日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成26年4月1日 永代経

善智識

《善智識》

『妙法蓮華経妙荘厳王本事品第二十七』

善知識は、よく仏事をなし、示教利喜して阿耨多羅三藐三菩提にいらしむ、善知識はこれ大因縁なり。所謂化導して仏を見、阿耨多羅三藐三菩提の心をおこす事を得せしむ。(新編法華経・五九〇頁)

〈語句の意味〉

○善智識=修行者を助け、成仏に至らしめる人を善知識と言う
○示教利喜=示し、教え、利(め)ぐみ、喜ばしむ
○阿耨多羅三藐三菩提=仏の悟りの智慧のこと、この上なくすぐれ、平等円満であること

『種々御振舞御書』には、
「阿耨多羅三藐三菩提」は疑ひなし。相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆逹多よ(御書・一〇六三頁)
と仰せになられている事でも分かるように、大聖人を竜の口の刑場に引き出して、頚を刎ねようとした北条時頼でさえも善智識と捉える信仰が日蓮大聖人様の信仰です。「善知識」も「悪知識」も、凡夫の因縁による所であり、経文に「大因縁」と示されることに思いを致すべきです。

 因縁の「因」は結果を顕す上での自身に関わるところの直接的な原因をいいます。また、この因に触れ、助けて結果を顕す外的・間接的な原因を縁といいます。受験生が受験勉強をするのは因、お母さんが夜食をつくって助けるのが縁、と例えることも出来ます。成仏の面から見れば、私たちには等しく仏性といって仏の性分を心中に秘めております。その仏性を因といいます。その仏性が、仏の教えを聞くことで仏果として顕わるのです。仏の教えが縁です。

 本宗に於ける根本の善知識は、申すまでもなく、大聖人様・御本尊様です。さらに広義に解釈すれば、日興上人以来代々の御法主上人、また、僧侶・信徒同志も含まれるといえます。

『刑部左衛門尉女房御返事』には、
此の法門を知識に値はせ給ひて度々きかせ給ふべし。日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ(御書・一五〇六頁)
とあります。「日蓮が弘める末法の人々が残らず幸せになることの出来る南無妙法蓮華経の教えは、日本国で知っている人は少ない教えであるから、善智識にあってよくよく聴聞すべきです」とのお言葉を忘れないよう致しましょう。

 ところが、『三三蔵祈雨事』には次のように述べられております。
仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちゑなににかせん。たゞあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たひせちなり。而るに善知識に値ふ事が第一のかたき事なり(御書・八七三)
と。この御文の意味は、「私たち凡夫の、熱いとか冷たい、ということを知る程度の知恵では仏に成ることは出来ません。仏に導く善智識が大切なのですが、その善智識にめぐり会うことが、最も難しいことなのです」というものです。
 
 幸いにも、私たちは最も難しいといわれる善智識の縁をつかんでおります。振りほどかれないようにしっかりとつかまって、成仏という最高境界を自らのものとしてまいりましょう。

(日蓮正宗 佛乘寺)

文責編集部 転載複写等禁止



日蓮正宗向陽山佛乗寺