日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成22年11月13・14日 日蓮大聖人御報恩御講拝読御書

兄弟抄

兄弟抄 (平成新編御書九八〇頁)
建治二年四月  五五歳

兄弟抄 (御書九八〇頁)

又第六天の魔王或は妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、或は国王の身に入って法華経の行者ををどし、或は父母の身に入って孝養の子をせむる事あり


【通解】

また第六天の魔王が、あるいは妻や子供の身に入って親や夫の心を惑わし、あるいは国王となって法華経の行者を脅して修行を妨げようとする。あるいは父母の身に入って親孝行に励んでいる子供を責めることがある。


【語句の意味】

第六天の魔王 −欲界の第六天である他化自在天のこと。多くの眷屬をひきいて仏道を妨る働きをします。化他自在天は、「此の天は他の化する所を奪って、而して自ら娯楽するが故に他化自在天という」〔大智度論巻九〕とあります。魔は梵語のマーラ(摩羅)を略したもの。能奪命(のうだつみょう・能く命を奪う)、殺者(さつしゃ・殺す者)、障者(しょうしゃ、障りとなる者)等と訳されます。もとは磨の字があてられていたが、人々の心を悩まし様々な差し障りをなす用きがあることから、中国・梁の武帝の時に石から鬼に換えたといわれています。

@私たちの心を悩ませる煩悩などの用きをするもの、
A私たちが善きことをしようとしたときにそれを妨げる用きをするもの、
B私たちの仏道修行を妨げようとするもの、

があります。これらの魔は、ある時は仏身、ある時は菩薩身、さらには父母や師匠、妻子・兄妹・友人等ばかりか、財産や食べ物などの物質的なものにも成り代わって、私たちの心を悩ませる用きをします。これらの中でもっとも強大な魔のことを、第六天の魔王、といいます。
また、二魔といって、自身の心から起こる煩悩などのようなものを内魔、周囲の人や環境などによって引き起こされるものを外魔と分けることもあります。このほかに、三魔、四魔、八魔、九魔などの分類をして、種々説明されていることからも、仏道修行をする上から、避けて通ることのでができないものです。

三魔では、三昧魔・善知識魔・菩提法智魔が説かれます。最初の三昧魔は、自らの得た修行に満足して向上心がなくなるために正法の修行の妨げとなることをいいます。次の善知識魔は、教えを自らだけのものとして、他を導く心を失い、正法を修行する妨げとなることをいいます。菩提法智魔は、執着の心が強く、正法を覆い隠し智慧を失うものをいいます。

中国の天台大師は『摩訶止観』の中で、
「行解既に勤めぬれば、三障四魔紛然競い起る。昏を重ね、散を巨にして定明を翳す。随うべからず。畏るべからず。まさに之に随えば人をして悪道に向かわしむ。之を畏るれば、正法を修することを妨ぐ」
と説きます。意味は、覚ることを目指して修行に励むならば、三障四魔が必ず競い起こります。この三障四魔は、修行者の心を暗くし、心を乱して覚りの心を隠してしまいます。三障四魔に随ってはなりません。畏れてもなりません。随えば悪道に堕ちます。畏れるなら正法の修行がさまたげられます、ということです。これは、私たちのが正法修行に励む上での心構えを示されたものです。


『兄弟抄』
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競わずば正法と知るべからず」 (御書・九八六頁)

ア、『祈祷抄』
「元品の無明と申す第六天の魔王が一切衆生の身に入りて、仏をあだみて説かせまいらせじとせしなり」(御書・六二四頁)

イ、『治病抄』
「元品の法性は梵天・帝釈等と顕はれ、元品の無明は第六天の魔王と顕はれたり。善神は悪人をあだむ、悪鬼は善人をあだむ」(御書・一二三七頁)

○「元品の法性」とは、根本の悟りのことをいいます。
○「元品の無明」とは、衆生にもともとそなわっている根本の迷いのことです。

したがって、法華経の行者を守護する役目の大梵天や帝釈天も、反対に正法修行を妨げる用きの第六天の魔王も、共に「元品」つまり、我が心の中から起こるもなのである、というのが日蓮大聖人様のお言葉です。

私たちは、物事が思うようにはかどらないとつい他人のせいにします。しかし、責任を転嫁しても何もなりません。

そこで、日蓮大聖人さまは、

ウ、『就註法華経口伝』
「此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信の釈之を思ふべし云云」(御書.一七六四頁)
と仰せになるのです。即ち、責任転嫁をするのではなく、自らの力で乗り越えなさい、と。そのために御本尊様を信じるのです。全てはあなたの心の中から起こってきたことなのですから、解決できないはずはありません、と。

国王が、父母が、妻子が妨げとなって思うようにならないのは、本当は自分の心の中にある迷いが表に出ているのです。そのことに気づきいたならばそれは仏の心です。気づかずに退いたならばそれは凡夫の心です。仏の心になったならば、何事も解決し楽しく過ごすことができます。退いたならば、迷いや怒りの心、愚かな心のまま、苦しみの中で一生が終わります。ですから、疑わずに素直にお題目を唱へ折伏の修行に励みなさい、と教えて下さるのです。

お手植えの「ひめゆず」が陽光の中で高貴に輝き、その上にある真っ赤に熟れた花水木の実を、ヒヨドリが一日中啄んでいます。寒くなります。お体をご自愛下さい。先ずお題目です。御精進・御精進。


以上

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日蓮正宗向陽山佛乗寺