日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成25年11月1日 永代経

敬台院

【敬台院関係継図】



※敬台院と蜂須賀至鎮との長女、芳春院は池田輝政三男・忠雄に嫁ぐ。後に鳥取藩主となった長男・光永が母芳春院の菩提のために日香寺を建立寄進


入信 日精上人より折伏を受ける

「日精上人若年のとき、江府下谷常在寺に寓居在って能書の名有して、依て尊尼公、之を聞し召し日精を招き(乃至)妙法蓮華経一部八巻を書写せしめ給い、随ってその書写のいとまいとま、ことに宗門の功徳無量なる旨を聴聞し終に深く妙法不思議の門に入り」(敬台寺三百三十年史)。


御影堂の御供養

〇元和九年(一六二三年)江戸鳥越に法詔寺を建立(富士年表)。

〇寛永九年(一六三二年)十一月十五日御影堂建立御供養。
「大施主松平阿波守忠鎮公の御母儀、敬台院日詔信女敬白 日精養母也」(御影堂棟札)。
・忠鎮(ただしず・阿波蜂須賀家二代藩主忠英のこと)。
・この年は、日興上人・日目上人の三百遠忌。また、家康十七回忌、蜂須賀至鎮十三回忌にあたる。

○《寛永十四年(一六三七年)》御法主上人が江戸城中まで駕籠に乗ったままで入ることが出来るように取り計らった(富士年表)。

☆総本山十八世日盈上人から十七世日精上人へのお手紙
「来春公方様へ御礼の砌り、乗り物にて下乗まで御赦免仰せ付けられ候趣、彼是敬台院様のお陰と目出度く存知候」(日蓮正宗聖典七六二頁)。

◇《 同年 》総本山大石寺への朱印状下附のことを幕府重役伊丹康勝に依頼す。これによって、日興上人以来の大石寺寺領が正式に安堵されることになった(富士年表)。 

〇《寛永十五年大石寺基金として七四一両を御供養》(富士年表)。

○《寛永十九年(一六四二年)六月三日設立》細草檀林を建立御供養(富士年表)。

○《正保二年(一六四五年)十月二十七日》法詔寺を阿波に移し心連山敬台寺を建立御供養(富士年表)。

※徳島矢上に正法寺を再興。「一村全部を法華宗に改宗させたというから、信仰心が強いだけではなく、性格的にもしっかりした女性だったのだろう」(徳島県史五一頁)。
「この事実は仏教史上でも希有な出来事である」(阿波の仏教史九十二頁)。

○本玄寺建立御供養(敬台寺三百三十年史)。現在は岐阜県美濃市に移転。


晩年

阿波徳島城西の丸にあって、先だった夫蜂須賀至鎮や長女の芳春院の追善供養に励み、寛文六年一月四日、七十四歳の生涯を終えた。墓所は徳島敬台寺にある。敬台寺の裏山にある灯籠は、徳島城の天守閣にある灯籠と一対となっており、敬台院の命日には代々の藩主が灯籠に向かい手を合わせ、領国領民の安泰を願った、と伝えられている。


《エピローグ・敬台院の信仰》

「徳川家から嫁入ってきたお虎の方(敬台院)へ対する、まわりの眼にはきびしいものがあったと思われるが、それに堪える強靱さが彼女にはあった。性格も強かったにちがいないが、何よりも法華経への激しい信仰が、彼女を支えていた」(徳島県史 四七頁)。


戒名 敬台院殿妙法日詔大姉(きょうだいいんでんみょうほうにっしょうだいし)

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