日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成22年2月14日 御報恩御講拝読御書

太田左衛門尉殿御返事

太田左衛門尉殿御返事 (平成新編御書一二二二頁)
弘安元年四月二三日  五七歳

太田左衛門尉殿御返事 (御書一二二二頁)

法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり


【対告衆の太田左衛門尉乘明】とは

 太田乗明は下総に在住していた信徒で、富木常忍や曽谷入道と並んで、古くから日蓮大聖人のご信心です。純粋な信仰を貫いたことで知られています。御書には、「太田殿」・「太田入道」・「太田金吾」・「乘明上人」・「乘明聖人」等の名で出てまいります。因みに、弘安五年四月八日にお認めになられた『三大秘法鈔』の最後にある宛名は「大田金吾殿御返事」となっております。

 当抄は、弘安元年四月二十三日に認められたもので、冒頭に
「今月の十八日に出された手紙が二十三日の昼ごろに日蓮の元に届きました」
と記されております。このことから、下総から大聖人様の所まで六日間で着いたことがわかります。この時大聖人は五十七歳ですが、太田乗明も、五十七歳でしたから大聖人様と太田乘明とは同い年であることがわかります。

 大聖人様御在世の頃は、五十七歳が大厄であったようです。そこで、太田乘明が厄年の御祈念を願い出られたことに対し、返事として当抄を与えられたのです。


【当抄の概略】

 当抄の冒頭に、太田乘明が厄払いの御祈念を願い、鳥目(お金)を十貫文、大刀を一振り、扇を一本、焼香に用いる香を二十両を御供養として大聖人様にお供えしたことが記されております。この時に、太田乘明が大聖人様に宛てた手紙には、「今年が五十七歳の大厄です。そのためか、一月の下旬の頃より今日に至るまで、身体も心も共に辛いことが多くあります。かねてより人として生まれたからには、肉体的にも精神的にも多くの病がこの五体の上に顕われて、苦しまなければならないことは覚悟の上ではありますが、特に今日は辛いことです。病が治り平穏になるように御祈念をお願いいたします」と記されておりました。大聖人様は直ちに御返事を認められ、太田乘明を励まされたのが当抄です。

 先ず、病気の見舞いを述べられ、次に病気になるのは過去世の因縁であることを示されます。また、大厄の歳については、善神が身体から離れているのでことに危うい、という世間一般でいわれている中国古代の言葉を引用されて述べられ、この厄年は、仏法上からみれば特段のこともないが、四悉檀の教えからすれば、成仏の道理に違うことがないのであれば世間一般の義も用いても差し支えがない。だから世間で言われているように、厄年には普段よりも注意が必要であることを御教示下さっております。

 続いて、法華経のみが身心の病を治す薬であり、その中でも方便品と寿量品が中心であるから書写して差し上げるからご信心第一に励むように仰せになっています。

 さらに、寿量品で説かれている一念三千の法門を、華嚴宗や真言宗の者たちが盗み取って自宗の教えであるようにいい、かえって法華経を下していることは誠におかしなことである、と真言宗や華厳宗を破折されます。

 最後に、一念三千の教えは法華経の本門寿量品にのみ説き顕されたものであり、妙法五字として末代の私たちのために説き残された教えであるが、途中の人師・論師はその大切なことに気づかず、天台大師も役目が違う故に詳しくは説かれなかった。然るに、日蓮は末法に弘める役目があり、大事の法門を教えるのであるから、日蓮の教えに随って信心強盛に励むことが肝心である、と述べられています。


【大切なこと】

 本日拝読の
「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」
との御文で、「法華経の教えは身体と精神の全てに顕わる病を癒すことの出来る唯だ一つの薬です」と仰せになり、病に苦しむ太田乘明の信心を励まされております。

 ここでの「良薬」は法華経の薬草喩品からの引用で、「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即消滅して不老不死ならん」等云云。又云はく「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云。又云はく「諸余の怨敵皆悉く摧滅せん」等と文ですが、この薬草喩品の「病を怨敵に譬え、法華経の信仰によって、病の一切を摧き滅ぼすことが叶う」とまで説かれていることを示されて、確信をもって精進することを指導されております。

 大聖人様はこの良薬について、『観心本尊抄』では、「良薬は寿量品の観心の南無妙法蓮華経である」と示され、また『御義口伝』では「良薬とは末法においては南無妙法蓮華経である」と御教示です。この御教示から、良薬は法華経の寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経であることは明白であり、末法の私たちにとっては、日蓮大聖人様が顕された南無妙法蓮華経の御本尊様が唯一の良薬であり、御本尊様以外には身心の病を癒す良薬はありません。

 したがって、大厄の歳に起こった病を平癒する御祈念を願い出た太田乘明にたいして、
「厄の年災難を払はん秘法には法華経には過ぎず」
と仰せになり、法華経、なかんずく南無妙法蓮華経と修行をすることこそ災難を払う唯一の方法であることを指導されます。

さらに有り難いことには、
「当年の厄年をば日蓮に任させ給へ」
と仰せ下さることです。大厄であろうと何であろうと心配ありません。全てを日蓮に任せなさい、というお言葉を太田乘明はどのような気持ちで拝したでしょうか。これほど有り難いお言葉はありません。日蓮大聖人様が祈って下さるのですからこれほど心強いことはありません。

 太田乘明のことを大聖人様がこのように強く祈って下さるには、それだけの因縁があります。太田乘明の信仰は
「日蓮が法門を聞きて、賢者なれば本執を忽ちに翻し給ひて、法華経を持ち給ふのみならず、結句は身命よりも此の経を大事と思し召すこと不思議が中の不思議なり」
というご信心でした。法華経が我が命より大事である、という潔い信心が太田乘明の信心です。一切を御本尊様中心、という信心ですから、大聖人様の三大秘法を明らかにされた御書『三大秘法稟承事(三大秘法禀承事)』を託される、という栄誉も与えられたのだといえます。

 一方、大聖人滅後に謗法の者となった、身延の地頭・波木井実長の信心はどのようなものであったか、それを知る手がかりとなるのが『四条金御殿御返事』の御文です。そこには次のように示されております。
波木井殿のの事は、法門は御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すままには御用ひなかりしかば、いかんがと存じて候ひしほどに、さりとてはと申して候ひしゆへにや候けん、すこし・しるし候か。これにをもうほど・なかりしゆへに又をもうほどなし。だんなと師とをもひあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし
と。現代語に訳しますと、次のようになります。「波木井殿の訴訟の事ですが、波木井殿は御法門は信用されているように思われるが、この度の訴訟にあたっては日蓮の申す通りにされなかったので、どのようになるか心配をしておりました。その様に思っていても、黙ってみていることも出来ませんから注意をいたしましたので、少しは効果があったようです。しかし、日蓮が考えるようにされなかったので結果も思うようなものでありませんでした。このように、信徒と師との心が合わない祈りは水の上で火を焚くようなもので、目標を達成することは出来ません」と。

 波木井実長も法華経が第一である、南無妙法蓮華経のご信心が成仏の教えである、ということは理解し、お題目も唱へ励んでおりました。なにより、大聖人様を文永十一年(一二七四年)五月より弘安五年(一二八二年)九月までの足掛け九箇年の間外護した信心は素晴らしいものです。しかし、大聖人様が見抜かれていたように、波木井実長は大聖人様の教え、御本尊様中心という信心ではなかったのです、御本尊様ではなく自分の心、自分の生活が中心だったのです。ですから、結局は成仏を遂げることが出来ませんでした。このことは、過去世の因縁、過去世の謗法による、という以外に説明のしようがありません。

 当抄を拝し私たちは、太田乘明のように、「我が命よりも御本尊様の信仰」という潔い信仰を貫くことこそ成仏の因である、と心に染め、御本尊様の御加護を受けることが叶うように精進をいたしましょう。そうすれば、どのようなことがあっても、どのような時にも、「私に任せなさい。心配はありませんよ。安心してお進みなさい」と日蓮大聖人様から励ましていただき、御加護を受けることができると固く信じます。

御法主日如上人は常に仰せ下さいます。自らの幸せを願うのであれば周囲の幸せを祈りなさい。周囲が幸せになって自らの本当の幸せも実現するのです。そのために折伏をするのです、と。総本山に導く修行が罪障消滅の修行です。潔い信心で異体同心を築き、広布の使命を果たそうではありませんか。

 まだまだ寒い日が続きますが、春はすぐそこに来ております。よき春を思い寒さに立ち向かってまいりましょう。ご精進ご精進

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