日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成23年5月8日 日蓮大聖人御報恩御講拝読御書

上野殿御消息

上野殿御消息 (平成新編御書九二一頁)
建治元年  五四歳

@【世間一般に言われる孝養】

上野殿御消息 (御書九二一頁)

一に父母に孝あれとは、たとひ親はものに覚えずとも、悪しざまなる事を云ふとも、聊も腹も立てず、誤る顔を見せず、親の云ふ事に一分も違へず、親によき物を与へんと思ひて、せめてやる事なくば一日に二三度えみて向かへとなり

【通解】

古来儒教等では、四種の守るべきことを四徳として教え、その第一に父母への孝養をあげております。それには、例え親が筋道の違うことをしたり、他人の悪口を言ったりするようなことがあっても、腹を立てたり気分を害したような素振りを少しでも見せてはならないこと、また、親の言うことに少しでも逆らってはならないこと、さらには、親に贈り物をすること、さらにまた、何もすることがないときでも、せめて日に二三度は笑顔を見せて親に向かうようにしなさい、と説かれております。


A【仏教の孝養】

上野殿御消息 (御書九二二頁)

法華経こそ女人の成仏する経なれば八歳の竜女成仏し、仏の姨母?曇弥(おば・きょうどんみ)、耶輸陀羅比丘尼記?(やしゅだらびくに・きべつ)にあづかりぬ。されば我等が母は但女人の体にてこそ候へ。畜生にもあらず、蛇身にもあらず。八歳の竜女だにも仏になる。如何ぞ此の経の力にて我が母の仏にならざるべき。されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。我が心には報ずると思はねども、此の経の力にて報ずるなり。

【通解】

法華経こそが女人の成仏する教えであるから、八歳の竜女が成仏したのであり、釈尊の叔母にあたる?曇弥は法華経勧持品第十三において、具足千万光相如来(ぐそくせんまんこうそうにょらい)の記別を受けることが叶ったのです。さて、我等の母のことを考えてみるに、間違いなく女性の身であります。また畜生界の衆生でもなく、蛇の姿もしておりません。八歳のしかも畜生界の衆生である竜女が仏に成ることが叶ったのですから、どうしてこの法華経の功徳によって我が母が仏に成らないことがありましょうや。そのようなことから、法華経を持つ人は、父と母の恩に報いていることになるのです。我が心では父母の恩に報いていると思っていなくとも、法華経の仏力と法力によって親孝行が叶っているのです。


 当抄は、建治元年(一二七五年)に南条時光に与えられたものです。大聖人様はこの時身延におわしまし、御年五十四歳でした。この時の時光の年齢は十七歳です。時光が七歳の時に、鎌倉幕府の地頭であった父南条兵衛七郎が亡くなりました。時光は当時の慣例として、わずか七歳でありながら南条家の家督を継ぎ、富士上野郷の地頭として、多くの家臣や領民のための役目を担うようになりました。母が健在であったとはいえ、私たちには想像も出来ないような苦労があったことと思われます。

 時光は、亡き兵衛七郎が念仏の信仰を捨てて日蓮大聖人様の信仰に入り、家族一同に南無妙法蓮華経と唱えることを勧めたことを忘れることなく、益々強盛に信仰に励んでおりました。特に、亡き父への思いから、常に大聖人様に追善供養を願い出られていたことが御書を拝すれば明らかです。

 当抄では、世間一般の人間が生きて行く上で守るべき四徳と、仏教で示す四恩について述べられ、

「此の法華経を強く信じまいらせて、余念なく一筋に信仰する者おば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり。相構へて相構へて、心を飜へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後生善処なかるべし」

と結ばれて、遺された子供の時光が、法華経の信仰を生涯に亘って一筋に貫くことにより、現世安穏後生善処の大功徳を受けることができるようになる、そのことが亡き父に対する最も尊い親孝行である、と時光を励まし導かれております。

@の箇所では、世間一般に言われる「親孝行」について述べられております。これは、世法・仏法にかかわらず、人として生きて行く上で親孝行は大切なことである旨から挙げられたものです。ここでは、親の意見が道理ではなくとも逆らってはならない、等々と述べられております。親の立場としては、強調したい向きもあろうかと思いますが、これは仏法以前の教えであることを忘れないようにしなければなりません。ただ、「何もすることがないときでも、笑顔を見せることは出来ますね」と仰せになり、「それが親孝行ですよ」と教えて下さる大聖人様の御言葉は、御本仏の御教えとして心に留めておきたいものです。
 
Aにおいて、法華経を持つ、すなわち日蓮大聖人様が顕して下さった御本尊様を持ち、南無妙法蓮華経と信心に励むことこそ真実の親孝行である、と明示されます。ここで、八歳の竜女や?曇弥を挙げられたのは、法華経の教えの尊さを時光に教えられる意義の上からであると拝します。つまり、それまでの経文、法華経以前の教えでは不可能とされていた、犬や猫などの動物を含む畜生界の衆生と、人界であっても女人の即身成仏が法華経において明かされました。これは、全ての衆生に成仏の道が開かれたことであり、これこそが他の経々に比して、法華経が勝れた教えであることを、時光を通して、末代の弟子檀那に大聖人様が教えて下さるところです。

 また、「我が心では親孝行に励んでいることを意識しておらなくとも、御本尊様の仏力・法力によって知らず知らずのうちに親孝行が出来ている」との大聖人様の御言葉は有り難いものです。親への感謝の気持ちはあるのですが、その思いをなかなか行動に表すことが出来ない中で、大聖人様がこのように仰せ下さっておりますので、お題目を唱へ折伏をすることが一番の親孝行だと信じることが出来るからです。ことに、親が亡くなった後であれば尚更です。生前に孝養の誠を尽くしたと言っても、なお悔いるのが人としての心です。そのようなときにも、日蓮正宗の信仰を貫けば亡き親が喜んでくれる、と前向きに励むことができます。

 五月八日は母の日です。お母さんがお元気な皆さまは、感謝の心を表しましょう。何もなくても、にっこり笑うことぐらいは出来るでしょう。また、すでに他界されていたとしても、当抄で時光を通して教えて下さるように、私たちの信仰では、孝養は現世のみに止まらず来世にも及ぶのもでありますからむしろ益々励むべきことが肝要です。

B『上野尼御前御返事』では、

尼御前の慈父故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云云。子息多ければ孝養まちまちなり。然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云。(一五七五頁)

と仰せです。これは南条時光殿のお母さんが、亡くなった松野六郎左衛門入道の命日に際して、故人にはたくさんの子供がおり、親孝行のためにそれぞれが励んでおりますが、法華経の追善供養でなければ謗法である、と大聖人様にお手紙を差しあげました。この御文から、凡夫の心を中心とした親孝行は謗法でありかえって親を苦しめることになる、ということがよくわかっており、南条家の信仰を如実に物語っているもので、この信仰が総本山建立寄進に繋がっているといえます。

 母の日にあたって、真実の親孝行を考え、形だけになっている人々にそのことを教え、日蓮大聖人様の信仰に導くことが私たちの使命です。御精進をお祈りいたします。


以上

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺