日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成26年7月1日 永代経

願・兼・於・業、功徳

☆【観心の法門】 → 【成仏の教え】 → 【心ゆたかに日々を過ごすための修行】 → 【満ち足りた心】

〔願・兼・於・業〕

『法華経法師品第十』
「薬王まさに知るべし。この人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生を愍が故に、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶるなり」

『法華文句記巻八』 〔妙楽大師〕
「薬王乃至是の人、『自ら清浄の業報を捨てて』とは悲願牽故に仍てこれ業生なり。未だ通応 にあらず、願、業を兼ぬ」(法華文句記会本 中六三三頁)

【願兼於業の言葉の意味】

中国妙楽大師が法華経法師品の文を釈したもので、「願」は願生、「業」は業生のこと。願って今生に生を受けることが願生、罪業の報いで受けた生が業生。ゆえに、「願業を兼ねる」とは、本来であれば、仏道修行の功徳で善き所に生まれることが叶うのであるが、苦しみの中にある人々を救うために、あえて悪業を行い娑婆世界の中で、共に苦しみながら法華経を弘通することをいう。つまり、世界中の人たちの幸せを願って、大きな誓願、希望を持ってこの世の中に生を受けたこと。

【悲願】=仏菩薩が大慈悲心から起す誓願。悲壮な願いとは違う。
【牽く】=前の方に引く意。
【通応に非ず】=滞りなく応現したものではない。仏の立場に約すれば、通常の応現とは違うこと。


『開目抄』
「経文に我が身ふごうせり、御勘気をかほればいよいよ悦びをますべし。例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申してつくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕て大苦をうくるを見て形の如くその業を造って願って地獄に堕て苦しむに同じ苦しみに代われるを悦びとするがごとし。これも又かくのごとし。当時の責めはたうべくもなけれども未来の悪業を脱すらんと思えば悦びなり」(御書・五四一頁)

『寿量品談義』 〔日寛上人〕
「衆生生前に善悪の業を作りおわりて死して中有にある時に、その業力によりよく生処の父母の交会するを見て、愛心を起こし胎内に宿るなり」

【身口意の三業】

@身〜身でなすところのもの
A口〜言葉でなすところのもの
B意〜心で思うところのこと


〔功徳〕

「功徳とは功に施すを功となずけ、己に帰すを徳という」〔仁王経疏〕


 今から七〇年前の昭和十九年七月七日に、サイパン島の守備隊が連合軍に敗れ、以後日本本土への空襲が常態化し敗戦への道が一気に進んだ大きな節目の月に、安倍内閣は「集団的自衛権」という言葉を巧みに用いて、憲法九条を骨抜きにしました。そして、再び戦場に国民を送り出し、人が人を殺す為の政治の一歩を踏み出しました。辛く残念なことです。

 私たちに出来ることは、武器で平和を築くのではなく、「自身仏に成らずば父母をだにも救いがたし。いおうや他人おや」との精神をもって、自らの幸せが周りの幸せであり、周りの幸せが自らの幸せである、という大聖人様の精神を高く掲げ、掲げるばかりではなく行動をおこすことです。行動とは、折伏以外にありません。

 下半期の始まりである今日のご参詣は、お正月のお参りに等しいものであると思います。であれば、「徳も勝り人にも愛せられ候」との功徳は間違いありません。鬱陶しい季節ですが、御題目を唱え、折伏を行えば、心は爽やかなります。励みましょう。


『上野殿御返事』
「たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと、 委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うへたるよに、これはなしては、けうの命をつぐべき物もなきに、たゞひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは薬王のひぢをやき、雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいをとらぬ功徳にて候へば、聖人の御ためには事供やう、凡夫のためには理くやう、止観の第七の観心の檀はら蜜と申す法門なり」 (御書・一五四四頁)

通解

 凡夫が仏に成る、ということは「志」という文字を心得ることである。志とはどのようなものであるかを委しく考えてみると、「観心の法門」ということである。この観心の法門とはどのようなものであるかを尋ねてみると、ただ一枚しか持っていない衣服を法華経に供養するのが身の皮を剥ぐことになるのである。また、飢饉の世に、これを供養してしまえば今日の命をつぐ物もない時に、ただ一つの食物を仏に供養することが、身命を仏に奉ったことになるのである。
 これは薬王菩薩が臂を焼き、雪山童子が身を鬼に与えたことにも劣らない功徳であって、聖人のためには事供養、凡夫のためには理供養であるというのが、摩訶止観巻七に明かされる観心の修行のなかの檀波羅密という法門なのである。

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