日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成27年2月16日 日蓮大聖人御誕生会拝読御書

上野殿尼御前御返事

上野殿尼御前御返事(平成新編御書・七五一頁)
文永一一年  五三歳

上野殿尼御前御返事(御書・七五一頁)

鵞目一貫給び候ひ了んぬ。
それ、じきはいろをまし、ちからをつけ、いのちをのぶ。
ころもはさむさをふせぎ、あつさをさえ、はぢをかくす。
人にものをせする人は、人のいろをまし、ちからをそえ、いのちをつぐなり。
人のためによる火をともせば人のあかるきのみならず、我が身もあかし。
されば人のいろをませば我がいろまし、人の力をませば我がちからまさり、人のいのちをのぶれば、我がいのちののぶなり。
法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。
やまいある人は、法華経をくやうすれば身のやまいうすれ、いろまさり、ちからつき

【通解】

鵞目を一貫給わりました。
そもそも食物は色を増し、力をつけ、寿命を延ばすものです。
衣は寒さを防ぎ、暑さを遮り、恥を隠します。
人に食物を施す人は、人の色を増し、力を添え、命を継ぎます。
人のために、夜火を灯せば、人が明るいだけではなく、我が身も明るくなります。
ですから、人の色を増すことは、我が色を増すことであり、人の力を増すように力添えをすれば、我が力も勝り、人の寿命が延びるように手助けをすれば、我が寿命も延びます。
法華経は釈迦仏の御色を表すものです。世尊の御ちからを示すものです。如来の御命を明らかにするものです。
病のある人が、法華経を供養すれば、身の病が薄れ、色がまさり、力が付きます


〈語句の意味〉

○色(いろ・しき)=仏法では、目で見ることのできる全てのものを指す言葉です。色に対する言葉が「心」です。私たちにあてはめると、肉体が「色」、精神が「心」になります。ここで「じきはいろをまし」と仰せになる意は、私たちは心身の健康状態を、「顔色が良い、顔色が悪い」等というのと同じです。

○人のためによるひをともせば=宇宙船から見ると日本列島の上だけが明るい、といわれております。夜空を見上げても、なかなか星を見付けることができない時代に生きている私たちには、このお言葉を理解することが難しいですね。明治の初めまでは電気はありませんでした。大聖人様の時代の庶民の生活に、灯火を用いることはほとんどなかったようです。また、用いることがあっても、油は高価なものでした。また、火を点けるにしても、マッチやライターなどありませんから、簡単ではありません。そのようなことを思いますと、人のために尽くすことの貴さがより理解されるのではないでしょうか。

○法華経は・・『妙法曼陀羅供養事』に、「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども、三世諸仏の御師」(御 書・六八九頁)とありますように、全ての仏様の師が法華経の文の底に秘し沈められた三大秘法の「南無妙法蓮華経」です。釈迦仏も世尊も如来も仏様の呼び名です。その仏様の色を増し、仏様の力を増し、仏様の命が延びるもとに「南無妙法蓮華経」があることを御教示の御文です。

○やまいある人=この御文は南条時光殿のお母様へ与えられたものです。ここで、「病ある人」と述べられていることから、お母様ご本人か家族の中で病気の方がいたのではないかと思われます。そこで、このように仰せになります。私たちにとって、最も難しいことであり、過去・現在・未来の三世の願いである成仏が叶う南無妙法蓮華経です。それよりもはるかにハードルの低いと思われる、病気が良くなるように、との現世の願いが叶わないはずはありません、と励ましのお言葉です。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺