日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成22年12月5日 広布唱題会

聖愚問答抄

〜 折伏は末法の修行 〜

聖愚問答抄 (御書 四〇二頁)
文永五年 四七歳

聖愚問答抄 (御書四〇二頁)

時に正像末あり、法には大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失なり。然るに今の世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ誉れを擅にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし。


【通解】

時代には正法時代・像法時代・末法時代がある。法には大乗教・小乗教がある。修行には摂受と折伏がある。摂受の時に折伏の修行をするならそれは非である。また、折伏の時に摂受の修行をするなら失である。故に、現在は摂受の時か折伏の時かを知ることが第一である。摂受の修行の時とは、国中に法華経が弘まり、邪法邪師が一人もいなくなった時であり、その時には山林に籠もって、観念観法の修行に励み、五種・六種・十種等の修行をすべきである。
しかし、折伏の時にはそのようであってはならない。諸宗の邪義が様々に乱れ競い、それぞれが正しいと主張して名声を得、邪法が正法と肩を並べ、大乗と小乗のどちらが正しいかを争うような時には、万事を閣おいて謗法を責める時である。これが折伏の修行である。このことを知らないで、摂受と折伏とを間違うと成仏の功徳を受けるどころか、地獄に堕ちることは法華経・涅槃経の中で定められたことである。天台・妙楽の解釈にも分明である。このように、摂受か折伏かを知ることが仏道修行の上で大事なことである。


【指導】

仏道修行に励むのは「仏果」を得るためです。仏果を求めないものは仏道修行とはいいません。それは、声聞や縁覚の二乗が陥った、「灰身滅智」の修行に通じます。仏果を得るために、大聖人様は時を知るべきである、と御教示です。末法の今日は折伏の時です。間違っていることを間違っていると教え、正法に導くことが仏果を得るための末法の修行であることを肝に銘じ、人法一箇の大御本尊様を根本に、御法主上人のもとで堂々と進んでまいりましょう。日蓮正宗富士大石寺の信仰はこれ以外にありません。自他共の成仏はこの修行にかっかております。
年末をひかえ慌ただしい世相ですが、揺るぎない信心があれば乗り切ることが出来ます。共どもに御精進御精進。


【語句】

○「五種」というのは、受持・読・誦(じゅ)・解説(げせつ)・書写の5種の修行。
○「六種」というのは、最初の受持を「受」と「持」の2つに分けるので6種となる。
○「十種」というのは、10種類の修行法があるということ。六波羅蜜 ろくはらみつ 菩薩が涅槃の世界に入るために修める六つの行。すなわち布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定・智慧(般若)の各波羅蜜。六度。
十波羅蜜 じっぱらみつ 菩薩の実践すべき十種の修行。六波羅蜜に、方便・願・力・智の四波羅蜜を加えたもの。
○「蘭菊」とあるのは、ものが群になってたくさん並んでいる姿。諸宗の教義が様々に乱れ起きている様。
○「諸宗のおぎろ誉れを擅にし」とある「おぎろ」とは、奥深い、奥義とか深遠という意味。これは、諸宗それぞれが自分勝手に深遠の法門を立てて、名声をほしいままにしていること。
○天台『法華玄義』で、「法華折伏破権門理」

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