日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成27年3月1日 広布唱題会拝読御書

義浄房御書

義浄房御書(平成新編御書六六九頁)
文応元年五月二八日 三九歳

義浄房御書 (御書六六九頁)

日蓮云はく、一とは妙なり、心とは法なり、欲とは蓮なり、見とは華なり、仏とは経なり。此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり。一心に仏を見る、心を一にして仏を見る、一心を見れば仏なり。無作の三身の仏果を成就せん事は、恐らくは天台・伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり。相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり。法華経の御為に身をも捨て命をも惜しまざれと強盛に申せしは是なり。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。


〔三身〕

自我偈の「一心欲見仏・不自惜身命」を御講義になった御文です。
御文の、「無作の三身」の無作は有作に対する言葉で、因縁によって作られたものではなく、本来の姿そのままのことをいいます。三身とは次ぎに挙げる三種の仏身の事です。

@法身(ほっしん)=仏が会得した真理の当体をいいます。絶対的真理を指し、人格的なものは有しません。

A報身(ほうしん)=絶対の真理を会得する智慧をいい、その智慧を会得した報いとしての仏身をいいます。これに自受用報身と他自用報身があります。他自用報身は、他のために法の利益や楽しみを得させるために出現する仏で、色相荘厳の仏をいいます。自受用報身は、一往は過去の因位の修行によって広大無辺の法楽を自ら受け用いる仏身をいいますが、再往文底の自受用報身は、もともと実在されていた仏ですから、本有無作の三身であり、実在の仏の事を指します。つまり、久遠元初の自受用法身如来、即ち日蓮大聖人の御事です。

B応身(おうじん)=衆生の機根・願いに応じ、救済のために出現される仏で、人格的なものを有します。

この教えを正しく伝えられたのが日興上人です。ですから、次のように遺誡をされるのです。
『日興遺誡置文』(一八八三頁)
 一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。
 一、五人の立義一々に先師の御弘通に違する事。
 一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。
日蓮正宗富士大石寺の立義は、大聖人様の教えに違っていない事、他方、五老僧は一々に大聖人様の教えから逸脱している事がここに明示されております。

そして、大聖人様の教えを世界中に弘めるためには「一心欲見仏・不自惜身命」の決意で進むことを遺誡されるのです。

今月の八日は日興上人の七七〇回目のお誕生日です。この節目に巡り会えた有り難さを思い、随力弘通の信心に励みましょう。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺