日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成25年5月1日 永代経

法華七譬(法華七喩)

○法華経に説かれる七種の譬え 第三 『三草二木の譬え』

法華七譬(法華七喩):法華経に説かれる七種の譬え 第三 『三草二木の譬え』

○法華経に説かれる七種の譬え 第三

『三草二木の譬え』
【妙法蓮華経薬草喩品第五】 (新編法華経・二一五頁)

迦葉、譬えば三千大干世界の山川、谿谷(けいこく)、土地に生いたる所の卉木叢林(きもくそうりん)、及び諸の薬草、種類若干(しゅるい そこばく)にして、名色各異(みょうしきおのおのことな)るが如し。
密雲弥布(みつうんみふ)して、遍く三千大干世界を覆い、一時に等しくぐ(そそぐ)。其の沢(うるおい)、普く卉木叢林、及び諸の薬草の小根小茎(しょうこんしょうきょう)、小枝小葉(しょうししょうよう)、中根中茎、中枝中葉、大根大茎、大枝大葉に洽(うるお)う。諸樹の大小、上中下に随って、各受くる所有り。一雲の雨らす所、其の種性に称(かな)いて、生長することを得、華菓は敷(ひら)け実る。一地の所生、一雨の所潤(しょにん)なりと雖(いえども)も、而も諸の草木に、各差別有り。迦葉、当に知るべし。如来も亦復是の如し。世に出現すること、大雲の起るが如く、大音声を以て、普く世界の天、人、阿修羅(あしゅら)に遍(へん)せること、彼の大雲の遍く三千大千国土に覆うが如し
【要約】

迦葉よ、譬えば、世界中の山や川や谷や大地に生えている、大きな木や小さい木、密集して生えている木も一本だけ生えている木も、あるいは多くの草に付いて考えてみましょう。それらは、種類はたくさんあり、名前もそれぞれに違います。形も性質も違います。
そのようなところへ、雲が出て世界中を覆って、一時に雨が降りそそいだとします。降りそそいだ雨は、全ての木や草に等しく降りそそぎました。大きな木にも小さな木にも、薬草の小さな根や茎、木枝乎小さな葉っぱにも、大きな枝や大きな葉っぱにも雨は降りそそぎました。
木にも大小があり、大きさによって降りそそぐ雨の量は違います。雲から降る雨はおなじですが、受ける木や草によってそれぞれに、花が咲いたり実を付けたりします。雨が降りそそぎます。
同じ大地に生えており、同じように雨が降りそそいだとしても、草木にはそれぞれに違いがあり同じように成長はしません。
迦葉よ、如来もこれと同じなのです。この世の中に出現して、人々を導くのは雲が大空を覆って雨を降らすのと同じです。大声で天界や人界や修羅界の衆生を導かれるのです。


【ポイント】

 三草とは経文に、「諸の薬草の小根小茎、小枝小葉、中根中茎、中枝中葉、大根大茎、大枝大葉」とありますように、三種類の薬草のことです。この薬草には、細や茎が細く小さい草もあれば、根や枝も太く、葉も茂っている薬草もあります。このように分別して三草に譬えるのです。

 二木は、「諸樹の大小」と経文にありますように、「大樹」と「小樹」のことです。

 天台大師は、法華文句巻で、「小さい薬草」を人界と天界、「中の薬草」を声聞界と縁覚界の二乗とし、「大きな薬草」と「小樹」および「大樹」を菩薩界の衆生としています。またその中でも、「大きな薬草」は蔵教といって小乗の教えをもとにして修行に励む菩薩に譬え、「小樹」は通教の菩薩、「大樹」は別教の菩薩にあたる、と説いております。
『三世諸仏総勘文教相廃立(さんぜしょぶつそうかんもんきょうそうはいりゅう)』

「薬草喩品の疏には、円教の理は大地なり、円頓の教は空の雨なり。亦三蔵教・通教・別教の三教は三草と二木となり。其の故は此の草木は円理の大地より生じて、円教の空の雨に養はれて、五乗の草木は栄ふれども、天地に依りて我栄えたりと思ひ知らざるに由るが故に、三教の人天・二乗・菩薩をば草木に譬へて説きたり。不知恩の故に草木の名を得。今法華に始めて五乗の草木は、円理の母と円教の父とを知るなり。一地の所生なれば母の恩を知るが如く、一雨の所潤なれば父の恩を知るが如し。薬草喩品の意是くの如くなり」(御書・一四一九頁)
【意訳】

 薬草喩品を解釈した書物には次のように述べられております。法華経の教えは大地に譬えられます。円教と頓教は降る雨に譬えられます。また、仏教の初門である三蔵教、大乗教の初門である通教、菩薩のためだけに説かれた別教の三種の教えは、三草と二木に譬えられます。その理由は、これら草木に譬えられる教えは法華経の教えが根本にあって説かれたものだからです。根本にある法華経の教えに導かれて、人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界の五乗の衆生は功徳を受けたのです。ところが、法華経の教えによって功徳を受けたことを知らずに、自らの修行によって功徳を受けたと思い込んでおります。そのようなわけで、蔵・通・別の三教を修行した、人・天・声聞・縁覚・菩薩を草木に譬えるのです。恩を知らないので、非情である草木の名を付けられたのです。この度、法華経の教えを始めて聞き、人・天等の五乗は、円満で欠けることのない教えである法華経が一切の教えの元とであることを理解しました。法華経が一切の教えの父母であることに気づいたのです。同じ母から生まれた子供たちが母親の恩を知るのと同じです。同じ父に導かれた子供が父親の恩を知るのと同じです。薬草喩品で説かれる三草二木の譬えはこのようなことです。


《拝読の手引き》

 この譬を聞かれた迦葉は、釈尊の十大弟子の一人で、頭陀第一といわれております。頭陀第一とは、修行が最も貴かった、と言われております。

 その迦葉を代表として、三草二木が説かれました。先月学んだ、「長者窮子の譬え」では、「無上宝聚・不求自得」が説かれておりました。この上もない最高の宝物を、自ら求めることなく自然に手に入れることが叶った、と窮子が悦んだことを覚えていると思います。南無妙法蓮華経と御本尊様に御題目を唱えることにより、知らず知らずのうちに功徳を頂き、心豊かになった皆様と同じです。

 また、先々月は、「三車火宅の譬え」を学び、燃えさかる家の中にいることに気づかず、遊びほうけている人々とは違い、日蓮大聖人様の仰せに素直に随って、南無妙法蓮華経の大百牛車に載せていただいていることの有り難さを再度認識いたしました。

 この「三草二木の譬え」では、法華経こそ最高最大の教えであり、その教えは一切衆生に平等に降りそそいでいることを雨に譬えて教えて下さっております。しかし、凡夫である私たちは、法華経以外の低い教えに執われている心を打ち破るために説かれるのです。

 この「薬草喩品」において、仏は自らを地球全体を覆う雲に譬え、そこから降りそそぐ雨を教えに譬え、草木を一切衆生に譬え、雨が降れば平等に潤いを受けられる例を挙げて、仏の広大な慈悲も差別無く衆生に降りそそいでいることを述べられます。また、衆生にも、様々な機根といって、教えを受けとめる力の差がありますが、みな平等に仏の慈悲は受けることができる、と説かれます。

 私たちは、生まれながらにして、色々な違いの中にあります。男女の違いはもとより、生まれた国にも違いがあります。このような私たちの世界の有り様を、大小の草木に譬えて説かれている、と拝することができます。人としての違いはない、全てに平等に仏の慈悲はそそがれている、と教えて下さっているのです。一人残らず幸福になれる、というお言葉です。


《大聖人様の教え》

 大聖人様が、『総勘文抄』で仰せ下さることは、声聞や縁覚、また菩薩等は、法華経以前の教えで満足しており、自行のみに執着している不知恩の者たちである、と厳しく破折されます。換言すれば、仏法の一切が久遠の教えである南無妙法蓮華経が根本であり、そこから出てきた教えであることが理解できない末法の衆生を誡められた御言葉なのです。念仏宗や真言宗、また禅宗などの低い教えに満足してそれ以上を求めようとしない人々が、このお経文に説かれる「草木」です。貴い姿で、仏教のことを語る人達がテレビやラジオに出てまいります。色々な書物を出版したりして、仏教のことを説いております。しかし、彼等は残念ながら、「不知恩の草木」なのです。仏教の根源を知らず、浅い教えに執着をして、多くの人々をさらに深い迷いの世界に導いているのが実状です。

 私たちは、過去世からの貴い縁により、一切衆生に平等に降りそそぐ三大秘法の南無妙法蓮華経を信じ持つことが叶っております。ゆえに、「恩を知る信仰」であり、それはとりもなおさず「親孝行な信仰」を行じていることになります。
「法華経は孝経」(御書・五六三頁)
と大聖人様が『開目抄』で教えてくだっさっておりますように、南無妙法蓮華経と唱える私たちは、真の親孝行な子供であると、自信と誇りを持って進んでまいりましょう。

 今月は母の日があります。来月は父の日です。お元気であれば
「せめてやる事なくば一日に二三度えみて向かへとなり」(『上野殿御消息』御書・九二一頁)
との仰せを実践しましょう。お墓に入られているなら、御題目を唱えましょう。最も貴い孝養が叶います。ご精進下さい。

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