日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成22年8月1日 広布唱題会

妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三

妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三(妙法蓮華経並開結五三五頁)

妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三

此の経は能く、 一切衆生をして、諸の苦悩を離れしめたもう。此の経は能く、大いに一切衆生 を饒益して、其の願を充満せしめたもう。清涼の池の能く一切の諸の渇乏の者に満つるが如く、 寒き者の火を得たるが如く、裸なる者の衣を得たるが如く、商人の主を得たるが如く、子の母 を得たるが如く、渡に船を得たるが如く、病に医を得たるが如く、暗に燈を得たるが如く、貧 しきに宝を得たるが如く、民の王を得たるが如く、賈客の海を得たるが如く、炬の暗を除くが 如く、此の法華経も亦復是の如し。能く衆生をして、一切の苦、一切の病痛を離れ、能く一切 の生死の縛を解かしめたもう。若し人、此の法華経を聞くことを得て、若しは自らも書き、若 しは人をして書かしめん。所得の功徳、仏の智慧を以て多少を籌量すとも、其の辺を得じ
(新編法華経・五三五)


【講義】

 この経文は、法華経が最高の教えであり、法華経の信仰で得られる功徳を具体的な例を挙げて示されます。ここでは、
○全ての人々は、心の中にある苦悩から解き放たれる
○全ての人々を豊かな心にして、願いを満足させる
等の功徳を挙げられております。さらに、具体的に譬えをもって説かれております。清涼の池とは、涼しく清らかな水が溢れている池のことで、そこに行けば、渇いたのどを潤すことができるばかりか、池からの涼しい風により、煩悩によって熱せられた身が冷まされる、ということです。以下、寒さに震える者が体を温める火を得たように、裸の者が衣服を得たように、旅の商人の前に案内者が現れて販路が開けたように、迷子が母親にめぐりあったように、渡し場で船を得たように、病の者がよき医師に出会ったように、暗闇の中での灯火のように、貧しい者が宝を得たように、民衆がよき指導者に恵まれたように、賈客が海を渡る船を得たように、炬が暗闇を除くように、この法華経も全ての衆生の、煩悩から起る一切の苦しみ、病からおこる一切の痛みから離れることが叶うのである。そうして、過去世からの生死生死の繰り返しで受ける、一切の苦しみから解放されるのである。仮りに人が、このように貴い法華経の教えを聞き、自ら書写するばかりではなく周りの人にも書写させるならば、その功徳は仏の智慧をもってしても計り知れないほど大きなものである、と。

 ここで説かれる法華経の功徳の偉大さが、素直に心にはいる人は成仏の境涯でしょう。功徳を信じることが第一歩です。

 日蓮大聖人様は『南条殿御返事』で、 
「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が、心中の熱気を除愈して充満其願如清涼池とうそぶきしも、彼此異なりといへども、其の意は争でか替はるべき。彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。是にて待ち入って候べし。哀れ哀れ申しつくしがたき御志かな、御志かな」(御書・一五六九頁)
と仰せになり、日蓮大聖人様の元に足を運ぶ信心こそ、法華経に説かれる功徳を受けることのできる修行である、と南条時光殿を通して教えて下さっております。すなわち、大聖人様の仰せのままに、という正直で素直な信仰が大切であることが示されているのです。

 唱題行に参詣の皆さま、日蓮大聖人様より唯授一人の血脈を御所時遊ばされる、御法主日如上人の御心に我が心を合わせ修行をするところに、成仏の功徳が具わる事を強く信じ、早期折伏誓願達成と、九月の支部登山に向かって精進を致しましょう。また、御参詣になっていない方々にも伝え、共どもに前進することが肝要です。涼しく清らかな池に到達する為に御精進を。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺