各一俵、川海苔を五十枚を御供養したことに対して、仏弟子の阿那律や迦葉が仏に成ることが叶った因縁を引いて、仏様への御供養がいかに勝れた功徳となるかを御教示されるものです。さらに、南条時光殿が信心をますます深めるように指導され、最後に当時の世相を述べられ、南条時光殿にとって不都合なことがおこっても嘆くことなく信心を貫くように励まされております。

 阿那律は釈尊の十大弟子の一人で、天眼第一といって、あらゆるものを見通すことができました。阿那律が天眼第一といわれる徳を備えることになった因縁として、過去世の飢えた世に、辟支仏という仏様に稗の飯を供養したことによる、と天台は説かれています。また、賢愚経という経文には、托鉢をする僧侶の鉢の中に何もないのを見た阿那律が、自らの食べ物を供養したことによる功徳により、無貧(貧する事が無い)といわれる徳を得たことが説かれています。阿那律は法華経の五百弟子受記品第八で普明如来の記別を受けております。

 迦葉も釈尊の十大弟子の一人で、頭陀第一といわれております。頭陀とは頭陀行のことで、修行により衣食住等の貪欲を克服することをいいます。貪欲を克服する徳を備えることが叶ったのは、過去世に麦の飯を辟支仏に供養した因縁によることも天台が説いています。迦葉も法華経授記品第六で光明如来の記別を受けています。


【拝読の要点】

 阿那律、迦葉の例は釈尊在世のことです。二人は稗の飯、麦の飯を仏に供養することにより、普明如来や光明如来となる大功徳を受けました。一方の時光殿は末法において、麦の御供養を日蓮大聖人様にされました。この御供養によって、時代が変わろうとも仏に成る功徳は同じである、ということを「在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり」というお言葉で示されております。

 このお言葉から、御供養をお受けになる日蓮大聖人様が仏様であることを私たちは信じることができます。つまり、「釈尊」に供養することで成仏が叶った阿那律や迦葉と同じように、日蓮大聖人様に御供養を申し上げることで南条時光殿も成仏が叶うのですから日蓮大聖人様のお立場は仏様なのです。

 さらにその上、大聖人様は、「上一人より下万民までにくまれて」とありますように、「念仏無間・真言亡国・禅天魔・律国賊」との四箇の格言を掲げて折伏を展開され、日本国中から憎まれるばかりか迫害を受ける身でした。その大聖人様に御供養を申し上げるのですから、時光殿をはじめとする鎌倉の法華講衆は、釈尊在世の人々が釈尊に供養するよりもはるかに勇気が必要でした。何故ならば、日蓮大聖人様に御供養を申し上げることは、信仰面からいえば幕府に敵対することになるからです。

 その様な中での時光殿の御供養です。白麦や川海苔の品々には真心がこもっており、ただの麦ではなく黄金に値する、と仰せになります。

 さらに、「法華経の文字なり」と仰せです。法華経の文字については、『曾谷入道殿御返事』では「此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり」とあります。したがって、時光殿の真心からの御供養である麦一粒一粒がすべて仏様である、という有り難いお言葉なのです。つまり、麦を日蓮大聖人様に御供養する功徳は、麦の一粒一粒がが仏様に成り代わって時光殿を護ってくださる、という意味なのです。故に、次で「十羅刹には此のむぎをば仏の種とごらん候らめ」と述べられているのです。十羅刹は法華経を守護することを誓った諸天善神です。その十羅刹が仏の種であるというのですからこれ以上に頼もしいことはありません。

 当時の人々は、蒙古の来襲に怯えながらの日々でした。時光殿も地頭であり武士ですから西国への出陣がないとも限りません。ですから、この御供養によって諸天の加護、さらには成仏の功徳を受けることができる、との日蓮大聖人様からの励ましのお言葉は、時光殿本人ばかりかその家族にとってどれほど嬉しかったでしょう。

 御文の最後に「女人の御ためにはかゞみとなり、みのかざりとなるべし。男のためにはよろひとなり、かぶととなるべし。守護神となりて弓箭の第一の名をとらるべし」と仰せ下さることからも明らかです。

 ともあれ、けっして豊ではない中にあって、南条時光殿は日蓮大聖人様に真心からの御供養を尽くされました。その修行に成仏という大功徳を得られる、と日蓮大聖人様が御教示されていることを私たちは忘れてはなりません。時光殿の後輩である我等は、時光殿の信心を手本として、精進を重ねることが成仏の直道です。

 立正安国論正義顕揚七五〇年という輝かしい年もまもなく幕を閉じます。本年の活動により、不思議な現証を目の当たりにして、ますます正法の確信を深めることができました。新しい年は「広布前進の年」と銘打たれ、佛乗寺でも年間の折伏目標を八〇名と定め、未来広布への一歩を踏み出します。御法主日如上人の御指南のままに、「質直意柔軟」の心で自身の成仏と周囲の成仏のために折伏をいたしましょう。

 年末の慌ただしいときです。寒さも増してまいりますが、ご信心第一に精進し、明るく楽しく新年を迎えましょう。

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