日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成26年6月1日 永代経

四菩薩造立抄

【富める者】→【心の富める者】→【絶対的幸福感】

四菩薩造立抄(平成新編御書・一三六九頁)

四菩薩造立抄 (御書・一三六九頁)

天台大師は「後五百歳遠く妙道に沾はん」としたひ、伝教大師は「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是其の時なり」と恋ひさせ給ふ。日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり。是時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり、感涙押さへ難く、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。恐らくは付法蔵の人々も日蓮には果報は劣らせ給ひたり。天台智者大師・伝教大師等も及び給ふべからず


【語句の意味】

○「後五百歳遠く妙道に沾はん」=天台大師が法華文句巻一で説いたもの。「後五百歳」は末法の初めのこと。 大集経では、釈尊が入滅した後の世を、五百年毎に区切り、衆生の修行と利益を説き明かしている。五箇の五百歳という。最初の五百年を解脱堅固(げだつけんご)、その次の五百年を禅定堅固(ぜんじょうけんご)、その次の五百年を読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご)、次の五百年を多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご)、そして五番目の五百年を、五五百歳、あるいは後五百歳といい、闘諍堅固(とうじょうけんご)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)と説かれている。最後の五百年には、白法である釈尊の教えや利益がことごとく隠れ没し、人々を導くことができなくなる、とされている。その結果、人々の心が乱れ、社会が乱れる時代となると説かれる。この時、「大白法」が出現して人々は大白法によって修行をすることで利益を受けることができるようになる、というのが、「後五百歳遠く妙道に沾はん」との意。

○「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是其の時なり」=伝教大師最澄が守護国界章で述べたもの。正像は正法時代と像法時代で、これに五箇の百歳を当てはめると、解脱堅固・禅定堅固が正法時代となります。読誦多聞堅固・多造塔寺堅固が像法時代となります。この伝教の文は、末法の機根は法華経の教えによってのみ仏果をえることが叶う、という意味です。

○「付法蔵の人々」=釈尊から付属を受け、正法時代に布教した二十四人の正師。

○「果報」=前世での善悪の行為が、今世において現れた様々な報いのこと。多くは、善き行為が善き結果として現れることを果報という。


【現代語訳】

天台大師は、「末法は妙法蓮華経の教えによって潤う」と末法を慕う旨を述べています。また伝教大師は、「法華経の教えによってのみ仏果をえられる末法がまもなくである」として、末法を恋しいと述べています。
日蓮は世間的な見方からすれば、日本第一の貧しい者です。しかし、仏法の上からは、一閻浮提で一番の富める者です。日蓮が世界一の富める者であるというのは末法に生まれた故であると思えば、喜びは身に余り、感涙を押さえることも、法華経の教主釈尊の御恩に報いることも難しく思えます。恐らく、釈尊から付属を受け教えを流布する役目を仰せつかった正師等の果報も、日蓮の果報からすれば劣っております。天台大師や伝教大師も日蓮の果報には及びません。


◎「一閻浮提第一の富める者」は日蓮大聖人の弟子檀那である私たちのこと。

○絶対的幸福
☆相対的幸福

豊な心
貧しい心

○五百年を解脱堅固(げだつけんご)仏の教えにより利益を得ることが出来る時代。
次の五百年を禅定堅固(ぜんじょうけんご)禅定といって、心を一点に定めて思いをめぐらす修行によって利益を得る時代。
その次の五百年を読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご)経文を読誦したり教えを聞くことにより悟りを得る時代です。
次の五百年を多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご)塔や寺が盛んに建造されて利益の有る時代
五番目の五百年は、五五百歳(第五の五百年の意)または後五百年(最後の五百年の意)といい、闘諍堅固・白法隠没、すなわち世の争いごとが盛んとなり、白法、悟りの法の意で釈尊の仏法を指す、の利益がことごとく隠没する時代である、としています。

贈り物

布施 執着を取り除く修行 心を豊にする修行

@の布施波羅密には、財施(財を施すこと)。法施(仏樣の教えを説くこと)。無畏施(恐れの心を取り除くこと)あります。さらに、七施(しちせ)という日常生活の上での具体的なことが説かれています。
 @眼施(げんせ)・優しい眼差。
 A和顔悦色施(わげんえつじきせ)・笑顔、喜びの顔。
 B言辞施(ごんじせ)・優しい言葉、思いやりのこもったあたたかい言葉。
 C身施(しんせ)・手を差しのべるなどの身体的な事柄。
 D心施(しんせ)・他の人々を思いやる心。
 E床座施(しょうざせ)・座る場所を譲ること。
 F房舎施(ぼうしゃせ)・家や部屋などを他者の為に用いること。

《来月は、次の御文を拝して、私たちのよりよい心のあり方を学びたいと思います》
☆ 【観心の法門】 → 【成仏の教え】 → 【心ゆたかに日々を過ごすための教え】
 「たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと、  委細にかんがへて候へば、観心の法門なり」 (『上野殿御返事』 御書・一五四四頁)

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