日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成26年2月7日 興師会(日興上人御報恩御講)拝読御書

日興遺誡置文

〜 日興上人様の御教え 〜

日興遺誡置文(平成新編御書一八八四頁)

日興遺誡置文 (平成新編御書一八八四頁)

一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。
一、五人の立義一々に先師の御弘通に違する事。
一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。    


【通解】

一、富士大石寺の立てる教は日蓮大聖人様の示されたとおりであり、少しの相違もありません。

二、日昭・日朗・日向・日頂・日持の五人が立てる教は、日蓮大聖人様の示されたことに相違しております。

三、広宣流布を達成するまでは、心を尽くし身を惜しまずに力に随って大聖人様の仏法を弘めるために精進をすべきです。


○日興上人様が僧宝であることを示された日寛上人の御指南

『当流行事抄』(六巻抄・一九七頁)

@《本文》
久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり。仏恩甚深にして法恩も無量なり、然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷んぞ此の大法を信受することを得んや。豈開山上人の結要伝授の功に非ずや。然れば則ち末法出現の三宝其の体最も明きらかなり、宜しく之れを敬信して仏種を植ゆべし。

【通解】

 久遠元初の僧宝は日興上人であられる。仏の恩は甚だ深く、法の恩も無量である。とはいっても、仏・法を伝えることがなかったならば、末法の我ら衆生はこの大法を信じ持つことはできなっかた。日興上人の御功績ではないか。


A《本文》
 問う、有る人難じて云わく、日興上人は上足の第三なり、何んぞ是れ結要付嘱の上首ならんや。
 此の難如何。

【通解】

 ある人が質問するには、日興上人は六老僧の中でも三番目なのにどうしで御付嘱を受けたのですか。順番が違うでしょう。


B《本文》
 答う、六老の次第は受戒の前後に由り、伝法の有無は智徳の浅深に依る、故に孔子は道を曽子に伝うるなり、玄弉は法を慈恩に付す、並びに嫡弟に非ず、誰人か之れを難ぜん。吾が開山上人は智は先師に等しく徳は諸弟に超えたり、故に塔中伝授の秘要を付して本門弘通の大導師と称し、末法万年の総貫首と定め、二箇の相承を授けて延山の補処と為す、文証・現証了々分明なり。汝等智有らば此こに於いて疑いを生ずること勿れ。

【通解】

 答え。六老僧の順番は大聖人の弟子になった順番であり、法を付嘱するのは智慧や徳の深い淺いで決められるのです。孔子も玄奘も同じようにしており、古い者が跡取りにはなっておりません。しかし、誰も曽子や慈恩を非難しません。日興上人は、智慧は大聖人に等しく、徳は他の弟子たちよりすぐれていました。そこで、日蓮大聖人は、あまたおわします弟子の中から日興上人を選び御付嘱をされ、本門弘通の大導師と称され、末法万年の総貫首と定められ、身延山の第二代とされました。このことは、文証にも現証にもはっきりと表れています。貴方達に智慧があるのであれば、この事を疑ってはなりません。


○僧宝の恩

『四恩抄』(御書二六八頁)

《本文》
仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。

【通解】

 仏法・法宝は必ず僧侶により伝えられるのです。譬えていえば、薪がなければ火は燃えず、大地がなければ草木は成長しないように、仏の教があっても伝える者がいなくてはなりません。僧侶が習い伝えなければ、末法の今日まで二千年の間伝わることもなかったでしょうし、また未来に伝えることもできません。


 日興上人が正しく大聖人様の教えを受け伝えて下さったから、私たちが大御本尊様の信心をすることができます。ゆえに、この御報恩を胸に、広宣流布を願って精進することが大切なのです。ご精進・ご精進。


以上

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日蓮正宗向陽山佛乗寺