日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成27年9月1日永代経/日蓮正宗佛乗寺

妙一女御返事
〜 正しい『即身成仏』の信仰 〜

妙一女御返事:平成新編日蓮大聖人御書(一四九八頁)

弘安三年一〇月五日 五九歳

『妙一女御返事』 弘安三年一〇月五日 五九歳(御書・一四九八頁)

去ぬる七月中旬の比、真言法華の即身成仏の法門、大体註し進らせ候ひし。其の後は一定法華経の即身成仏を御用ひ候らん。さなく候ひては当世の人々の得意候、無得道の即身成仏なるべし。不審なり。先日書きて進らせ候ひし法門能く心を留めて御覧あるべし。其の上、即身成仏と申す法門は、世流布の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ。就中予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留むべきなり。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在々処々にして申し宣べたる法門繁多なりといへども、所詮は只此の一途なり。

【現代語訳】

先の七月十四日の手紙に、真言宗と法華宗との即身成仏の違いについて、くわしく書きました。お読みいただいた後は、これまで以上に、必ず即身成仏が叶う法華経の教えに励まれていることと存じます。そうでなければ、当世の他の人々と同じように、仏に成ることのできない無得道の、誤った即身成仏を信じていることになります。如何でしょうか。手紙に書きました、正しい即身成仏の法門を、深く心に留めて、あわせてこの度の手紙をお読み下さい。それに加えて、即身成仏という法門は、世に知られている学者達全員が、大切な教えであることを知って、それぞれの解釈をしておりますので、(より注意が必要です)。
特に日蓮の門弟は、万事を差し置いて、即身成仏のことを心に留めなくてはなりません。日蓮が、建長五年四月二十八日に立宗宣言をして、弘安三年に至るまでの二十七年の間、いたるところでさまざまな教えを説いてまいりましたが、つまるところは、凡夫の即身成仏のことのみを説いているのです。

《解説》

この御文の三ヶ月前の七月十四日にも妙一女はお手紙をいただいております。それが新編御書の一四八四頁にある『妙一女御返事』です。妙一女については、妙一尼と同人物、富木常忍の娘等の説があります。残念ながら詳しいことは分かっておりません。ただし、二通のお手紙をいただいたこと、しかもその内容が

「予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留むべきなり」

とありますように、大聖人様が教えて下さる御法門の中で、最も大切なことである、「即身成仏」について御教示を頂いていることから、妙一女自身の成仏と周りの人々の成仏を真剣に願い修行に励んでいたことが明らかです。
さて、

「其の後は一定法華経の即身成仏を御用い候らん」

と、七月の手紙を読んで、大聖人様が、末法のご本仏としてお説きになる、「文底の法華経」こそが私たちの即身成仏の教えであることを固く信じ、御信心に励まれておりますか、と大聖人様は仰せです。文末の「らん」は推量の助動詞です。このことから、大聖人様の「即身成仏」を信じることが難しいものである、と分かります。つまり、七月十四日のお手紙で、真言宗の「即身成仏」は仏の説かれたものではない、と詳しく経文を引かれ、現証をあげて述べられ、その最後で「法華経を信じなくては即身成仏ができません。信じることが遅くなって日蓮を恨んではなりませんよ」と誡められていることを受けてのお言葉です。
  このことから、妙一女の入信前の信仰は真言宗だったことが想像されます。同じように「即身成仏」を説きますから、迷うのはあたりまえです。そこで、大聖人様は再度お手紙で激励をされ、正しい「即身成仏」の信仰に導かれるのです。

 そのようなことから、

「心を留めて(この度の手紙を)御覧あるべし」

と述べられたのです。このあたりから、大聖人様御在世当時の人々の信仰がよく分かると思います。とくに「即身成仏」については、真言宗でも説いており、しかも、法華経にしか説かれていない「一念三千」の教えを、自らの教えのようにして純真な人々を惑わしている様子が明らかです。
  平成の時代にも、日蓮大聖人様が打ち立てられた、末法の南無妙法蓮華経の教えを巧みに利用し、純真な人々を惑わしている新興宗教があります。それが創価学会です。一度その誤った教えに身をおくと、正しい教えに戻ることが難しいのは、過去も現在も同じです。妙一女は幸いなことに、大聖人様から直々にお手紙をいただき、その後は正しい「即身成仏の」信仰に励むことができました。ここで思うことは、大聖人様ご自身が、二度も手紙を書かれて励まされるほどの大切な「即身成仏」のことですから、凡夫の私たちが、二回や三回で正しい御法門に導けることはない、ということです。大聖人様が二回であれば、私たちは二百回でも少ないかも知れません。比することは勿体ないことですが、それくらいの心構えがあれば、創価学会の人たちを導くことができると信じます。
 私たちは、有り難いことに大聖人様が、「予が門弟」とおおせくださる立場にあります。功徳だけは門弟として受け、教化は後では本当の功徳はありません。自行化他の信仰こそ本当の功徳を受ける修行です。諦めないで根気よく、さらには、明るく楽しく朗らかに進んでまいりましょう。稔りの秋です。私たちにも収穫の徳が備わります。 


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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