日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成27年2月8・13日 日蓮大聖人御書拝読

諸法実相抄
妙一女御返事

諸法実相抄(平成新編御書六六八頁)
文永一〇年五月十七日  五二歳

諸法実相抄 (御書・六六八頁)

行学の二道をはげみ候べし 行学たへなば仏法はあるべからず 我もいたし人をも教化候へ 行学は信心よりをこるべく候 力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし


妙一女御返事(平成新編御書一五〇〇頁)
弘安三年一〇月五日  五十九歳

妙一女御返事 (御書・一五〇〇頁)

問うて云はく、日蓮計り此の事を知るや。答へて云はく「天親・竜樹、内鑑冷然」等云云。天台大師云はく「後の五百歳遠く妙道に沾はん」。伝教大師云はく「正像稍過ぎ己はって末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其の時なり。何を以てか知ることを得ん。安楽行品に云はく「末世法滅時」云云。此等の論師人師、末法闘諍堅固の時、地涌出現し給ひて本門の肝心たる南無妙法蓮華経の弘まらせ給ふべき時を知りて、恋させ給ひて是くの如き釈を設けさせ給ひぬ。尚々即身成仏とは、迹門は能入の門、本門は即身成仏の所詮の実義なり。迹門にして得道せる人々、種類種・相対種の成仏、何れも其の実義は本門寿量品に限れば常にかく観念し給へ。正観なるべし。


(現代語訳)

質問をいたします。日蓮大聖人様だけがこのことを知っているのでしょうか。お答えいたします。「天親や竜樹は知ってはおりましたが心の中に留めて、外に向かっては話されておりません」。また、天台大師は、「末法は妙法蓮華経の教えで沾うでありましょう」と仰っています。さらに、伝教大師も「正法時代・像法時代が過ぎて末法が誠に近くなっております。法華一仏乗の教えのみで救われる機根の時です。なにを根拠にこのように申すかと言えば、それは法華経の安楽行品に、『末法の世となってそれまでの教えは消滅しこの教えが弘まる』と説かれているからです」と述べられています。

以上のように、これらの論師・人師は末法闘諍堅固の時に、地涌の菩薩が出現して本門の肝心である南無妙法蓮華経が弘まるときであることをご承知で、その時を恋しく思われてこのような解釈をされているのです。加えて、即身成仏ということについて申せば、法華経の迹門は即身成仏の教えに入るための門であり、法華経の本門において即身成仏の真実の義が明らかにされ、その修行によって成仏を遂げられるのです。

迹門において得道したといわれる人々も、種類種・相対種といわれるいずれの成仏も、その実義は本門寿量品に限られているのですから、常にこのように観念して励みましょう。それが正しい観心修行なのです。


〔語句の意味〕

○問うて云はく=この御文の前までに、

 @日蓮は即身成仏の教えこそ最も大切なものであり、立宗以来二十七年の間このことのみを説いてきた、故に門弟等はこの即身成仏の教えを学ばなくてはならない。

 A真言宗などの宗派でも即身成仏を説くが、真実の即身成仏は法華経に明かされる竜女の成仏で証明される。

 B即身成仏も迹門理の即身成仏と本門事の即身成仏があるが、本門の即身成仏が真の即身成仏である。

 と述べられており、これらのことを知っているのは日蓮大聖人様だけでしょうか、という質問の意です。


○天親=インドの僧侶。小乗の教えを学び多くの註釈書を述作したが、後に兄の無著に導かれて大乗を学び、過去に大乗を誹謗したことを悔い改めて大乗教の註釈書を顕し人々を導いた。千部の論師といわれている。


○竜樹=インドの僧侶。『大智度論』や『十住毘婆沙論』などの書を顕し、大乗の教えを弘めた。


○天親・竜樹内鑑冷然=内鑑冷然・外適時宜のこと。内鑑は冷然たり、外は時の宜よろしきに適かなう」と読みます。天台大師の『摩訶止観』第五に説かれるもので、「内心には法華経が最も勝れていることを知っているが、外に向かっては時ではないのでそのことを説き明かさない」とあります。

 天親や竜樹が、法華経の一念三千の教えが真実のものであることを知っていながら、時が至っておらない故に、仮りの教えを説いたことをいいます。

以下大白法から転載します。

天台大師以前の大乗仏教の考え方には、宇宙法界の真理を万物の「相」という観点から有≠中心に説く法相宗系(相宗)と、万物の「性」という観点から空≠中心に説く三論宗系(性宗)の二つがありました。

天台大師は、この二つの流れの代表者として天親菩薩と竜樹菩薩を挙げたのですが、天親菩薩は『法華論』で『法華経』が無上である(趣意)ことを説いており、竜樹菩薩は、「般若は秘密の法にあらず。法華独ひとり真の秘密の法なり」
と『法華経』を讃たえています。

天台大師は、この二人が内心では『法華経』が最も勝れた教えであることを知っていたが、説くべき時ではないので天親は『解深密経』竜樹は『般若経』の権教の法門を弘めたのである、と説き明かしたのです。

また、天台大師自身も、『法華三大部』を著して、膨大かつ正確な『法華経』の解釈をしていますが、これらの解釈は迹門を表とし、本門を裏に込めた内容です。

したがって、本門の肝心たる文底下種の南無妙法蓮華経の法体については、顕に説くことができませんでした。

それはなぜかといえば『治病大小権実違目』に、「天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども、一には時来たらず、二には機なし、三には譲られ給はざる故なり。今末法に入りぬ。地涌出現して弘通有るべき事なり」(御書一二三六頁)とあるように、天台大師や伝教大師も内心では文底下種の妙法を知ってはいましたが、弘めるべき時ではない、本未有善の衆生の機でない、釈尊より結要付嘱を受けていないからである、と御教示されています。

しかし、天台大師は、「後の五百歳遠く妙道に霑おわん」と述べているように、迹化の菩薩として末法における文底下種仏法の出現を予証しています。

そして現実に、末法に至って、釈尊から本門の要法を結要付嘱された上行菩薩の再誕・日蓮大聖人が、末法の御本仏として御出現あそばされ、末法流通の正体である妙法漫荼羅御本尊を建立あそばされました。

このように、本来仏法は付嘱にしたがって弘通されていくのです。したがって、付嘱の師を無視し、独善的に仏法を解釈してはいけないのです(大白法・平成九年八月十六日号)


○天台大師云はく「後の五百歳遠く妙道に沾はん」=天台大師の法華文句の文。文の意は、私たちの立場で拝す れば、末法に文底の南無妙法蓮華経の教えが弘まることを予証したものとなる。


○伝教大師云はく「正像稍過ぎ己・・・」=伝教大師の『守護国界章』の文。大聖人は『顕仏未来記』で、この言葉は伝教大師が「末法のはじめを願っているものである」とのべられております。


○安楽行品に云はく「末世法滅時」云云=法華経安楽行品十四の文。「後の末世の法滅せんと欲する時」と説かれている。すなわち、釈尊の教えが力を失う時代の来ることを明かした文。


○末法闘諍堅固=仏滅後二千年を経過した世である末法には釈尊の教えは効力を失い、世の中が乱れ争いが起こることが堅固である、という意味。


○地涌出現=地涌の菩薩が出現すること。文底の教えでは、大聖人様が出現されること。


○迹門は能入の門=迹門は仮りの教えであり、真実の教えに入るための門である、との意。


○本門は即身成仏の所詮の実義=本門の教えこそ即身成仏の実義を説き明かすもの、との意。


○種類種の成仏=相対種の成仏に対する言葉。同じ種類、例えば、小さい善根を大きな善根へと転換(成仏)する場合をいう。仏に成る三種類の仏性を三因仏性というが、相互に縁をして仏性を開き仏果を得る。


○相対種の成仏=相対する種類、例えば対立する悪と善であっても、悪をそのまま善に転換(成仏)せしめることをいう。苦しみが楽しみに変わることも相対種の成仏。煩悩即菩提も同じ意。


 寒さに負けずに参詣された皆さまは、貴い功徳を積まれました。何故ならば、寒さに負けなかったことは、お心の中にある「寒いからどうしよう」との一歩引いた心を、「大丈夫、御本尊様の前に足を運べば暖かくなる」と一歩前に進めたことになるからです。マイナス1になるところをプラス1にしたのですから、一歩ではなく二歩前進したことになると思いますが、如何でしょうか。

 三月は日興上人の七百七十回目のお誕生日の月です。総本山で記念の法要が奉修されますので、皆で御登山をしてお祝いを申し上げようではありませんか。

 花粉症の方にはお気の毒ですが、春がそこまで来ております。元気に明るく朗らかに進んでまいりましょう。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺