日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成27年4月29日 立宗会拝読御書

三大秘法稟承事

三大秘法稟承事(平成新編御書一五九四頁)
弘安五年四月八日 六一歳

三大秘法稟承事 (御書・一五九四頁)

題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。名体宗用教の五重玄の五字なり。


(通解)

南無妙法蓮華経の題目には二通りの意味があります。それはすでに周知のように正像と末法である。正法の時には、天親菩薩や竜樹菩薩は南無妙法蓮華経の題目を唱えましたが、それは自行のためだけに唱えたものです。像法の時にも、南岳大師や天台大師等も南無妙法蓮華経と唱えましたが、同じように自行のためであり、広く化他のためには説きませんでした。これらの方々の唱えた題目は理行の題目です。
末法に入って今、日蓮が唱える南無妙法蓮華経の題目は正像の時とは違い、自行と化他の両方に亘る南無妙法蓮華経です。これが名体宗用教の五重玄の五字です。


(語句の意味)

○天親菩薩=インドの僧侶。世親ともいう。生没年は伝えられていない。『倶舍論』を著した。

○竜樹菩薩=インドの僧侶。竜猛ともいわれる。『大智度論』や『中観論』など多くの著述がある。

○南岳=南岳大師のこと。中国南北朝時代の僧侶。天台大師の師。
 『当体義抄』には、
「南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲って弘通し給はざりしなり」(御書・七〇二頁)
とあり、南無妙法蓮華経について、末法に弘まるべきものであり、自らはその任ではない故に弘通しなかった、と天台等が妙法を弘めなかった理由を示されます。

○天台=天台大師のこと。中国南北朝時代の僧侶。中国天台宗の事実上の祖。当時中国で弘まっていた南三北七の十師の邪義を破折し、天台法華宗を弘めて国を安寧ならしめた。
『法華玄義』十巻、『法華文句』十巻、『摩訶止観』十巻等を著した。

○天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひ=『法華三昧懺儀』という天台大師が著したものに「一心奉請南無妙法蓮華経」とあります。また、伝教大師の『修善寺相伝私注』には、「臨終の時、南無妙法蓮華経と唱ふべきなり」とあります。これらのことから、天台等も「南無妙法蓮華経」と唱えていたことが明らかなのです。

○理行の題目=事行の題目に対する言葉。天台大師が自行のために唱えた題目のこと。

○自行化他=自身のための修行と他人を教化するための修行のこと。

○名体宗用教の五重玄=中国の天台大師が法華経を解釈する上で、『法華玄義』の中で説かれた法門で、五重玄義・五玄・五章ともいいます。
 玄義には、@釈名、A弁体、B明宗、C論用、D判教としてとかれております。
@の釈名は経文の題号(名)の解釈。
Aの弁体はその本体となるもの、実体を明らかにすること。弁の字義は、区別する、より分ける、明らかにする等の意。
Bの明宗は、本体・実体に具わる因果、特質等の一切を明らかにすること。
Cの論用は用き、作用を明らかにすること。
Dの判教は諸経の中における位置づけを決判すること。
 つまり、天台大師は、この五重玄を用いて妙法蓮華経が諸経の中で第一であり、その功徳が最も勝れたものである事を明かにしました。
 天台大師は、法華経如来神力品第二十一に、「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示頭説す」(新編法華経五一三頁)
と説かれ、上行菩薩様への「結要付嘱」された経文を五重玄の衣文としています。

 つまり、
@の釈名は、「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法」
Aの弁体は、「如来の一切の秘要の蔵」
Bの明宗は、「如来の一切の甚深の事」
Cの論用は、「如来の一切の自在の神力」
Dの判教は、「皆此の経に於いて宣示顕説す」
ということです。


☆日蓮大聖人様と天台の五重玄の違い
 
『観心本尊抄』で、
「是好良薬」とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり。(御書・六五八頁)
と仰せになり、法華経寿量品第十六の「是の良き良薬」が、日蓮大聖人様の説かれる南無妙法蓮華経であり、それは名体宗用教の五重玄のことである、と御教示です。
日寛上人は『当体義抄』の御文を、
@釈名
「至理(しり)は名無し。聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之れ有り。之れを名けて妙法蓮 華と為す」(御書・六九五頁)

A弁体
「此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し」(同)

B名宗
「之れを修行する者は仏因・仏果、同時に之れを得るなり」(同)

C論用
「聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果倶時に感得し給う」(同)
と配当されている。
D判教
これらのことから、大聖人様の仏法こそ唯一絶対の正法あることを判釈するのが日蓮正宗の仏法なのです。つまり、本門戒壇の大御本尊様のみが、五重玄を具足した御当体であり、大本尊様に南無妙法蓮華経と唱へることによって、即身成仏の功徳が受けられるのです。


【私たちの唱える御題目は自行化他に亘る御題目】

 御題目にも二種類あることがおわかりになると思います。二種類とは、「正法・像法時代に唱える題目」と「末法時代に唱える題目」です。また、「正像に唱へる題目」は「自行計り」・「化他の為には説かず」と仰せのように、主に自らの幸せを成仏を願うのみの題目です。一方、末法の御本仏が教えて下さった題目は、「自行化他に亘る南無妙法蓮華経」で、自らと周囲の方々の幸せを祈る修行があります。さらに、「前代に異なる」と仰せのように、文底独一本門の南無妙法蓮華経なのです。

 この南無妙法蓮華経と唱えることで、成仏の大功徳が受けられるのです。幸いに、私たちは、御本仏と寸分も違わない、南無妙法蓮華経を唱えることが叶っております。ゆえに、御本仏と同じ功徳を受けられます。

 この功徳を確信し、御法主日如上人のもとで、天台大師や伝教大師も唱へることの出来なかった南無妙法蓮華経の御題目を唱え、自らと周囲の人たち幸せを実現する折伏の修行に励みましょう。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺