日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成27年3月1日 永代経

時光殿御返事

時光殿御返事(平成新編御書一二四六頁)
弘安元年七月八日  五七歳

時光殿御返事 (御書一二四六頁)

 むぎのしろきこめ一駄、はじかみ送り給び了んぬ。
 こくぼんわうの太子あなりちと申す人は、家にましましゝ時は俗性は月氏国の本主、てんりん聖王のすゑ、師子けう王のまご、浄飯王のおひ、こくぼん王には太子なり。天下にいやしからざる上、家中には一日の間、一万二千人の人出入す。六千人はたからをかりき。六千人はかへりなす。かゝる富人にておはする上、天眼第一の人、法華経にては普明如来となるべきよし仏記し給ふ。
 これは過去の行はいかなる大善とたづぬるに、むかしれうしあり。山のけだものをとりてすぎけるが、又、ひえをつくり食とするほどに、飢えたる世なればものもなし。ただひえのはん一つありけるをくひければ、りだと申す辟支仏の聖人来たりて云はく、我七日が間食ふことなし。汝が食者えさせよとこわせ給ひしかば、きたなき俗のごきに入れてけがしはじめて候と申しければ、たゞえさせよ、今食せずば死ぬべしと云ふ。おそれながらまいらせつ。此の聖人まいり給ひしが、たゞひえ一つびをとりのこしてれうしにかへし給ひき。ひえへんじていのことなる。いのこ変じて金となる。金変じて死人となる。死人変じて又金人となる。指をぬいて売れば本のごとし。かくのごとく九十一劫長者と生まれ、今はあなりちと申して仏の御弟子なり。わづかのひえなれども、飢えたる国に智者の御いのちをつぐゆへに、めでたきほうをう。 (乃至)
 今、日蓮は聖人にはあらざれども、法華経に名をたてり。国主ににくまれて我が身をせく上、弟子かよう人をも、或はのり、或はうち、或は所領をとり、或はところをおふ。かゝる国主の内にある人々なれば、たとひ心ざしあるらん人々もとふ事なし。此の事事ふりぬ。なかにも今年は疫病と申し、飢渇と申し、とひくる人々もすくなし。たとひやまひなくとも飢えて死なん事うたがひなかるべきに、麦の御とぶらひ金にもすぎ、珠にもこえたり。彼のりだがひえは変じて金人となる。此の時光が麦、何ぞ変じて法華経の文字とならざらん。此の法華経の文字は釈迦仏となり給ひ、時光が故親父の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へ。かけり給へ。かへりて時光が身をおほひはぐくみ給へ。

 恐々謹言

  七月八日            日蓮 花押

上野殿御返事


〔現代語訳〕 『時光殿御返事』(弘安元年七月八日 五七歳 一二四六頁)

 米のように白い麦を一駄と生姜をお送りいただきました。

 斛飯王の太子である阿那律は、出家以前の身分は、インドの本主である転輪聖王の末裔にあたり、獅子?王の孫、浄飯王の甥です。天下に隠れなき高貴な身分である上、家の中は一日に、六千人がお金を借りるために、また、六千人がお金を返すために、合計一万二千人が出入りする大金持ちでした。そればかりか、釈尊のお弟子の中では、一切を見透すことのできる天眼第一の神通力を得、法華経では、普明如来になる、と仏の記べつを受けております。
 この阿那律が過去世において行った大善はどのようなものであったと言いますと、次のようなことがありました。昔、猟師がおり、山で狩りをしたり、畑で稗を作り食べ物としておりました。ある飢饉の年、最後に残った一椀の稗の飯を食べていたところ、利?という、独りで覚りを得た聖人が来て、「私は七日間何も食べておりません。貴男が食べているものを分けて下さい」と乞いましたので、「俗の者が用いる穢れた器に入れ、しかも食べかけになっております」と答えました。「それでも構わない、とにかく食べさせて下さい。そうでなければ死んでしまいます」と言われましたので、猟師は恐縮しながら差し上げました。聖人は食した後、稗の飯を一粒残してお椀を猟師に返しました。この一粒の稗が猪子に変わり、猪子が金に変わり、金が死人に変わり、死人が次には黄金の人となりました。この黄金の人の指を一本抜いて売れば、また指が生え、九十一劫もの長い長い間、なに不自由のない長者として生まれ変わる功徳を受け、今の世には阿那律として仏様のお弟子になる、という大功徳を受けたのです。たった一杯の稗の飯でしたが、飢饉の時に、自らの食べ物を差し上げて智者の御命を延ばしたことにより、前に述べたように、素晴らしい果報を得られたのです。  (中略)
 今の日蓮は聖人でありませんが、法華経を世に打ち立てております。それ故に、国主に憎まれ我が身が責められるばかりか、弟子や出入りをする人も、罵られたり、打たれたり、所領を没収されたり、領地から追放されたりします。このような国主がいるところで生活しておりますので、例え志はあっても、日蓮を訪ねる人々はおりません。この事は今に始まった事ではありません。中でも今年は、疫病が流行し、飢饉に責められ、訪ねて下さる人も少なく、例え疫病には罹らなくとも、飢え死にをするのでは、と日蓮は覚悟をしておりましたところの麦の御供養は、金にも過ぎ、宝珠よりも貴いものです。彼の利?が残した一粒の稗は黄金の人に変わりました。この度の時光の御供養である麦は、法華経の文字に変わり、法華経の文字は釈迦仏に変わります。そして時光の亡き父上の左右の翼となり、父上はその翼で霊山浄土に速やかに飛んで行かれることは疑いありません。さらに父上は、娑婆世界に帰ってこられ、その大きくて暖かい翼で、時光の身を覆い、育んで下さいます。恐れながら謹んで申し上げます。

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