日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成24年4月1日 永代経

信仰の功徳

功徳とは「積功累徳(しゃっくるいとく)」、「功能福徳(くのうふくとく)」のこと。
積功累徳は功を積み徳を重ねること。功能は原因となって結果を引き起こすことをいう。
福徳は、善い行いをすることにより善い報いを受けること。またその徳が備わった人。
『普賢勧発品』には、
「是の人は心意質直(しんにしちじき)にして、正憶念有(しょうおくねんあ)り、福徳力有らん。是の人は三毒に悩まされじ。亦嫉妬(しっと)、我慢(がまん)、邪慢(じゃまん)、増上慢(ぞうじょうまん)に悩まされじ」(妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八・新編法華経六〇五頁)
とある。
・心意質直=心が正直で飾り気がなく素直。
・正憶念=仏様の御心と違わない、仏様の教えをしっかりと心に記憶すること。
・福徳力=多くの人を幸福にすることのできる力。
・三毒=貪(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろか)という凡夫の迷いの根本にあるもの。
・我慢=自己を中心とした考えで、慢心の強い者。
・邪慢=悪いことをしていながら反省のない者。人に迷惑をかけていながら、相手のせいにする者。ストーカー行為をする者などは邪慢の代表例。
・増上慢=仏法を少しだけ学んで、すべてを知ったように思い、振る舞う者。

○普賢経に説かれる四法
法華経の功徳を受けるたの四法とは、
@諸仏に護念せられる
A諸の徳本を植える
B正定聚(しょうじょうしゅ)に入る
C一切衆生を救う心を発す
というもの。
@は、仏様に護られる、という絶対の心を持つこと。つまり、仏様を絶対と信じることにより仏様よりの加護を受けられる様になることをいう。
Aの徳本とは根本の徳ともいえるもので、この徳を得るためには仏様の御心のままに修行に励むことが唯一の方法である。換言すれば、仏様と共に、仏様の仰せの通りにと決意をして修行に励むことである。
Bは、必ず悟りにいたる、と心に定め、その実現に向かって進むこと。
Cはいうまでもありません。仏道修行の大目的です。

積功累徳を『提婆達多品』では
「我、釈迦如来を見たてまつるに、無量劫に於て、難行苦行し、功を積み徳を累ねて、菩薩の道を求むること、未だ曽て止息したまわず」(新編法華経 三六五頁)
と説かれている。
 これは釈尊が長い長い時間を費やして仏道修行に励んだことを述べられたところである。釈尊は難行苦行を重ねて功徳を積み福徳を累ねたのである。

日蓮大聖人の功徳
『観心本尊抄』
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ (御書・六五三頁)

具体的な功徳は、「六根清浄」
『御義口伝』では、
「功徳とは即身成仏なり、又六根清浄なり」(御書一七七五頁)
と仰せられている
 
六根清浄(日蓮正宗入門より))
 仏法では、衆生の苦悩の原因を迷いの生命の根源である煩悩から引き起こされるものと解明しています。その衆生の迷いの生命を浄化し、悪い性<さが>を断ち切るという果報が、まさに「六根清浄」の功徳なのです。

 六根の「根」とは、草木の根に譬えられ、私たちの生命が周囲のものを取り入れたり、認識する能力のことで、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六つの器官をいいます。
@眼根とは、視覚能力・視覚器官。
A耳根とは、聴覚能力とその器官。
B鼻根とは、嗅覚能力とその器官。
C舌根とは、味覚能力とその器官。
D身根とは、触覚器官としての身体とその能力。
C意根とは、前の五根によって得られた内容を統合判断する思惟能力、または知覚をいいます
 この六根が煩悩に覆われていると、外界の事象を正しく認識できないばかりか、それにともなう行動も誤ったものとなり、苦しみの原因を作ることになるのです。
 こうした業苦を消滅させるためには、六根そのものを清らかな状態にしていくことが必要です。
 『法師功徳品第十九』には、
「是の法華経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せん。是の人は、当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て、六根を荘厳して、皆清浄ならしめん」(新編法華経四七四頁)と説かれ、法華経受持の功徳によって、六根それぞれに多くの清浄の果報を得ることが明かされています。
 これを概説すると、次のようになります
@眼根の功徳‐すべての事象が明らかに見え、物事の因果を正確に知ることができる。
A耳根の功徳‐あらゆる音声から、実・不実を聞き分けることができる。
B鼻根の功徳‐あらゆる臭いを嗅ぎ分け、分別を誤ることがなくなる。
C舌根の功徳‐勝れた味覚を持ち、さらにその声は深妙となり、聞く者を喜ばせることができる。
D身根の功徳‐穏やかで健全な身体となり、外界の刺激に適合させ、自身を処することができる。
E意根の功徳‐心は清らかに、頭脳は明晰となり、智慧が深くなる。
 すなわち、六根清浄とは六根にそなわる煩悩の汚れが払い落とされ、物事を正しく判断できる智慧を得ることをいうのです。
 たとえば目が不自由であったとしても、妙法受持の功徳によって、肉眼以上の慧眼・法眼・仏眼を得ることができるのであり、このような功徳は他の五根にもつうじていえることなのです。

 日蓮大聖人は、
『御義口伝』で、
「功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり」(御書 一七七五頁)
と仰せられ、末法の法華経である南無妙法蓮華経を信じ唱える者には、必ず六根清浄の功徳がそなわると教示されています。

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