日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成26年4月28日 立宗会日蓮大聖人御書拝読

上野殿御返事

上野殿御返事(平成新編御書一三五九頁)
弘安二年四月二〇日 五八歳

上野殿御返事 (平成新編御書一三五九頁)

又涌出品は日蓮がためにはすこしよしみある品なり。其の故は上行菩薩等の末法に出現して、南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり。
 しかるに先づ日蓮一人出来す。六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほるべしと思へばたのもしき事なり。
 とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ。殿一人にかぎるべからず。信心をすすめ給ひて、過去の父母等をすくわせ給へ。
 日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり。
 相かまへて相かまへて、自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし。三世の諸仏の成道は、ねうしのをはりとらのきざみの成道なり。仏法の住処は鬼門の方に三国ともにたつなり。此等は相承の法門なるべし。委しくは又々申すべく候。恐々謹言。

かつへて食をねがひ、渇して水をしたうがごとく、恋て人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人、べにしろいものをつくるがごとく、法華経には信心をいたさせ給へ。さなくしては後悔あるべし云云

 卯月二十日                         日蓮花押

上野殿御返事


【意訳】

 また法華経の従地涌出品第十五は日蓮にとっていささか因縁のある経文です。そのわけは、上行菩薩等が末法に出現されて南無妙法蓮華経を弘めることが説かれているからです。
 そのようなことから、日蓮一人が先ず末法に出現して、妙法を弘通しているのです。六万恆沙の菩薩方からのお誉めがあることは間違いありません。誠に頼もしいことです。
 どのようなことがあっても、法華経に我が身を任せ、御本尊を信じることが大切です。また、貴殿一人だけが信ずるのではなく、周囲の人たちにもこの信心を勧め、その功徳で亡くなられた父母等を救っていきなさい。
 日蓮は生まれてから今日に至るまで、末法に生を受けた人々に対して、この法華経の題目を弘めるという強い願いがあり、そのために、一日片時も心が安らいだことはありません。
 十分に注意をして下さい。自他の生死を知ることはできませんが、あなたがご臨終を迎え、生死の中間にさしかかった時には、日蓮が必ず迎えにまいりますからご安心下さい。三世の諸仏が成道した時間は子丑の刻の終わりから寅の刻の間です。鬼門といわれる方角に仏を安置することは三国の習わしです。これらの教えは相承の法門です。委しくは次の機会に申し上げましょう。恐々謹言。
 お腹が空いたらご飯を食べるように、のどが渇いたら水を飲むように、恋しい人に会いたくなるように、病気になった時に薬を服用するように、美しくなるために、紅や白粉を付けるように、あなたも法華経を信じていきなさい。そうすれば、後悔をしない満ち足りた人生をおくることが叶います。

 四月二十日                     日蓮花押

上野殿御返事


【語句の説明】

○涌出品= 法華経の従地涌出品第十五のこと。寿量品の一つ前の経文。前半部分は法華経本門の序分にあたり、後半部分と、寿量品・分別功徳品第十七の前半部分が本門の正宗分にあたる。この涌出品では、娑婆世界に縁のない他の国土の菩薩が、釈尊滅後に法華経を弘通する役目を願い出たのに対し、あなた方は滅後に弘教することで起こる難に耐えることは出来ません、またその任ではありません、と制止したことが説かれる。さらに、上行菩薩の四菩薩を上首とする地涌の菩薩を召し出し、神力品第二十一で末法における法華経の弘通を付属した。『法華取要抄』には、「本門に於て二の心有り。一には涌出品の略開近顕遠は前四味並びに迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり。二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品、已上一品二半を広開近顕遠と名づく。一向に滅後の為なり」(御書・七三四頁)とある。

○六万恆沙の菩薩=無量無数の菩薩のこと。数え切れない数。恆沙は恒河沙の略。

○過去の父母=亡くなった父母。また過去世に縁をした父母。『法蓮抄』には、「六道四生の衆生に男女あり。此の男女は皆我等が先生の父母なり」(御書・八一五頁)とある。

○生死の中間=生命が、生から死に移るその瞬間。

○ねうし=現在の時間では午前一時ころから午前四時ころ。

○とらのきざみ=午前四時ごろ。夜が明けるのがこの時間であることから、死から生への移りかわる時間とされる。

○鬼門=家などの東北(丑寅)にあたる方角をいう。


 立宗会に御参詣ご苦労様でした。大聖人様が末法の私たちを導いて下さるために、南無妙法蓮華経の御題目を立てられて七百六十二年の年月が過ぎました。長いようですが、末法万年の観点からいえば、今はまだ正法弘通の始めといえます。ゆえに、私たちの信心によって未来が決まる、といっても過言ではありません。
「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ。殿一人にかぎるべからず。信心をすすめ給ひて、過去の父母等をすくわせ給へ」
を心に留め、進んでまいりましょう。

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