日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成27年3月13・15日 日蓮大聖人御書拝読

諸法実相抄
義浄房御書

諸法実相抄(平成新編御書六六八頁)
文永一〇年五月十七日  五二歳

諸法実相抄 (御書・六六八頁)

行学の二道をはげみ候べし 行学たへなば仏法はあるべからず 我もいたし人をも教化候へ 行学は信心よりをこるべく候 力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし

【現代語訳】

仏道修行と仏の教えを学ぶ教学の二つに励みなさい。修行のない仏法はありません。その修行も、自らのためだけの修行ではなく、周りの人を教え化導することが大切です。この行学は御信心よりおこるものです。さらに、力の限り仏の教えの一文字、あるいは、一つの言葉であっても語り伝えて行きなさい。

義浄房御書(平成新編御書六六九頁)
文永一〇年五月二八日  五二歳

義浄房御書 (御書・六六九頁)

日蓮云はく、一とは妙なり、心とは法なり、欲とは蓮なり、見とは華なり、仏とは経なり。此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり。一心に仏を見る、心を一にして仏を見る、一心を見れば仏なり。無作の三身の仏果を成就せん事は、恐らくは天台・伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり。相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり。法華経の御為に身をも捨て命をも惜しまざれと強盛に申せしは是なり。

【現代語訳】

日蓮はこの「一心欲見仏 不自惜身命」の経文について、次のように申しあげます。「一心欲見仏」の一とは妙です。同じように、心は法、欲は蓮、見は華、仏は経です。したがいまして、この妙法蓮華経の五時を世の中に広く弘めるには、自らの身命を惜しまない覚悟が大切です。一心に仏を見る、心を一つにして仏を見る、一心を見れば仏なり。本来の、つくろいの無い、法身・報身・応身の三身の仏果を得ることは、恐れ多いことではありますが、天台大師や伝教大師にも越え、竜樹菩薩や迦葉尊者よりも勝れております。くれぐれも用心をされ、心の師となるようなことはあっても、心を師としてはなりません、と仏は書き残しておられます。日蓮が常日頃から、法華経の御為に、身を捨てて、命を惜しんではなりません、と申し上げるのはこのことです。


《三身》

@法身(ほっしん)=仏が会得した真理の当体をいいます。絶対的真理を指し、人格的なものは有しません。

A報身(ほうしん)=絶対の真理を会得する智慧をいい、その智慧を会得した報いとしての仏身をいいます。これに自受用報身と他自用報身があります。他自用報身は、他のために法の利益や楽しみを得させるために出現する仏で、色相荘厳の仏をいいます。自受用報身は、一往は過去の因位の修行によって広大無辺の法楽を自ら受け用いる仏身をいいますが、再往文底の自受用報身は、もともと実在されていた仏ですから、本有無作の三身であり、実在の仏の事を指します。つまり、久遠元初の自受用法身如来、即ち日蓮大聖人の御事です。

B応身(おうじん)=衆生の機根・願いに応じ、救済のために出現される仏で、人格的なものを有します。


深く広い御法門を示されている御文だと拝します。凡愚な私どもが、軽々に云々することのできないものであると思います。ただ、少しでも大聖人様の仰せを我が心としたい、願うばかりです。

「一心に仏を見る」は、心の奥底から御本尊様に御題目を唱える、「心を一つにして仏を見る」は、純真な心で疑いの心を排除して御本尊様に御題目を唱える、と拝します。そのような信心であれば、その人の「一心を見れば仏」である、ということです。

難しい御文ではありますが、私たちの立場で拝すれば、大聖人様が、私たち末法の凡夫が仏果を得るために建立下さった、本門戒壇の大御本尊様の教えを弘めるためには、不自惜身命の修行が大切である、と教えて下さっている、と拝することがなによりも肝要かと思います。

佛乘寺の「アンズ」の花のつぼみがほころびはじめました。今年も綺麗な花をつけ、楽しませてくれると思います。生命の息吹を身近に感じることのできる季節を迎えました。また、別れと出会いの季節でもあります。さらに、亡き方を大切にすることを通して、自らの命を思う彼岸会の時でもあります。苦難多き時代ではありますが、大聖人様の仰せを固く信じ、自他ともに「即身成仏」の功徳を受けてまいりましょう。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺