日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成27年10月1日永代経/日蓮正宗佛乗寺

勤行
『御義口伝』、『月水御書』、『当流行事抄』

「勤行」の字の意味

@勤=つとめる。いそしむ。はたらく。心力をつくす。反対語は( ? )
音符の菫(キン)は、筋(キン)の意。筋肉中の力を働かす意。また、ねばつち、粘土のこと。力を込めて粘土を塗りこむ様子から、つとめる意味を表す、とされる。

A菫(キン・スミレ)は、土と黄が合わさった文字で、黄色い粘土の意味。
行=おこなう(動詞)。おこない(名詞)。日本語特有の意味では、「行」一字で仏道修行のこと。また、仏に仕える者のつとめ。

以上のことから、「勤行」とは、身と心を尽くして仏道修行に励むことを意味していることがわかります。
この「勤行」は、日蓮正宗だけが行うものではなく、仏教では僧侶も信徒も区別なく行うべき修行です。

《 私たちの勤行 》

日蓮正宗の勤行は、法華経の『方便品第二』と『寿量品第十六』を読誦し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えます。

日蓮大聖人様は『御義口伝』で、

「朝々(ちょうちょう)仏と共に起き、夕々(せきせき)仏と共に臥(ふ)す」(御書・一七四九頁)

と示されております。朝目覚めたときから夜床に入るまで御本尊様と常に一緒である、と言うことです。朝夕の勤行を行うのも、常に御本尊様と一緒、と言うことを心に留める意義があると思います。

《 五座をするのは 》

総本山に伝えられる記録には、江戸時代の初期のころまでの丑寅勤行は、天壇・本堂・御影堂・客殿・墓所において、別々にお経を読み御題目を唱えていたことが記されております。後に客殿の一カ所で奉修することになったことから、五座の勤行が行われるようになり、今日もその形式を受け継いで執り行っているのです。このことから、初座から四座までのお経の後の引き題目は、唱題の意義が込められていることがわかります。

ちなみに、天壇(てんだん)とは諸天善神への供養をするところで、初座で東を向いてお経をあげるのは天壇でのお経を意味しております。

《 お題目は「正行」・お経は「助行」 》

○なぜ方便品と寿量品を読むのか

  大聖人様は、『月水御書』で、

「法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。(乃至)余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。寿量品・方便品を読み候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」(御書・三〇三頁)

(意訳)

法華経の二十八品は先に申し上げましたように何れも大切なものです。しかし、その中でも方便品と寿量品は特に勝れています。その他の品は枝や葉のようなものです。方便品と寿量品以外の二十六品は身に随う影のようなものであり、玉に財が備わるようなものです。寿量品と方便品を読めば、他の二十六品を読むことはなくともその功徳を自然に備えることになります。

と述べられております。この御文から、方便品と寿量品を読むのは、大聖人様が定められた修行です。このお経を読むことが「助行」なのです。

《「正行」と「助行」の関係》 

この「助行」と御題目を唱える「正行」について、総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』で

「当門所修の二行の中に、初めに助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す。譬えば灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し。故に助行と言うなり。(乃至)次に正行とは、三世諸仏の出世の本懐・法華経二十八品の最要・本門寿量の肝心・文底秘沈の大法・本地難思の境智冥合・久遠元初の自受用身の当体・事の一念三千・無作本有の南無妙法蓮華経是れなり。荊渓尊者の謂えること有り「正助合行して因んで大益を得」云々。行者応に知るべし、受け難きを受け値い難きに値う、曇華にも超え浮木にも勝れり。一生空しく過ごさば万劫必ず悔いん、身命を惜しまずして須く信行を励むべし。「円頂方袍にして懶惰懈怠の者は是れ我が弟子に非ず、即ち外道の弟子なり」と云々。慎しむべし慎しむべし、勤めよや勤めよや」

と教えて下さいます。
この中で、「灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し」とのお言葉で、お経を読む意味をわかりやすく教えて下さるものです。お経を読む助行を「灰汁」に、正行である唱題を「清水」に、また調味料の塩や酢を「助行」、主食となるお米や麺類を「正行」に例えられます。

  洗濯をするときに、水だけで洗うよりも灰汁(あく)を使うことにより汚れが良く落ちるようになる、また、塩や酢の味付けがあれば米や麺の味をひきたたせるようなものである、とのお言葉を心にいれて、勤行をすれば、より御本尊様の有り難さを実感することができ、唱題の楽しみが増します。

また、荊渓尊者と言う中国唐代の僧侶の「正助合行して因んで大益を得」との文を引用されます。正行と助行とが合わさった修行が因となって大きな利益を得ることができる、との教えも忘れてはなりません。

※私たちの素敵な修行

私たちのように、朝夕御本尊様の前に座って、手を合わせる修行に励んでいる者は他にはおりません。誰にもまねすることができない素敵な教えを持っているのが、日蓮正宗富士大石寺の法華講衆です。素晴らしい修行に励んでいるところには、素晴らしい仏様よりの功徳が受けられます。

十月は大聖人様のお会式や大御本尊様御建立などがあり、信心の上ではことに意義深き月です。季節もよき秋を迎えております。好機を逃すことなく、来世まで大きな徳を得られる御本尊様の信仰に励んでまいりましょう。

参考資料

○灰汁(あく)

灰汁は藁灰や木灰を水に浸した上で上澄みをすくった液である[1]。炭酸カリウムが主成分であるためアルカリ性で、洗剤、漂白剤、また食品のアク抜きなどとして用いる。鹿児島県ではこの灰汁を用いて「あくまき」や「つのまき」と呼ばれるちまきを作るほか、沖縄県では「はいじる」と呼んで沖縄そばの原料として用いられる。
灰汁は、灰を水のなかに入れてとる液で、洗濯や染め物など用途に応じてさまざまな作り方があった。 洗濯用には米俵を一俵分焼き、これを一斗(18リットル)樽に入れ、水をいっぱいに加え、よく混ぜてこの上澄みをたらいに移し、20倍くらいに薄めたものを使用した。 稲のわらを焼いて作った灰が一番質がよいとされ、次にすすきや萱で作った炭俵が使われた。(.wikipediaより)

○お酒と灰汁

(酒が酸っぱくなる問題)を解決する方法は2つ考えられた。1つは、酒精の生産と酢酸のそれを同時に進行させるかわりに、醪が成熟した段階で、灰汁をもって酸味を中和させる方法である。
鴻池の番頭が主人を恨んで逐電する折、火鉢の灰を醪桶に投げ込んでいったが、翌朝には見事に上々の澄酒(清酒)ができていた、という鴻池家の家伝も、つまりこの灰による酸の中和を暗示したものである。
そしてこの澄まし灰の法は、鴻池家を待つまでもなく、すでに考え出されていた日本酒の醸造法で、直し灰には普通椿や樫の灰が用いられていた。(小西酒造ホームページより)

○ 昔はアルカリ洗濯が基本

昔の日本でも洗濯には植物灰の灰汁(あく)が使われていました。江戸時代には、桶に水を満たして灰を入れ、底の栓口から灰汁がしたたるようになった「灰汁桶」が各戸に置かれていて、これを用いてたらいで手洗いしていたようです。現在でも、木造住宅の汚れ落としに「灰汁洗い」という名が残っています。これはアルカリ水溶液で木材の汚れを落とす方法で、今では専用の薬剤を使いますが昔は文字通り灰の上澄みを使っていました。
日本に石鹸が初めて入ってきたのは、織田・豊臣時代の天文12年 (1543)。ポルトガル船が種子島に漂着したときに、鉄砲や金平糖などとともに「シャボン」も持ち込まれたと言われています。しかしその製造法までは伝わらず、日本の一般庶民が石鹸を使えるようになったのはそれから300年後の明治時代から。それまで石鹸は主に下剤や腫れ物用軟膏などの薬として使われ、汚れ落としの主役はあくまで灰汁であったとのことです。(石鹸百科より)

○灰汁に関する言葉

「あくが強い」=個性的だが、ときには反感を買うような性質。

「あくが抜ける」=洗練されていやみがなくなり、さっぱりとした性質になること。


文責編集部 転載複写等禁止

日蓮正宗向陽山佛乗寺

ページのトップへ戻る