日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成22年8月8日 宗祖日蓮大聖人御報恩御講拝読御書

兵衛志殿御返事

兵衛志殿御返事 (平成新編御書一一八四頁)
建治三年一一月二〇日  五六歳

兵衛志殿御返事 (御書一一八四頁)

涅槃経に云はく「昔無数無量劫より来常に苦悩を受く。一々の衆生一劫の中に積む所の身の骨は王舍城の毘富羅山の如く、 飲む所の乳汁は四海の水の如く、身より出だす所の血は四海の水よりも多く、父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣して出だす 所の目涙は四大海より多く、地の草木を尽して四寸の籌となし、以て父母を数ふるも亦尽すこと能はじ」云云。此の経文 は仏最後に双林の本に臥してかたり給ひし御言なり。もっとも心をとゞむべし。無量劫より已来生むところの父母は、十 方世界の大地の草木を四寸に切りて、あてかぞうとも、たるべからずと申す経文なり。此等の父母にはあひしかども、法 華経にはいまだあわず。されば父母はまうけやすし、法華経はあひがたし。今度あひやすき父母のことばをそむきて、あ ひがたき法華経のともにはなれずば、我が身仏になるのみならず、そむきしをやをもみちびきなん


【通解】

涅槃経には「数え切れないほどの昔から今日に至るまで、私たちは常に苦悩を受けております。全ての人々が一劫の間に生死生死を繰り返し、その骨を積み上げたとしたら、王舍城にある毘富羅山のように高くなります。また、その間に飲んだ母乳は四海の水ほどの量です。さらに、身より出した血液は四海の水よりも多く、父母兄弟眷属の臨終に際して号泣して流した涙は四大海の水よりも多く、地に生えている草木をすべて刈り取って四寸の長さに揃え、その草を全て数え尽くしても、過去世の父母の数には及びません」とあります。この経文は、釈尊が入滅の時に、双林の下で臥して説かれたお言葉です。最も心をとどめなければなりません。私たちの生命は、数え切れない過去から現在まで、何度も生まれ変わってその度に父母から生を受けてまいりました。その父母の数は、十方世界の大地に生える草木を四寸に切って、その数を父母に当てて数えても父母の数の方が多い、という経文です。このように、多くの父母には巡り会ってきましたが、法華経には巡り会うことはありませんでした。この度、巡り会うことが易しい父母の言葉に背いて、巡り会うことが難しい法華経の友から離れなければ、我が身が仏に成るばかりか、背いた親をも導くことになります。



 当抄は本年の一月度御報恩御講でも拝読を致しました。ご記憶の方も多いと思いますが、復習をいたします。当抄を頂いた池上兄弟の父は、鎌倉幕府の作事奉行であった池上左衛門大夫康光(いけがみさえもんのたゆうやすみつ)です。長子を池上右衛門大夫宗中(いけがみえもんのたゆうむねなか)といい、次子を池上兵衛志宗長(いけがみひょうえのさかんむねなが)といいます。

 父の康光は、執権である北条家の外護を受け一般の人々からも熱烈な信仰を集めていた極楽寺良観(忍性)に帰依し、強烈な真言律宗の徒でした。作事奉行という職は、道路を作ったり橋を架けたり、公的な建物を造ったりする役所の長で、建設大臣、今は国交大臣といいますがその様な役目でした。また、左衛門大夫と名乗っていることから、鎌倉幕府でも地位の高い武士であったことがわかります。

 兄弟は建長八年(康元元年)頃に入信したと伝えられているように、四條金吾・富木常忍等とともに立宗開教早々からの信仰で特に兄の宗仲は信徒の中心的な立場でした。

 父親の康光は前述のように真言律宗の僧侶である極楽寺良観の信仰を熱心にしておりました。ところが、日蓮大聖人様はこの良観をはじめてとする当時の邪宗僧侶に対して、「念仏の教では永遠に地獄の苦しみに堕ち、真言の教えでは国が滅亡することになり、禅の教えでは仏法を破ることになり、律の教えでは国に損害を与えたり破壊することになる」という四箇の格言を掲げて折伏をされておりましたので、幕府は日蓮大聖人様に、宗教界を混乱させひいては社会を乱す者である、といういわれもないレッテルを貼り、大聖人様に対して、伊豆へ流罪にしたり、安房の小松原では地頭の東条景信の軍勢に襲わせて命を奪おうとしたり、竜の口では斬首にしようとして果たせないと佐渡の島に流罪とするなど、数々の策謀を廻らしました。この事は、当時の幕府や念仏真言等の誤った宗派の僧侶たちが、日蓮大聖人様が一介の法華経を説く僧侶ではなく、真実の教えを説く僧侶であり、このままでは何れ自分たちの身が脅かされる、という思いに駆られ、日蓮大聖人様を恐れていた証拠であるといえます。同じように池上兄弟の父親も、南無妙法蓮華経と唱える二人の息子の正しい意見に恐れを抱いておりました。そこで、兄弟の中でもより純真で強信な兄宗中を建治元年(一二七五年)と建治三年(一二七七年)の二回にわたって勘当し、信仰の弱いと見られていた弟との仲を裂き両名共に日蓮大聖人様の信仰から退転するように仕向けたのです。

 しかし、池上兄弟は日蓮大聖人様の御教導の下、二回の勘当にも怯むことなく南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ続け、兄弟やその妻と力を合わせて、ついに父親の康光を入信に導きました。封建時代にあって、最も難しいと思われる父親への折伏が実ったのですから、その確信と実践は信心の鏡であるといえます。

 日蓮大聖人様が弘安五年九月八日に身延を出発され、池上宗中の舘に入られたのが九月十八日でした。それより十月十三日の御入滅までの約三週間にわたって身を留められ、弟子檀那に対しては『立正安国論』の御講義をされました。また、十月八日には『産湯相承事』を日興上人に相伝され、六僧僧を定められております。さらに、十日には『御本尊七箇之相承』・『教化弘経七箇口伝大事』を同じく日興上人に相伝され、翌十一日には『法華本門宗血脈相承事』を、そして、御入滅の十三日には『身延山付嘱書』を日興上人が賜っておりますことからも明らかなように、日蓮大聖人様の仏法の一切を二祖日興上人にお譲りになる手続きを池上宗中の舘で執り行われたことからも、その当時の池上兄弟の信心を知ることができます。駿河や富士、また甲州等にも強信な信徒は大勢おりましたが、鎌倉時代の中心地はやはり関東であり、その中でも武州池上は信徒が集まりやすい所であったといいう地理的な面を差し引いても、兄弟とその妻たちが力を合わせ、勘当という大きな難にも負けずに法華経の信仰を貫いたことは誠に素晴らしいものです。

 但し残念なことは、日興上人が第二祖として身延に入られた後には、日蓮大聖人様の仏法の本筋を見失い、本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈から離れてしまったことで、その誤った信仰のまま、今日まで池上本門寺が継承されていることです。

 またこのことは、池上兄弟や四條金吾、富木常忍等の信徒ばかりでなく、日蓮大聖人様の弟子として直接お仕えした六老僧のうち、日興上人を除く日昭・日朗・日向・日頂・日持の五人にもあてはまることです。日朗は佐渡流罪の時には土の牢に入れられ、四條金吾は領地を没収されるばかりか出仕停止の処置を受けるなど、日蓮大聖人様の信仰をしているというだけで法難に遭いました。その他の人々も何らかの法難を受けながらも、退転なく信仰を持続したのでありますが、日蓮大聖人様の滅後、信心の筋目を外してしまったことは、信心の厳しさを示されているとはいえ惜しいことです。

 大聖人様亡き後、日興上人の御教えに従えなかった者たちに共通することは、慢心であり自己中心の信仰です。大聖人様のお言葉を信ずることはできても日興上人のお言葉に随うことができなかったことは、返す返すも残念なことで、成仏不成仏の分かれ目がここにハッキリとしております。

 池上兄弟の舘を寺院として発足した池上本門寺が、本来の日蓮大聖人様の教えに立ちかえり、富士大石寺に御安置の大御本尊様の信仰をするときに、池上兄弟の真の成仏があるといえます。

 ともかく、正信を貫くことが如何に難しいことであるかを心に留め、難に怯むことなく前進する大切さ、そして、その信仰を何時いかなる時にも堅持して、日蓮大聖人様・本門戒壇の大御本尊から離れない信仰を確立することの大切さを学ぶことが、池上兄弟を通して大聖人様が私たちに教えて下さることです。当抄で「法華経の友に離れない」ことが成仏の要諦である、とされる大聖人様の御心を強く思わねばなりません。「法華経の友」とは換言すれば善知識のことであり、末法の私たちの立場から拝すれば、久遠元初の御本仏日蓮大聖人様が「法華経の友」です。その大聖人様が、
『経王殿御返事』で、
日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ(御書・六八五頁)
 と仰せになり、御魂魄を大御本尊様に留めて下さっておりますので、総本山に参詣し御開扉を受けることが「法華経の友」から離れないことなのです。さらに、大聖人様より唯授一人の血脈を御所時遊ばされる代々の御法主上人も「法華経の友」のお立場にあられます。ですから、御法主上人の御指南に随うことは「法華経の友」に近づくことであり、成仏の因となります。また、大聖人様の仰せを固く信じ、御法主上人の御教えのままに信心に励む一人ひとりも「法華経の友」であるいっても過言ではありません。

 しかしながら、『兄弟抄』には、
此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく「行解既に勤めぬ れば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向かは しむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。 謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ(御書・九八六頁)
とあります。御意は、「日蓮が説く南無妙法蓮華経の教えを周りの人々に勧めると必ずその行動を妨げようとする用きが現れます。そのような用きが起こらなければ日蓮の教えを実戦しているとはいえません。天台の説かれた『摩訶止観』の第五巻には、「信仰者の修行が進み、信心が深まれば三障四魔という大きく強力な妨害をするものが現れて来ます。(中略)そのようなものが現れたとしても随ってはなりません、恐れてはなりません。これにしたがえば悪道に堕ちます。恐れれば正法修行から退転をすることになります」等と示されております。この天台大師の教えは、日蓮の身にあたるばかりか、門下の明らかな指針となるものです。謹んで拝読して未来に仏となる為の資糧としなさい」ということです。

 信仰が少し進み、仏法の理解が少し深まると魔が起こってまいります。その時に私たちは、易しい道を撰び軟弱な信仰に陥り、魔に負けてしまいます。また、魔に負けないように励んでいる、と見えても自己中心的な考えから、結局己身の魔に犯されて正法の道を踏み外し、やがては退転にいたる姿は創価学会員ばかりではありません。これは慢心により「法華経の友」から離れる、つまり「法華経の敵」に親近した結果です。ゆえに、退転なく進む上で、拝読の御文を心に染めることが肝心なのです。

 「法華経の友」つまり善知識について、『法華経妙荘厳王本事品第二十七』には、
善知識は、能く仏事を作をし、示教利喜して、阿耨多羅三藐三菩提に入らしむ。大王当に知るべし。善知識は是れ大因縁なり。 所謂化導して、仏を見ることを得、阿耨多羅三藐三菩提の心を発さしむ」(新編法華経・五九三頁)
とあります。阿耨多羅三藐三菩提とは仏の悟りのことですから、善知識のお陰で、私たちは仏の悟りに入ることができます。そしてそれは、大いなる因縁の下にあるのです。大いなる因縁とは過去世における善因であり善縁です。また、示教利喜は、示し、教え、利益せしめ、喜ばしめることです。私たちの富士大石寺の信仰からすれば、私たちが幸せになることのできる唯一の方である南無妙法蓮華経を指し示し、大御本尊様の教えを説き聞かせることによって、手を合われば利益を受けることができ、さらにその利益に歓喜する姿です。
『三三蔵祈雨事』では、
されば仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちゑなににかせん。たゞあつきつめたきばかりの智慧だにも候 ならば、善知識たひせちなり。而るに善知識に値ふ事が第一のかたき事なり。されば仏は善知識に値ふ事をば 一眼のかめの浮木に入り、梵天よりいとを下げて大地のはりのめに入るにたとへ給へり。而るに末代悪世には 悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし(御書・八七三頁)
〈通解〉仏に成る道は善知識に巡り会う以外にはない。我が知恵は頼りにはならない。熱いとか冷たいとかを感じることのできる智慧が少しでもあるならば、善知識を求める心が大切である。しかしながら、善知識に会うことが最も難しいことなのである。そこで善知識に会うことの難しさを、一眼の亀が大海に浮かぶ木の穴に入るようなものであり、梵天より糸を下げて大地の上に置いてある針の目に通すようなものである、と譬えている。その上さらに、末代悪世には悪知識は大地の土や塵の数よりも多く、善知識は爪の上の土よりも少ない。
と仰せです。

 この御文から考えますと、私たちは過去世の大因縁があって、善知識に巡り会うことが叶いました。有り難いと思います。この上は、善知識であられる日蓮大聖人様、御本尊様から離れることのないように、と願うばかりです。大聖人様・御本尊様から離れることがなければ、法華経妙荘厳王本事品で示されるように「仏の悟りに入る」功徳を受けることができます。

 日蓮大聖人様・御本尊様から離れない心とはどのようなことかと云えば、御本尊様を中心にした生活をすることです。御本尊様中心の生活とは、朝起きて御本尊様にお水を御供えし、勤行の時に、今日一日元気に過ごすことができますように、周りの人たちも御本尊様のご信心ができるようになりますように、と自他の幸福を祈ることです。また、夕の勤行では、一日を振り返り、心を鎮めて明日に備えることでしょう。もちろん、色々な願い事もあります。それら全てを御本尊様に、という心で唱題をすることが御本尊様中心の生活です。御本尊様に向かって、お題目を唱えお経を読んでいても、御本尊様を疑うような心であっては、御本尊様中心とはいえません。そのことを
『上野殿御消息』では、
相構へて相構へて、心を翻へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後生善処なるべし(御書・九二三頁)
御教示です。一筋に疑念なく大聖人様・御本尊様を思う心、これが御本尊様中心の信仰であり、大聖人様の仰せに素直に正直に随うこと、これが「法華経の友」から離れないことです。そこにこそ、仏の御心を我が心とした成仏の姿があります。
 
 本年は例年になく暑い夏です。このようなときこそ、「厚い信心」で自他共に励まし合い乗り切ってまいりましょう。実りの秋はもうすぐです。夏の太陽をいっぱいに浴びたお米や果物の美味しさを思い、御精進・御精進。

以上



【善知識】 《法華経の友》

○諸の悪人は又善知識なり (『富木殿御返事』五八四頁)

☆諸の悪人はまた善知識である。

○其の時過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、娑婆世界に向かっておがませ給ふらん。是こそ実の孝養にては候なれ。 (『法蓮抄』 八二〇頁)

☆その時に、亡き聖霊が、「我が子息法蓮は、子ではなく善知識である」と云って娑婆世界に向かって手を合わせて拝まれるであろう。このような姿こそ真実の親孝行である。

○相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆逹多よ(乃至)釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり (『種々御振舞御書』 一〇六三頁)

☆相模守殿こそ日蓮が仏に成る為の善知識である。平左衛門こそ提婆達多である。(乃至)釈迦如来の為には提婆達多が第一の善知識であった。同じように、現在の世間でも人を成長させるものは、味方よりも強敵が人を成長させる。

○仰せに云はく、悪知識とは在世にては善星・瞿伽利・提婆等是なり、善友とは迦葉・舎利弗・阿難・目連等是なり。末法当今に於て悪知識と云ふは、法然・弘法・慈覚・智証等の権人謗法の人々なり。善知識と申すは日蓮等の類の事なり。総じて知識に於て重々之有り。外護の知識、同行の知識、実相の知識是なり。所詮実相の知識とは所詮南無妙法蓮華経是なり。知識とは形を知り、心を知るを云ふなり。是即ち色心の二法なり。謗法の色心を捨て法華経の妙境妙智の色心を顕はすべきなり。悪友は謗法の人々なり。善友は日蓮等の類なり云云 (『御講聞書』一八三七頁)

☆日蓮大聖人様の仰せに云く。悪知識とは釈尊在世にあっては善星比丘や瞿伽利尊者や提婆達多である。善友とは迦葉や舍利弗や阿難や目連等である。末法にあって悪知識は、法然・弘法・慈覚・智証等の権教を説く謗法の者である。善知識は日蓮等である。総じて知識には大切は意味がある。外護の知識、同行の知識、実相の知識がそれである。つまるところ、実相の善知識とは南無妙法蓮華経である。知識とは、姿形を知り、心を知ることを云う。即ち身と心の二法である。謗法の色心を捨てて法華経真実の妙境・妙智の色心を顕すべきである。悪友は謗法の人々である。善友は日蓮等である。

臨終用心抄
第三に善知識に五箇の習いの事
 一、臨終には知識を勧むる事が肝心なる事 譬えば牧の馬を取るが如しの事
 一、常に善知識を得んことを祈るべし 並びに兼ねてこれを頼り置くべき事
 一、若し死病と定まらば早く病人に告知すべし。用捨無用の事
 一、只今と見る時、耳の側よりてすすむべき事
 一、死して六時七時も屍を動かすべからざる事

『開目抄』愚記
弘二末三十四に云く「法華を除く外の余の一切経には、但生生悪を為して相悩むと云えり」等云云。玄五七十一に云く「資成即ち業道とは、悪は是れ善の資なり。悪無ければ亦善も無し乃至提婆達多は是れ善知識、豈悪は即ち資成なるに非ずや」と云云。これ今経には善悪不二・逆即是順の妙旨を明かす故なり。


【善友】
○ 是を以て法華に云はく「悪知識を捨てゝ善友に親近せよ」と。止観に云はく「師に値はざれば、邪慧日に増し生死月に甚だしく、稠林に曲木を曳くが如く、出づる期有ること無し」云云。凡そ世間の沙汰、尚以て他人に談合す。況んや出世の深理、寧ろ輙く自己を本分とせんや。故に経に云はく「近きを見るべからざること人の睫の如く、遠きを見るべからざること空中の鳥の跡の如し」云云 (『蓮盛抄』 二九頁)

○涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と (『立正安国論』二四九頁)

○ かゝる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸ひをまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて、闇に灯の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼こへまはり、此へより、日女御前をかこみまぼり給ふべきなり。相構へ相構へて、とわりを我家へよせたくもなき様に、謗法の者をせかせ給ふべし。「悪知識を捨て善友に親近せよ」とは是なり(『日如御前御返事』 一三八八頁)
○若し善友に値ふ時は、失ふ所の本心を忽ちに見得するなり。所謂迦葉・舎利弗等是なり。善友とは釈迦如来、悪友とは第六天の魔王・外道・婆羅門是なり。所詮末法に入りて本心とは、日蓮が弘通の南無妙法蓮華経是なり。悪友とは法然・弘法・慈覚・智証等是なり(『御講聞書』一八五八頁 )

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日蓮正宗向陽山佛乗寺