日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成22年7月1日 永代経

崇峻天皇御書

〜 大聖人様の教えは「人の振る舞い」 〜

崇峻天皇御書 (平成新編御書一一七四頁)
建治三年九月一一日  五六歳

崇峻天皇御書 (御書一一七四頁)

一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という


【現代語訳】
 
 釈尊の一生の間に説かれて教えの中で最も大切な教えが法華経です。その法華経の中でも、修行のことについて、大切なことが説かれているのが常不軽菩薩品第二十です。
 経文には不軽菩薩が修行中に、あらゆる人を敬って決して謗ったり悪口を言ったりしなかったことが説かれておりますが何故だと思いますか。それは、釈尊がこの世の中に出現された目的は、私たちに人としての振る舞いを教えるためです。不軽菩薩はそのことを実践され、あらゆる人を敬ったのです。仏の教えを素直に聞き実践する人を賢いと言い人界の衆生です。素直に聞けにずに自己中心の愚かな者のことを畜生といいます。


☆「人の振る舞い」とは、他者を思いやる心。

○仏様の教えは、人間が人間らしく生きるための軌範となるもの。
 
 法華経二十八品の中に常不軽菩薩品第二十があります。この経文には常不軽菩薩様の修行の姿が説かれております。「二十四字の法華経」といわれるものです。その二十四字は次のようなものです。

「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏」

(我深く汝等を敬う 敢えて軽慢せず 所以は何ん 汝等皆菩薩の道を行じて 当に作仏することを 得べし)
 
 不軽菩薩はこの二十四字を常に唱えて人々を礼拝する修行に励みましたが、謗法の充満する国土にあって、人々は気味悪がって石を投げたり杖でたたいたりして迫害を加えました。しかし、不軽菩薩は屈することなく礼拝の修行を全うし成仏の功徳を受けたことが説かれております。さらに、有り難いことに、迫害を加えた者たちも「毒鼓の縁」つまり迫害をしたという逆縁によって成仏が叶ったことが示されております。
 
『御義口伝』では、不軽菩薩の修行を末法に移して、

「此の二十四字と妙法の五字は替はれども其の意は之同じ。二十四字は略法華経なり」(御書・一七七七頁)

と示されております。私たちが平成の今日、南無妙法蓮華経唱えて折伏の修行をするのは、不軽菩薩が人々を敬って礼拝修行をしたのと同じである、ということです。違いは「二十四字」と「南無妙法蓮華経」だけです。

○他人の存在を認めることが人間らしく生きてゆくための第一条件。

 仏法では、すべての人々は仏に成ることのできる可能性を秘めていると説きます。悪人であれ善人であれ。そのことに気づいた人を仏といい、迷っている人を凡夫といいます。ですから、衆生は一人残らずかけがえのない生命を有する貴い存在なのです。そこで、日蓮大聖人様は、不軽菩薩の但行礼拝の修行を通して、私たちに、すべての人を敬い大切にすることを教えて下さるのです。

 折伏の修行は、その人の生命の中に、秘められ、その方が気づいていない「貴い心」を呼び起こす修行ですから、相手を敬い大切にする修行なのです。

 また、折伏の修行に励むことによって、自らの命の中にも「貴い心」があることに気づきます。ですから、大聖人様が折伏を教えて下さるのです。

 御本尊様の修行はむつかしいものではありません。この御文のように、一寸した心懸けが成仏の道を開いて下さるのである、という教えです。私たちも、周囲の人達を思いやることが、「人の振る舞い」であり仏道修行である、と心得、末法の「二十四字の礼拝行」に励んでまいりましょう。 

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺