日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成23年12月4日 広布唱題会

題目功徳御書

題目功徳御書 (御書・一六七三頁)

題目功徳御書(御書一六七三頁)

功徳は先の功徳にたくらぶれば、前の功徳は爪上の土のごとし、法華経の題目の功徳は十方の土のごとし、先の功徳は一Hの水のごとし。題目の功徳は大海のごとし。先の功徳は瓦礫のごとし、題目の功徳は金銀のごとし。先の功徳は蛍火のごとし、題目の功徳は日月のごとしと申す経文なり


南無妙法蓮華経と御本尊様に向かい奉りて唱える功徳を教えて下さる御文です。
爾前経の功徳と法華経の題目の功徳を対比されます。

一、爾前経の功徳は、「爪の上の土」
  法華経の題目の功徳は、「十方の土」

二、爾前経の功徳は、「一滴の水」
  法華経の題目の功徳は、「大海」

三、爾前経の功徳は、「瓦礫」
  法華経の題目の功徳は、「金銀」

四、爾前経の功徳は、「蛍火」
  法華経の題目の功徳は「日月」

 爾前経の功徳として、「爪の上の土」と仰せになりますが、それは無に等しいものですから爾前の教えには功徳のないことを意味します。一方、「十方の土」は無量の意ですから、題目の功徳は計り知れないものである事を示されます。

「一Hの水」と「大海」の対比も同じです。爾前経にも一滴の功徳があるではないか、と心の曲がった人はいいそうですね。まさに屁理屈です。大海の水から見れば、一滴の水は無なのです。ここでの一Hは無であることを示されております。確かに、物理的に言えば、一滴の水は存在するのですからゼロではないでしょう。しかし、ここでは物理的な言いを仰せになっているのではありません。

 次の「瓦礫」は価値のない物の譬えです。一方の「金銀」は価値が勝れていることの譬えです。

 最後の「蛍火」と「日月」の譬えからも、御本尊様に向かい奉り、南無妙法蓮華経と唱題を重ねる功徳の大きさが分かります。

 素直な心で、正直に御本尊様に向かうことが如何に貴いことであるか、真っ直ぐに御本尊様を拝することの有り難さが心に染み入ります。

 題目の功徳を確信し、御法主上人の御指南のままに折伏に励みましょう。折伏が叶わないのは、功徳の確信がないからです。当抄に示される功徳の意を心肝に染め、功徳が受けられるのは法華経の題目意外にない、就中末法にあっては、本門戒壇の大御本尊様にお題目を唱える修行こそ、功徳を受ける唯一の方法である、と説き聞かせてゆくならば結果は明らかです。御書に示される如く、「功徳」を語ることは誠に大切なことでなのです。信心の功徳を高く掲げ、罪障深き人々を御本尊様に導いてまいりましょう。

 慌ただしい年末ではありますが、明るく楽しい唱題を重ね、雄々しく新年を迎えようではありませんか。

 本日は総本山で布教講演を命ぜられております。ご参詣の皆さまにはご理解の程お願いいたします。

以上

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺