日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成25年1月13日 日蓮大聖人御報恩御講拝読御書

諸法実相抄

諸法実相抄 (平成新編御書六六六頁)
文永一〇年五月一七日  五二歳

諸法実相抄 (平成新編御書六六六頁)

いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。

【通解】

どのようなことがあっても、この度は信心を強盛にして法華経の行者として信仰を貫き、日蓮の一門として退転なく信心に励みなさい。日蓮と同じ心であればその人は地涌の菩薩と同じです。


 「団結前進の年」明けましておめでとうございます。檀信徒の皆さまにはお元気で新しき年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 昨年の佛乘寺は、折伏目標を大きく超える成果を挙げることが出来ました。これは、廣田講頭のもとで、室井折伏推進委員長を中心に、檀信徒の皆さまが心を合わせて精進を重ねた結果です。本年もなお心を引き締め、自他ともの成仏を目指し、励んでまいりましょう。

 さて、本年は『団結前進の年』と銘打たれました。「異体同心」の信心をさらに推し進める意義が込められていると拝します。日蓮正宗での団結とは、申すまでもなく宗祖日蓮大聖人様の御心の下で、法華講衆が心を一つにすることです。


【大聖人様と同じ心で】

 拝読の御文では、
「日蓮と同意ならば」
と述べられております。これは団結の絶対条件を明らかにされたもので、大聖人様と同じ心、つまり末法において折伏の修行に励むことを「日蓮と同意ならば」と仰せなのです。ただ御題目を唱えているだけで充分と思っていると、「同意」には至りません。常に、広宣流布のことを思い、体が動かないまでも心を広宣流布のために動かしている人は、大聖人様と同じ心であるといえます。そのような人には、有り難いことに、
「地涌の菩薩たらんか」
とのお誉めの言葉を賜ることが出来ます。


【総別の立て分けが功徳と罰の分かれ目】

 ただし、この「地涌の菩薩」との仰せは、総別の上から拝することが肝要です。つまり、末法御出現御本仏日蓮大聖人様ただお一人が地涌の菩薩であられ(別しての意)、私たちはどこまでいっても、大聖人様の眷属であり、地涌の菩薩の眷属である(総じての意)、との謙虚な心構えでなくてはなりません。総別が理解できないと、平等偏重思想に陥り、池田大作をして、末法における二人目の法華経の行者、というような邪義を信仰する創価学会のようになるのです。「南無妙法蓮華経」と御題目を唱えていても、この「総別」をわきまえないと、大謗法となり無間地獄の苦を受ける彼らを反面教師とすることが出来ます。

 「総別」をわきまえるとは、具体的に申しあげるならば、御法主上人の御指南のもとで信心を励む、という一言に尽きます。つまり、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」との仰せは、唯授一人の血脈を御所持遊ばされる御法主上人の御指南を拝しての上でなければなりません。

 日興上人以来、日蓮正宗に連綿として流れる信心に立ち、総別をわきまえ、「日蓮大聖人様と同意」することにより、大きな功徳が受けられることを自覚すべきです。


【「城者破城」の心を戒めて前進】

 また、『生死一大事血脈抄』には、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」 (五一四頁)
とあります。ここで仰せのように、日蓮大聖人様のお心を我が心として、「異体同心」の信心に励むならば広宣流布の大願が叶えられるが、「異体異心」であれば、「異体同心」の団結をも破壊することになると、注意をされていることも忘れてはなりません。「城者破城」は、いくら強固な守りがあっても、城の中に裏切り者がいれば内部から崩壊することをいいます。「獅子身中の虫」も同じ意です。百獣の王である獅子であっても、自らの身体に巣くう寄生虫などによって身を破られるのです。


【御法主上人のご指を根本に】

 法華講衆の堅い団結も、要は一人ひとりの決意に尽きるということです。その団結の中心は大御本尊様であり日蓮大聖人様の御教えです。そして現在にあっては、御法主上人の御指南がその中心であることは申すまでもありません。

 『上野殿御返事』には、
「よくふかく、心をくびゃうに、愚痴にして而も智者となのりしやつばらなりしかば、事のをこりし時、たよりをえておほくの人をおとせしなり」(一一二三頁)
とあり、大聖人様の御在世にも、「異体異心」「獅子身中の虫」の者がいたことが伺えます。御文の意は、日頃から欲が深く名聞名利に溺れ、臆病で愚かにもかかわらず少しばかり物を知っているような者たちは、いざ事が起こると、魔がその者の心に入り、周囲の者たちを退転させる、というものです。

 御在世にも、何か事が起こったときに、強欲でしかも臆病な者が、物知り顔にあれやこれやと言いつのって、周囲を退転に至らしめることあったのです。これは、今日にあっては、特に注意をしなくてはなりません。


【折伏の実践が一切の根源】

 ただし、皆のことを思っての言葉や振る舞いと、自己の心が中心となって表れる言動には自ずから違いがあります。その違いを判釈するのは、折伏の実践があるか否かだといえます。

 過ちは誰にでもあることであり、それが「城者破城」とはいえません。恐ろしいのは、「日蓮と同意」の心ではなく、我が心が中心となっている時です。繰り返しますが、私たちの一切の価値基準は、「日蓮と同意」です。このことを呉々もお忘れなきように念願致します。

 広宣流布に向かう私たち法華講衆にあっては、「異体異心」を戒め、「城を破る者」にならないように、と本年を、「団結前進の年」と銘打たれた御法主日如上人の御意を体し、互いに励まし合い、より一層精進をいたそうではありませんか。


以上

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日蓮正宗向陽山佛乗寺