日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成25年3月1日 永代経

法華七譬(法華七喩)

三車火宅(さんしゃかたく)の譬え

法華七譬(法華七喩)

○法華の七譬(しちひ)

 法華経には七種類の「たとえ」が説かれております。それを「法華七譬」、あるいは「法華七喩(ほっけしちゆ)」といいます。


【七種の譬】
@三車火宅(さんしゃかたく)の譬え。
  譬喩品(ひゆぼん)第三に説かれます。
A長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬え。
  信解品(しんげほん)第四に説かれます。
B三草二木(さんそうにもく)の譬え。
  薬草喩品(やくそうゆほん)第五に説かれます。
C化城宝処(けじょうほうしょ)の譬え。
  化城喩品(けじょうゆほん)第七に説かれます。
D貧人繋珠(びんにんけいじゅ)の譬え。または、衣裏珠(えりじゅ)の譬え。
  五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)第八に説かれます。
E髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の譬え。
  安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四に説かれます。
F良医病子(ろういびょうし)の譬え。
  如来寿量品第十六に説かれます。
以上の七種です。

 お経文に多くの譬喩が説かれる理由を、『方便品』では、佛が舍利弗に対して、次のように述べられております。
「諸の衆生に、種種の欲、深心の所著有ることを知って、其の本性に随って、種種の因縁、譬喩、言辞、方便力を以ての故に、而も為に法を説く。舎利弗、此の如きは皆、一仏乗の一切種智を得せしめんが為の故なり」(新編法華経 一〇四頁)
少し分かりやすくしてみますと、
「(仏様は)諸々の衆生に、種々の欲があり、心の奥深いところ、執着があることを知っています。衆生のそのような本性に随って、様々な因縁や譬喩や言葉や、方便の力を用いて衆生を導く為に法を説きます。舍利弗よ、このような方法を用いるのは、仏の最高の智慧を得て、成仏するための教えを悟らせるためです」
という意味でよいかとおもいます。

 また、中国の天台大師は、『法華文句』で、
「譬とは比況なり、喩とは暁訓なり。(中略)其れをして悟解せしむ。故に譬喩という」
と示されます。ここで、「譬」は比況(ひきょう)、つまり他と比べてそれに譬えることであるとされます。また「喩」は、暁訓(ぎょうくん)つまり、教え諭すことであると述べられております。このことから、法華経で譬喩が用いられるのは、「難解難入」である法華経を、私たちの身の回りのことに譬えて、成仏という幸福境界に導く上からのものであることがわかります。悟解とは悟りを開くことです。

○一仏乗=乗は、私たち迷いの凡夫を、悟りの世界に導く教えを、乗り物に譬えた言葉です。一仏とは唯一の教えのことで、成仏の教えを説く法華経のことです。一乗とか仏乗といういい方もします。
○一切種智=声聞・縁覚の二乗の智慧を、一切智(いっさいち)といい、菩薩の智慧を、道種智(どうしゅち)といいます。それに対して、仏の智慧を、一切種智(いっさいしゅち)といいます。二乗の一切智と、菩薩の道種智を兼ね備え、平等即差別、差別即平等を説く最高の智慧のことをいいます。

 宗祖日蓮大聖人様は、『当体義抄』で、妙法蓮華経を譬えをもって明らかにする理由を、
「天台大師云はく『妙法は解し難し、譬へを仮るに彰はし易し』と釈するは是の意なり」(御書・六九六頁)
と御教示です。難しい妙法の教えではあるが、譬えをもってすれば理解しやすくなる、という言葉です。

 以上のようなことから、お経文に「譬喩」が説かれるのです。


【三車火宅(さんしゃかたく)の譬え】

 三車火宅の譬は法華経の譬喩品第三に説かれております。三車とは三種類の車のことです。羊車(ようしゃ)、鹿車(ろくしゃ)牛車(ごしゃ)をいいます。字のごとく、羊がひく車、鹿がひく車、牛がひく車の意です。火宅は燃えさかる家を私たちが住む娑婆世界に譬えます。小説の「火宅に人」を思い浮かべる方も少なくないでしょう。


【お経文に説かれる三車火宅の譬え】
《お経文には、長者と大勢の子供たち、仏様と舍利弗が出てまいります》

 ある所に、長者がおりました。長者は年をとり、老い衰えましたが、財富無量でした。多くの田畑や屋敷があり、多数の従僕を抱え、広大な屋敷に住んでおりました。その屋敷には門は一カ所のみでした。(中略)

 ある時、突然屋敷の周りから一時に火の手があがり、たちまちに屋敷は炎に包まれてしまいました。その時に、屋敷の中には、長者の子供たちが十人・二十人・三十人とおり、外の火事に気づかずに遊ぶことに夢中になっておりました。長者は火事に気づいて外に出ましたが、子供たちは、火事であることも知らず、恐れることもなく、火が回って苦痛が我が身をさいなもうとしていることにも気づかずに、外に出ようとする気持ちは全くありませんでした」

《ここまでが、長者とその子供たち、そして火事になった、という状況の説明です。そして、そこから子供たちを救うために長者が講じた手立てが次に説かれます》


【どのような方法で子供たちが救われたか】 

 長者は子供たちを救うためにはどのような手立てがあるかを考えました。力ずくで外に連れ出そうか、あるいは火事の恐ろしさを説いて外に導いたほうがよいだろうか、と。そして、子供たちに、
「早く外に出なさい。さもなければ火事で焼け死んでしまうぞ」
といいました。さらに、巧みな言葉を使って外に誘い出そうとするのですが、遊びに夢中になっている子供たちは、長者の言葉を信じられず注意を受け入れようともしませんでした。火事を恐れず、また驚きもせず、そのまま遊びを続けておりました。子供たちは、火事とはなんであるか、焼けるということはどのようなことなのか、それさえも知らずに目の前の楽しみしか興味はなかったのです。

 そこで長者はさらに手立てを設けました。それは子供たちが、色々な玩具や珍しい物ものを欲しがっていることを知っていましたので、
「門の外には珍しい玩具があり、今行くことでそれらが手に入るであろう。門の外には羊車・鹿車・牛車が置いてある。それで遊ぶがよい」
と。長者の話を聞いた子供たちは、自分たちが日ごろから欲しがっていた物が門の外にあることを知り、先を争って外に出ました。そして、父である長者に向かって、
「先ほど仰っていた、羊車・鹿車・牛車を与えて下さい」
と願いました。すると、長者は、
「羊車・鹿車・牛車よりも大きくて、七宝や美しい花で飾られた立派な車を皆に与えよう。その車は、真っ白で大きな牛がひき、どの車よりも速く進むことが出来る」
といって、大白牛車という立派な車をそれぞれの子供に与えたのです。

 長者が大白牛車を一人ひとりの子供に与えたのは、蔵には計り知れない富が蓄えられており、幾らでも与えることができたからです。また、長者は、劣っている小さな車を子供たちに与えるべきではない、とも考えたのです。

 長者は、国中の子供たち全てに、七宝で飾られた大きな車を与えても、財物が無くなることはありません。ですから、みな平等に分け隔てなく七宝で飾られた大きな車を与えたのです。子供たちは最初に望んだものではありませんでしたが、この立派な乗り物である大白牛車に大喜びでした。


【仏様の質問】

 ここで、仏様が舍利弗に次のような質問をしました。
「長者が大白牛車を与えたことをどのように思うか。羊車や鹿車や牛車ではないものを与えたことは偽りではないのか」
舍利弗は答えます。
「長者は子供たちを火事から救うためにしたことであり、偽りではありません。なぜならば、命を全うすれば玩具を手にすることが出来るからです。火に包まれた屋敷から救い出したのですから偽りなどというものではありません。長者が小さい車さえも与えなかった、としても偽りではありません。なぜならば長者は、子供たちの命を救うことを第一に思っていたからです。ましてや長者は、子供たちに平等に大きな車を与えたのでありますから、偽りなどあるはずがありません」
と答えました。

この答えを聞いた仏様は、
「善き哉、善き哉、汝が所言の如し(よろしい、よろしい、貴男のいう通りである)」
と、舍利弗をおほめになりました。

 この譬の、羊車・鹿車・牛車は声聞・縁覚・菩薩の三乗を表しています。また、大白牛車は仏乗のことであり、長者は仏様のことであり、子供たち、私たち一切衆生のことです。さらに、火に焼かれる屋敷(火宅)は、貪・瞋・癡の三毒におかされ、煩悩のおもむくままに、生死生死を繰り返し、六道輪廻する娑婆世界を譬えています。

 また仏様が、声聞・縁覚・菩薩の三乗の方便の教えを説かれた理由をここで示されております。仏様は神通力や一切種智力をもっておられますから、直ちにそのお力で衆生を導かれたらよいのではないか、と思われるかもしれません。ところが、あまりにも貴い教えをもって示しても、理解することが出来ない故に、三乗の方便をもって人々を導いたのです。それは、火事の中にあっても、そのことに気付かずに遊んでいる子供に対して、「火事だぞ逃げなさい」といくらいっても聞かなかったようなものです。欲しがっていた玩具がある、と方便を用いて外に誘い出すことと同じです。

 さらに、外に出た子供たちに、三乗の車を与えるのではなく、一乗である大白牛車を与えることで、無上の教えに導いたのです。大白牛車を知らない子供たちは、その貴さが分かりません。ですから、方便の教えを説かれたのです。


【三車火宅の譬えを私たちの立場で拝すると】

 大聖人樣は『御義口伝』で、
「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、大白牛車に乗じて直至道場するなり」(御書・一七三三頁)
と示されます。御文の意を拝しますと、私たち末法の凡夫も、大聖人樣の教えて下さった南無妙法蓮華経の修行をすることで、大白牛車に乗せて頂き、仏様の道場に直ちにお参りが叶う、という意味です。さらに、
「一門とは法華経の信心なり、車とは法華経なり、牛とは南無妙法蓮華経なり、宅とは煩悩なり。自身法性の大地を生死生死と転(めぐ)り行くなり云云」
と御教示です。

 これは、三車火宅の譬を、私たちの立場で捉える上からのお言葉です。ただ一つしかない門に入ることは、「法華経の信仰をすることである」と示されます。そして、「文底の法華経」という車に乗り、「南無妙法蓮華経」とエンジンを回転させて前進することにより、悩みや苦しみを解決して、私たちの命の中にある仏性を開くことが叶う、と教えて下さるのです。

 御本尊様を信じて、大聖人様の仰せのままに修行に励むことで、三界の迷い、六道輪廻の苦しみの世界が、最高の大地、つまり素晴らしい所に変わり、その地にあって一切衆生のために、仏様の使として大白牛車に乗り、自在に活動するこが出来るのです。

 私たちは、この苦しみの中にある、と悲観的に考えるのではなく、最高の御本尊様に導かれてこの娑婆世界に在って、仏様のお使いをしている、と積極的な心を持つことを教えて下さっている、と拝することが大切です。


【佛乘寺が開創されて五十年・昭和三十八年三月二十五日建立】

 佛乘寺の名前の由来は、この三車火宅の譬に説かれる、一仏乗からのものです。総本山六十六世御法主日達上人が命名下さいました。仏乗は仏様の乗り物です。どこへでも自由自在に連れて行って下さる最大最高の乗り物に私たちは乗ることが出来ております。こんな素敵なものに乗ることが出来ているのも、過去からの貴い因縁があるからです。過去の因縁をさらに良きものにするために、また佛乘寺の名に恥じないように、日如上人のもとで、大聖人様のお手伝いをいたしましょう。皆が佛乘寺に縁をして、仏様に乗せて頂くことが叶うことを目標として、声を掛け合いましょう。

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