日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成23年4月13日 日蓮大聖人御報恩御講拝読御書

如説修行抄

如説修行抄 (平成新編御書六七〇頁)
文永一〇年五月  五二歳

如説修行抄 (御書六七〇頁)

法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。


【通解】

法華経において仏は、誤った教えや思想に支配される心を折き、正しい教えに信伏せしめることを説かれている。その教えのままに実践し、誤った教えやそれに従う人々に法華経の信仰をさせ、全ての人々が大御本尊の信仰に励み、一切の人々が声を揃えて異体同心の心で南無妙法蓮華経と唱えるならば、枝を折るような強が吹くこともなく、地面に穴をあけるような強い雨が降ることもなくなる。私たちの住む国土は、古代中国のに出現したという、伏義や神農が帝王として世を治めた時と同じように、争いや自然災害のない平和で穏やかなものとなるであろう。また、今生では天変地夭や病などで命を落とすこともなく長寿を得ることが叶う。三世の生命を説き明かした法華経を信じ、一切の人々が三世の生命を覚知したときに、この世の中が平和で安穏になり、来世は善きところに生まれ変わることが出来る、と法華経の薬草喩品第五のなかで仏が仰せられているような社会が出現する。このことを疑ってはならない。


【語句の意味】

○如説修行=説の如く修行をする、と拝する。日寛上人は、末法の正しい如説修行の姿について、「妙法を受持し、妙法を読誦し、妙法を解説し、妙法を書写するなり」と御教示されている。これは五種の妙行に約して説かれたもので、末法の私たちの修行から考えれば、御本尊様を固く信じ、唱題を重ね、日蓮大聖人様の御教え、御本尊様のこと、日蓮正宗のこと等を周囲の人々に説き聞かせることが五種の妙行にあたります。
また、「説の如の修行」とは、日蓮大聖人様のお説きになる如くに、「我が信ずるのみに非ず他の誤りおも戒めんのみ」と云うことです。
○折伏=誤った教や思想に支配される心を折き、正しい教えに信伏せしめること。
○権教・権門=仮りの教え。
○法王=ここでは法華経
○一仏乗=人々を悟りに導く教えを乗り物に譬えて「乗」を用いる。一仏乗は、但一つ仏の悟りに到達することができる教えの意。南無妙法蓮華経のこと。仏乗とも云う。法華経方便品には「如来は但一仏乗を以っての故に、衆生のために法を説きたもう」とある。意味は、仏は、但一つ仏の悟りに到達することができる教えを衆生のために説く、というもの。
○代はぎのうの世(義農)=義は伏義(ふくぎ・ふっき)、農は神農(しんのう)。ともに中国古代の伝説上の帝王。黄帝(こうてい)を加えて三皇といわれる。これらの帝王が治めた世は、争い事や自然災害のない平和で穏やかな世であり、人々は明るく楽しく暮らすことができた理想の世の中であったとされています。伏義は人々に網を作って漁の方法を教えたり、八卦を作ったと云われております。また神農は鋤(すき)や鍬(くわ)を作り、人々に農耕を教えたと云われております。
○不祥の災難=天変地夭や病気事故など一切の災いのこと。
○長生=長寿のこと。
○不老不死の理(ふろうふしのことわり)=法華経薬王菩薩本事品第二十三の文。法華経は一切衆生にとっての良薬であり、この経を聞いた者の病はたちまちに消滅し、不老不死となるであろう、と説かれている。
『経王殿御返事』には、
「当国の大難ゆり候はゞ、いそぎいそぎ鎌倉へ上り見参いたすべし。法華経の功力を思ひやり候へば不老不死目前にあり。たゞ歎く所は露命計りなり。天たすけ給へと強盛に申し候」(六八六頁)
と述べられている。
【通 解】
日本国に大きな難が起こったならば、急いで鎌倉に行ってお目にかかります。思いますに、不老不死が説かれる法華経の功徳の力は目前にあります。ただ、凡夫の嘆きは現世の命のことばかりです。でありますから、日蓮が貴女の現世の命のことを強く諸天に祈りましょう
日寛上人は、不老不死について、寿量品の説相、これを思え。「常に此に在って滅せず」、「常に此に住して法を説く」と述べられております。寿量品で、仏様が常にこの娑婆世界において法を説き衆生を導かれていることは、仏様の不滅・常住を明らかにされているのであるから、不老不死に相当する、とされるのである。また衆生も仏と同じく常住の生命である、と説かれている。
つまり、お経文で説かれる不老不死は、現世での命を永遠に持続する、という意味に捉えるのではなく、過去・現在・未来の三世に亘る生命観の上から見たものである。

○現世安穏の証文(げんぜあんのんのしょうもん)=法華経薬草喩品第五の文、「現世安穏・後生善処」が証明となっている、との意。意味は、法華経の修行に励むことは、現世を安穏にして来世は善きところに生まれ変わることができる、というもの。中国の天台大師は、『法華文句』で、「現世安穏・後生善処とは、即ち是れ報因に報果を感ず」と説き、現在の修行が因となって、来世には善き報いを受けることができる、と示されている。私たちの信心の上からみれば、現在の折伏の修行が善き原因となって、将来の善き結果を得るという、因果応報の原理がしめされている。

『如説修行抄筆記』〔総本山二十六世日寛上人が『如説修行抄』を御講義されたもの〕には、本日の拝読箇所について、『当体義抄』と対比して次のように御指南下さっております。
「 当体義抄にいう「正直に方便を捨て」とは、今の「法華折伏」より「法王の家人となし」というに当るなり。彼に「法華経を信じ」というは、今の「天下万民」より「繁昌せん時」までに当るなり。彼に「南無妙法蓮華経」とは、今「万民一同に」より「唱え奉らば」に当るなり。彼に「煩悩・業・苦」というより「即一心に顕われ」までは、今の文の「人法共に不老不死の理顕れん時」というに当るなり。彼に「其の人の所住の処は常寂光土」とは、「吹く風枝をならさず」已下の文に当るなり」
この御指南をわかりやすくすると次のようになります。 《 》の中は『当体義抄』 〔 〕は『如説修行抄』

《正直に方便を捨て》
〔法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし〕

《但法華経を信じ》
〔天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時〕

《南無妙法蓮華経と唱ふる人は》
〔万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば〕

《煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ》
〔人法共に不老不死の理顕はれん時〕

《其の人の所住の処は常寂光土なり》
〔吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり〕

当抄は、日蓮大聖人様の仰せのままに、御本尊様を固く信じ南無妙法蓮華経と唱へ、他にも勧める修行に励み、広宣流布の時を待つ信心に現世安穏・後生善処の命を開いて行くことが叶うと教えて下さる御文です。待ち遠しかった桜の季節も過ぎつつあります。次はお寺の「花水木」が楽しませてくれる季節です。御法主上人の御指南に随って一歩前に踏み出し、自他倶の幸福を祈り励みましょう。

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