日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成22年6月6日 広布唱題会

日興遺誡置文

日興遺誡置文 (平成新編御書一八八四頁)

日興遺誡置文 (御書一八八四頁)

富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事


 今月十七日は、総本山第六十二世日恭上人の御正当会です。日恭上人は太平洋戦争の最中、軍部の狂気が国中を覆い、戦争を遂行するための方策の一つとして、言論や出版の統制ばかりか、信仰にまで軍部の立ち入るところとなった時に、正法正義を護り伝えるために不惜身命を貫かれた御法主上人です。

 昭和十五年に軍部・文部省が、一宗祖一宗派を打ち出し、日蓮正宗に対しても、身延派を含む他の日蓮宗各派と合同をするように、と命じてまいりました。しかし、謗法と化した身延派と合同をすることは、大聖人、日興上人の御遺命に背くことであり、合同はしない、と毅然たる態度を示されました。多くの宗派が軍部を恐れ合同したのとは反対に、日蓮正宗は軍部を向こうに回して一歩も引かず独立を認めさせ大御本尊様を謗法の手から御護りされたの時の御法主上人が日恭上人です。

 軍部・文部省は単独認可を認める条件として、種々の難題を示してきました。その一つに、教育機関の設立がありました。信教の自由が認められていない時代、折伏を大々的にすることも叶わず、また、謗法厳誡の宗旨故、僧侶も信徒も決して多いとは言えない意日蓮正宗にとっては非常に重い事柄でありました。軍部や文部省はそれを口実に合同をさせる、という策略でした。ところが、日恭上人は正法を守り次に伝える、という唯授一人のお振る舞いから、見事に教育機関の設立を果たされ、その他の難問も全て乗り越えて日蓮正宗の独立を護られたのです。

 現在、総本山の法祥園があるところに、古い木造の学校があったのを御存事の方も多いと思います。あの校舎は、単立を勝ち取るために急遽建てられた富士学林中学です。日蓮正宗の教育機関としての役割を担ったものです。

 正法広布こそ世界平和実現の唯一の道であることを日恭上人は実践の上から示して下さっているのです。日恭上人をはじめ、当時の僧侶と信徒が心を合わせて苦難を乗り切って下さったからこそ、今日、私たちが大御本尊様に御目通りが叶い、罪障消滅の修行に励むことが出来ることを忘れてはなりません。

 歴史は繰り返す、という事実からして、六十年前と同じような状況にならないとも限りません。不安定な政治や経済を目の当たりにすると不安は募りますが、大御本尊様を強く信じ、大聖人様以来の唯授一人の血脈を所持される御法主上人の御指南のままに素直で正直に進むことにより、必ず道は開かれます。

『立正安国論』の精神である、絶対平和主義を堂々と貫かれた日恭上人のお振る舞いを拝し、私たちも何事にも恐れず、誇りある法華講衆として自行化他の修行に励んでまいりましょう。

 以下に、当時の日恭上人のお姿を述べた文章があります。参考のために挙げておきます。


「猊下は、お一人で文部省を訪れた。身延との合同問題が、国家権力の弾圧の下に、実行に移されるばかりになっていた。猊下は、単身、当局に向かって『合同、不承知』をば厳然と宣言して帰られたのである。日蓮大聖人の、正法正義を継承する本宗は、断じて、邪宗邪義たる身延をはじめ、いかなる宗とも、絶対に合同はせぬと。たとい今、頚を斬られてここに死すとも合同はせずと叫ばれて、ここに正宗の法水を護り抜かれて帰られた。実に、日蓮大聖人の、幕府権力に対決した時のお姿が、そのまま拝されるのである。」(人間革命・一巻二六六頁)

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日蓮正宗向陽山佛乗寺