日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成27年1月11・13日 日蓮大聖人御書拝読

「広宣流布」は
本門戒壇の大御本尊の教えを弘めること

日蓮大聖人『聖人御難事』
※大聖人の出世の御本懐は「弘安二年の大御本尊」

日興上人『日興跡条々事』
※日蓮大聖人から二祖日興上人が御承けになり、
第三祖日目上人へ御付嘱された「弘安二年の大御本尊」

日寛上人『観心本尊抄文段』・『撰時抄愚記』
※「大御本尊」は広宣流布の根源・一閻浮提総体の御本尊

日達上人御指南
※大御本尊の否定は「広宣流布」の放棄

宗祖日蓮大聖人御報恩御講拝読御書 (平成二十七年正月)

諸法実相抄(平成新編御書六六八頁)
文永一〇年五月十七日  五二歳

諸法実相抄 (御書・六六八頁)

行学の二道をはげみ候べし 行学たへなば仏法はあるべからず 我もいたし人をも教化候へ 行学は信心よりをこるべく候 力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし

聖人御難事(平成新編御書一三九六頁)
弘安二年一〇月一日  五八歳

聖人御難事 (御書・ 一三九六頁)

去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に 安房国長狭郡の内 東条の郷 今は郡なり(乃至)此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして 午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年 弘安二年太歳己卯なり 仏は四十余年 天台大師は三十余年 伝教大師は二十余年に 出世の本懐を遂げ給ふ 其の中の大難申す計りなし 先々に申すがごとし 余は二十七年なり 其の間の大難は各々かつしろしめせり


○「広宣流布」は本門戒壇の大御本尊の教えを弘めること

※大聖人の出世の御本懐は「弘安二年の大御本尊」


〈現代語訳〉

さる建長五年(一二五三年)四月二十八日、安房国長狭郡にある東条の郷、今は郡となっている。(中略)この郡内にある清澄寺という寺の持仏堂の南側において、午の時刻に此の法門をはじめて説き明かしてより二十七年、今は弘安二年(一二七九年)己卯の歳である。釈尊は法を説き始めて四十余年、中国の天台大師は同じく三十余年、日本の伝教大師は二十余年にして出世の本懷を遂げられた。本懷を遂げられるまでの大難は今申すまでもない。これまでにも申した通りである。
日蓮は二十七年で本懷を遂げた。立宗より今日までの大難は、各々がすでに知っている通りである。


※日蓮大聖人から二祖日興上人が御承けになり、第三祖日目上人へ御付嘱された「弘安二年の大御本尊」

《第二祖日興上人》

@ 『日興跡条々事』 元弘二年一一月一〇日

 一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。

 一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

 一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。

 右、日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来七十三歳の老体に至るも敢へて違失の義無し。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で甲州身延山御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。仍って後の為証状件の如し。

   十一月十日              日興 花押

〈解説〉

 この『日興跡条々事』は二祖日興上人から第三祖日目上人への御付嘱状です。第一条には、本門寺が建立されたときの座主は日目上人である旨が記されています。次の第二条では、日興上人が大聖人様から御付属した「弘安二年の大御本尊」を日目上人に相伝されることが明記されております。

 この「弘安二年の大御本尊」こそ、現在総本山の奉安堂に御安置の「本門戒壇の大御本尊」の御事です。さらに、大御本尊は本門寺に御安置申し上げることが記されてております。広宣流布の暁には、総本山大石寺は「本門寺」となります。したがってここで、本門寺に懸ける、とありますから、総本山から別の所に大御本尊様をお移しするのか、と思うかもしれませんが、そうではありません。日興上人が南条時光の寄進を受けて総本山を建立された当時、一帯には大きな石がゴロゴロしており、大石が原と呼ばれておりました。そこに建立されたお寺ですから、「大石が原のお寺」、「大石の寺」、「大石寺」と仮りのなで呼ばれるようになったのです。

 大聖人様から日興上人への御付嘱状である『日蓮一期弘法付嘱書」の中で、「国主此の法をたてらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とありますように、広宣流布の時には富士山に本門寺が建立され、そこに大御本尊様が御安置され、一切衆生の罪障消滅の戒壇となるのです。

 ちなみに、「国主此の法をたてらるれば」とは、『如説修行抄』の「天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば」(御書・六七一頁)とありますように、天下万民が南無妙法蓮華経と唱える時が広宣流布の時であり、その時に本門寺が建立されることを仰せになられたものです。さらにまた、「広宣流布を待つべきなり」と記され、大聖人様の仏法を世界中に弘める使命があることが記されております。

 最後に、日目上人のお徳を讃嘆され御付嘱を結ばれております。


※「大御本尊」は広宣流布の根源・一閻浮提総体の御本尊

《第二十六世日寛上人》

A 『観心本尊抄文段』
就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。

〈現代語訳〉

 (大聖人は多くの御本尊を御図顕になっているが)その中で、弘安二年に御図顕された本門戒壇の御本尊は、究極の中の究極、御本懐の中の御本懐です。この御本尊はまぎれもない三大秘法の本門の本尊です。一閻浮提総体の本尊であることはいうまでもありません。


B『撰時抄愚記』
 問う、文底深秘の大法、その体如何。
 答う、則ちこれ天台未弘の大法・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり。故に顕仏未来記二十七三十に云く「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめん」等云云(御書・六七六頁)。故にこの本尊は広布の根源なり。

〈現代語訳〉

 質問します。法華経の文の底に深く秘し沈められている大法の正体はどのようなものでしょうか。

 答えます。大法の正体は中国の天台大師が未だ弘めることのなかった、三大秘法の本門戒壇の御本尊の御事です。ゆえに、大聖人は『顕仏未来記』で、「三大秘法の本門の本尊・南無妙法蓮華経が世界中に弘まる」と仰せです。ゆえに、本門戒壇の御本尊は広宣流布の根源の御本尊です。


※大御本尊の否定は「広宣流布」の放棄

《第六十六世日達上人》

C日達上人御指南
日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提 に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります(日達上人全集)


広宣流布の使命を担うのは私たち法華講衆のみであることを自覚し、本年も創価学会の人たちを救ってまいりましょう。

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