日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成26年6月 日蓮大聖人御報恩御講拝読御書

四条金吾殿御返事

四条金吾殿御返事(平成新編御書一四〇七頁)

四条金吾殿御返事 (御書・一四〇七頁)

ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給ふべし。すぎし存命不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし。
「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず。兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり。ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶ふべからず候。

〔通解〕

大切なのは心です。どのように日蓮が貴男のことを祈ろうとも、貴方自身の信心が弱ければ、濡れた火口に火を打ちかけても火が付かないように、無駄なことです。そこで、より一層強盛な信力を外に出していきなさい。以前、強敵に遭遇しながらも、無事であったことは、御本尊様を信仰することで受けられる不思議な功徳です。
法華経薬王品第二十三に、「(末法において、法華経を受持し、他のために説くことで得る功徳は計り知れない)その功徳は、多くの怨敵を悉く打ち破るものである」との仏の金言は真実である。兵法や剣形もこの妙法蓮華経の教えから出たものです。疑わずに信心を深めていきなさい。少しでも臆病な心があったならば何ごとも叶いません。


【四条金吾】

四条中務三郎左衛門尉頼基といいます。左衛門尉という官名から、唐での名にならって「金吾」と呼ばれたようです。鎌倉幕府の執権であった北条家の一門である名越家(江間家)に仕えました。

富士年表によれば、康元(一二五六年)に、工藤吉隆・池上宗仲等と共に入信したことが記されております。二十代前半であったようです。大聖人様は建長五年(一二五三年)に立宗宣言をされ、その後、鎌倉に打って出て、折伏弘教をされておりました。その時に、大聖人様から折伏を受けて御題目を唱えるようになり、生涯に亘って信仰を貫いたことは多くの御書から明らかです。

武士としては、主君の江間氏によく仕え、家臣の立場から折伏もしておりました。しかし、大聖人様を悪しく思う極楽寺良観の強信者であった江間光時は、四条金吾殿の法華経の信仰を再々にわたって妨害しております。そしてついに、建治三年(一二七七年)には領地を没収されてしまいました。ところが、四条金吾殿は、主君や同僚からの迫害にも負けず、大聖人様の御指南のままに純粋に信仰を貫き、翌年には領地を元に戻されるばかりか、以前よりも加増をされるという功徳を受けております。しかし
「さてもさても敵人にねらはれさせ給ひしか。前々の用心といひ、又けなげといひ、又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給ふ。目出たし目出たし」(御書・一四〇七頁)
との御文から明らかなように、加増を嫉む者の仕業か、今度は命を狙われるような事態が起こりました。この時も、自身の用心と、御信心によって無事に切り抜けることが出来ました。

本日拝読の箇所は、さらに大信力を出して、難に立ち向かうことを教えられるところです。大聖人様が私たちに、四条金吾殿を通して、前に進む時の心構えを示して下さっている、と拝することが大切です。


《御文拝読の要点》

○「心こそ大切なれ。いかに日蓮祈り申すとも不信ならば、濡れたる火口に火を打ちかくるがごとくなるべし」
「心こそ大切なれ」とは、四条金吾殿の御本尊様への心構えについてのお言葉です。貴男の信仰心が弱ければ、日蓮がいくら祈っても濡れた火口に火を移すことが出ないように、無駄になってしまいます、と厳しく御指南されております。これは、「よき師・よき法・よき檀那」の三つが揃った信仰でなければ祈りの成就することはない、という意味です。今日では、よき師は大聖人様からの血脈を御所持される御法主上人です。御法主上人の御指南のままに信心に励んでこそ功徳が受けられることを示されたところです。
○「強盛に信力をいだし」
○「ふかく信心をとり」

とのお言葉を忘れないようにしたいものです。

○「なにの兵法よりも法華経の兵法」
兵法で辞書を引くと、「 いくさの仕方。用兵や戦闘の方法。兵学。 剣術・柔術などの武術」等ととあります。つまり、一般的には、戦争における戦術や戦略を意味する言葉です。その言葉を譬として大聖人様がここで用いられるのは、私たちの日々が闘いである、常に魔軍との戦である、という現実を御教示下さる上からであると拝します。
その中でも、最も強敵である「己心の魔」との闘いを勝ち抜き、勝利を得るには、「法華経の兵法」以外にはない、と御指南下さいます。ただし、注意しなければならないことは、御題目だけ唱えていればよい、との一面のみを強調して捉えてはならない、ということです。何故ならば、私たちは社会生活を営む中で様々な「なにの兵法」の恩恵を受けております。「なにの兵法」とは、言い換えれば、生きてるために用いる、医学や科学を含むあらゆるものを指しており、その根幹に、「南無妙法蓮華経の兵法」つまり、御本尊様への信仰があるからです。ゆえに、強盛な信心を根幹にして、あらゆる兵法を自在に用いることが出来るようにならなければなりません。「この妙法より出でたり」とあることがそれを教えて下さっております。

○「臆病にては叶ふべからず候」
臆病とは、退く心です。後ろ向きの心です。愚痴をいう心です。嫉妬をする心です。ここでは挙げきれません。一つ、臆病に共通するのは、「御本尊様を信じない心」です。したがって、佛乘寺檀信徒の皆さまには当てはまりません。特に本日の御報恩御講に参詣された皆さまには当てはまらないどころか、「勇猛精進」とのお誉めの言葉を大聖人様から賜ることが出来ます。大聖人様のお言葉を信じて実践しましょう。四条金吾殿と同じように大きな功徳を受けられます。
信仰をする目的は十人十色でしょう。ある人は豊かな人格を形成するため。ある人は病を癒すため。また、ある人は経済的理由から。その何れも叶えられるのが日蓮大聖人様の仏法です。そのためには具体的な修行が欠かせません。それが「折伏」なのです。この折伏には勇気が必要です。言葉に出して「富士大石寺の南無妙法蓮華経を唱えましょう」という勇気。「あなたの信仰では本当の願いは叶いません」と実践する勇気。
ですから、「臆病にては叶うべからず候」と御指南下さるのは、勇気を出せば願いは叶う、と教えて下さる有り難い大聖人様からの励ましの御言葉なのです。
また、臆病は執着から生じます。保身に汲々として、責任を秘書に押し付ける我が国の政治家を例にとってみれば明らかでしょう。議員という立場に執着するゆえに、醜い姿を露呈する者たちは、臆病そのものであり、地獄・餓鬼・畜生の三悪道そのものです。
三悪道と対照的なのが、菩薩です。菩薩は、法のためには我が命さえ惜しまない、という「不自惜身命」の心があります。それはまさに執着の心を乗り越えたものです。
勇気を出せば成仏の功徳を受けられ、臆病であれば三悪道から逃れることができない、というのが大聖人様の仏法です。御本尊様への確信をより強め、執着の心を打ち破る折伏に励む以外に即身成仏の功徳は受けられません。
少しも願いが叶わない、と愚痴る心が既に臆病であり、折伏など出来ない、と思う心が執着であり臆病なのです。そのような方がいたならば、本日の御書を拝読し、功徳が受けられるように、願いが叶うように励まし合ってまいろうではありませんか。
鬱陶しい梅雨を迎えましたが、心の除湿器である唱題をフル稼働し、精進を重ね、折伏を行い、共に功徳を受けてまいりましょう。

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