日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成23年6月5日 広布唱題会

南部六郎殿御書

南部六郎殿御書 (御書 四六三頁)
文永八年五月一六日 五〇歳

南部六郎殿御書 (御書四六三頁)

眠れる獅子に手を付けざれば瞋(いか)らず、流れに竿を立てざれば浪立たず、謗法を呵責(かしゃく)せざれば留難(るなん)なし。『若し善比丘あって法を壊(やぶ)るものを見て置いて呵責せずんば』の置の字を畏(おそ)れずんば今は吉し、後を御らんぜよ、無間地獄(むけんじごく)は疑ひなし

                        
日如上人は、この御書を通して、
「ただ単に私たちが声高に『伏をしなさい』と叫んでと叫んでいるのではない。御本仏大聖人様が、私たちに対して『折伏しなければ幸せになれないぞ』と、このようにおっしゃっているということをお伝 えしたいと」と仰せになり、その上で、
「これは非常に厳しい御言葉でございまして、ここで大聖人様は『折伏をしなければ無間地獄は 疑いなし』と、ここまでおっしゃっておられるわけです。この『眠れる師子に手を付けざれば瞋らず、流れにさをゝ立てざれば浪立たず』というのは当然の理でありまして、やはり折伏は、私たちが『動く』ということが大事なのです。私たちは、座していたのでは絶対に幸せを掴むことはできない、折伏も達成することはできないわけです。

そもそも仏法、すなわち信仰というのは実践であり、体験なんです。行動なんですね。極端なことを言うと、信仰から実践というものを取ってしまったら、それは信仰ではないのです。それでは信仰とは何か。信仰とは観念ではないんです。まず一番基本になるのは、御本尊様の前に端座して、きちっと正座をして、そして手を合わせて御本尊様を見つめ、南無妙法蓮華経と唱える実践なんです。ですから『寝ながら勤行をした』なんていう話は聞いたことがないでしょう。それだったら誰でもできてしまいます。けれども、そうではない。まさに実践、体験なんですね。ですから、動かなければだめなんです。自行化他という上からも、まさに私たちが打って出ていかなければ折伏はできません。大体、末法の衆生というのは、本未有善の衆生ですから、相手のほうから法を求めて来ることなどはないのです。ここにも大勢の方がいらっしゃるけれども、自ら法を求めて入信したという方がいたとすれば、それは本当にごく稀な方なのです。やはり、私たちがきちんと折伏に打って出て、そして『あなたの行っている信仰は間違いですよ』『あなたの信仰に対する考え方は間違いですよ』と指摘して、『大聖人様の仏法でなければ幸せにはなれませんよ』ということを私たちが積極的に言っていかなければ、折伏にはならないのです。やはり、実践ということが大事なのです。

ですから、この御文にあるように、ただ座しているだけでは絶対に幸せは掴めないわけです。厳しい御言葉ではありますが、折伏を行ずる事は自らの成仏、幸福を実現することになる、との御言葉なのです」
と御指南です。

この御指南の要点を拝しますと、
一、折伏は日蓮大聖人様が仰せ下さる成仏のための修行である。
二、信仰は観念ではなく実践である。
三、積極的に打って出ることが折伏。
になります。「折伏を行ずる事は自らの成仏、幸福を実現することになる」とのお言葉を胸に、梅雨空に負けないよう六月の修行に励みましょう。

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