日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成23年2月6日 広布唱題会

五人所破抄

五人所破抄 (御書 一八八〇頁)

五人所破抄 (御書一八八〇頁)

一、 又五人一同に云はく、如法・一日の両経は共に以て法華の真文なり、書写読誦に於ても相違有るべからず云云。
 日興が云はく、如法・一日の両経は法華の真文たりと雖も、正像転時の往古、平等摂受の修行なり。今末法の代を迎へて折伏の相を論ずれば一部読誦を専らとせず。但五字の題目を唱へ、三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責むべき者か。此則ち勧持不軽の明文、上行弘通の現証なり。何ぞ必ずしも折伏の時摂受の行を修すべけんや。但し四悉の廃立二門の取捨宜しく時機を守るべし、敢へて偏執すること勿れ云云。


【通解】

 また五人が一同にいうには、如法経・一日経共に真実の教えを説かれた法華経の修行である。したがって、経文を書き写したり読誦する修行も末法の修行として正しいものであって、唱題の修行との功徳に違いがあるはずがない、と。
 日興が云く。如法経・一日経共に真実の教えが説かれた法華経の修行には違いないが、正法時代・像法時代の昔の修行であり、法華経摂受の修行である。今末法の時代を迎えて折伏の相を論ずるならば、法華経一部読誦を専らとするのではなく、ただ題目の五字を唱へ、三類の強敵からの攻撃を受けようとも、諸宗の師が説く邪義を破折することが大切である。この修行は法華経勧持品に説かれることであり、また同じく不軽菩薩品に説かれている明かな文証であり、上行菩薩が末法のに法華経を弘通する現証である。どうして折伏の時代に摂受の修行をするのであろうか。
 但し注意しなくてはならないことは、四悉檀の用い方、折伏と摂受の取り方は時代と機根を見極めることが大事であって、偏った考えであってはならない。


ポイント

 大聖人様が御入滅に際して定められた六人の高弟の内、日興上人以外の五人は「折伏」の二字を忘れて、法華経の写経や経文の読誦に重きを置いていたことを日興上人が破折された御文である。身延派等にあっては、現在でも折伏の修行ではなく、過去の修行である書写や読誦に拘泥して、日蓮大聖人様が教えて下さり、日興上人が唯授一人のお立場から正しく伝えて下さった成仏の修行から外れているのである。
 末法の成仏の修行とは、「折伏行」であることを日興上人がこの「五人所破抄」のなかで明確に御教示になっていることを肝に銘じ、自らの成仏のため、周りの人たちの成仏のために唱題を重ね折伏の修行に励むことが肝要である。

以上

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺