日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成26年9月 日蓮大聖人御報恩御講拝読御書

寂日房御書

@『寂日房御書』(御書・一三九三頁)
父母となり其の子となるも必ず宿習なり


A『大王と菩薩女御』(仏教説話 熊野集 二〇〇二年東京大学前期入試問題より)

「あるところに、千人の后を持つ大王がおりましたが、あいにくと子宝には恵まれませんでした。跡継ぎの欲しい大王は菩薩女御という一人の后に愛情をかけ、やがてめでたく懐妊いたしました。そうなりますと、残りの九九九人の后たちは嫉妬の心から、子供が生まれないように謀をいたします。

 先ず、占い師に、菩薩女御のお腹にいる子供の性別と運命を占わせました。そのみたてによりますと、菩薩女御が身ごもった子は、王子であり、八〇〇歳という長命で、この王子が国を治めている間は、安泰で民衆は平和に暮らすことがでる、という誠にめでたいものでした。ところが、めでたいのでは困る九九九人の后たちは、占い師に多額のお金を渡し、「王子は生まれて七日目に鬼となり、体中から火を発して国中を焼き尽くし、大王も食い殺されてしまう」と言うように命じました。

 そして、国王には、「よく当たる占い師がおりますので、菩薩女御の子供の未来を占ってごらんになるとよろしいのではありませんか」と言葉巧みに勧めたのです。大王は勧めにしたがって占い師を呼び、生まれてくるであろう子供の運命を占わせたところ、以前と同じように王子の運命は素晴らしく、あわせて菩薩女御の運命も王子に劣らぬものでありました。このような素晴らしい運命を偽って伝えるのは忍びなかったのですが、后たちとの約束ですから大王には「生まれる王子は鬼となって国中を焼き尽くし、大王も民衆も悉く滅ばされてしまいます」と告げました。

 この占いを聞いた大王は、
「親となり、子となること、たまたまもありがたし。この世一つならぬこと。今日まで子という者いまだ見ず。いかなる鬼とも、生まれ来たらば来れ。親と子と知られ、一日も見て後にともかくもならんことは苦しからじ」
というものです。意味は「親となり、子となることは、偶然ではない。現世だけのことではないであろう。(過去世の因縁で)今日まで我が子供を見ることがなかったが、どのような鬼であろうとも、(我が子として)生まれてくるのであれば、生まれるがよい。一日でも親子として過ごした後にどのようなことになっても苦しくはない」というものです。どのようなことがあっても子供をもうける。焼き尽くされようとも過去世からの因縁なのだから悔やむようなことはしない、と言う親としての壮絶な覚悟の言葉です。


B『刑部左衛門尉女房御返事』(御書・一五〇五頁)
母の乳をのむ事一百八十斛三升五合なり。此の乳のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし。され ば乳一升のあたひを検へて候へば、米に当たれば一万一千八百五十斛五升。
この数字を今日に置き換えますと、お母さんが飲ましてくれるおっぱいは、三年間で三万二千四百リットル。一升瓶では一万八千本。一升瓶を縦に積み上げますと、七千二百メートル。
私・俺は母乳じゃないから関係内や、と思った方のために、大聖人は親切です。お米の値段に換算して教えて下さってます。当時の物価から換算すると、約五百三十一万円です。この数字以上に母の恩は深く父の恩は大きいことを私たちは知っております。


C『報恩抄』(御書・九九九頁)
いかにいわうや仏教をならはん者の父母・師匠・国恩をわするべしや。此の大恩をほうぜんには必ず仏法を ならひきわめ、智者とならで叶ふべきか。
〔意味〕親への恩を忘れてはならない。親孝行は仏法を学んで仏の智慧を持つことです。人間としてこの世に生を受け、周囲の人々や環境から多くの恩恵を受けて今の自分があることを自覚するならば、自ずから感謝の気持ちが沸き上がってまいります。その感謝の気持ちを行動に表すことが大切です。それが仏道修行です。と言う意味です。


〔慈悲〕

D『諌暁八幡抄』(御書・一五四一頁)
一切衆生の同一苦は、悉くこれ日蓮一人の苦と申すべし
〔意味〕全ての人々の苦しみはことごとく日蓮自身の苦しみとしてうけとめ、どのような苦しみであっても解決するように共に励んでまいりましょう、ということです。我が子の苦しみを自らの苦しみとするように、大きな御慈悲が仏様のお心です。一視同仁(いっしどうじん)のお姿です。



〔キリスト教の慈悲・愛〕
自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい。(レビ記十九)

〔解説〕隣人を愛することを命じますが、その前に、「自分自身を愛するように」という前提があります。無条件の愛ではありません。つまり、キリスト教では、先ず自己への愛があって、そしてその上で周囲への愛の心が働きます。つまり、「自分ありき」なのです。したがって、相手が「味方か、敵か」によって対応が違ってきます。敵であれば愛することはできません。なぜならば、「自分自身を愛するように」との前提があるからです。相手も自分自身と同じようにする、これがキリスト教で説く「隣人を愛せよ」なのです。

日蓮大聖人様は、聖書に説かれるような「前提のある救済」を否定します。そして、自らが苦悩する人々の中に入り、そこで共に苦しみ、共に悲しむことで菩薩としての修行に励み、共に幸せになろうと実践することを教えて下さいます。

この大聖人様のお心を「慈悲」といいます。わたしたちの信仰は、この大聖人様の慈悲を周りの人たちに伝える信仰です。南無妙法蓮華経と唱へることで苦しみや悲しみを乗り越えることが叶う、と伝えることが菩薩の修行です。慈悲の心で行動を起こすところに真実の幸福が生まれます。過ごしやすい季節を迎えます。暑さに耐えた気力と体力を存分に発揮し、より良き社会の実現を願って菩薩行に邁進致しましょう。皆様のご精進をお祈り申し上げます。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺