日蓮大聖人御書拝読と御法話

平成27年7月5日 広布唱題会拝読御書

立正安国論

立正安国論(平成新編御書二四八頁)
文応元年七月一六日  三九歳

立正安国論 (御書二四八頁)

夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。

《現代語訳》

 そもそも、釈尊が過去世のことを明かされた経文には、謗法の者の命を絶つことが説かれております。しかし、インドにおいて釈尊が出世された後の経文では、謗法への布施を止めることが説かれております。そこで、世界中の全ての人々は、謗法の者に布施を止め、全ての人がこの正法に帰依すれば、どのような難も並びおこることもなく、どのような災いも競い来ることはありません。


解説

 「夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も」は、釈尊がインドに出現される以前、つまり過去世のことを説かれた教えの中に、仙予国王や有徳王が正法を護るうえで、謗法の者の命を断ったことを明らかにされたことを指しております。次の「能仁の以後の経説は則ち其の施を止む」の能仁は能忍とも書き、インドに出現された歴史上の釈尊のことです。したがって、印度に出世された釈尊以後は、謗法の者を誡め悪を止めるためには、命を奪うのではなく布施をせずに誤った教えを改めさせる、つまり折伏をする、ということです。また、「其の悪」とは、謗法の教えを説く者のことであり、「此の善」は日蓮大聖人様の説かれる文底の南無妙法蓮華経の法です。さらに申せば、この法を本門戒壇の大御本尊様として建立され、私たちに信受することを勧められるのです。「何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん」この部分は、大御本尊様の功徳を示されるところで、正しい信仰には国土の災難を防ぐ功徳があり、その国に住む私たちも安穏な日々が約束される、というお言葉です。

 『立正安国論』が表された意義深き七月十六日がまもなくです。七百五十五年前の文応元年に、大聖人様が国家諌暁を遊ばされたことを今日的な意義で拝すれば、全世界に向かって折伏の第一歩を踏み出されたものである、と私は拝します。その末法の御本仏のお振る舞いを、七百五十年後にあってもそのまま受け継ぎ実践しているのが、平成の法華講衆である私たちです。

 この御文にもありますように、武力で平和を実現しようという考えは仏教の教えではありません。戦争などの苦難は、誤った思想に因があります。誤った思想のもとには、低級な教えがあります。低級な教えを破折する折伏こそが、平和な社会実現の根本にあることを『立正安国論』の月に改めて心に留め、下半期を進んでまいりましょう。

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日蓮正宗向陽山佛乗寺