日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成28年2月7日日興上人御報恩御講/日蓮正宗佛乗寺

日興遺誡置文

日興遺誡置文:日蓮大聖人御書(新編御書一八八三頁)

日興上人御述作 元弘三年一月一三日

日興遺誡置文  元弘三年一月一三日  (御書・一八八三頁)

☆ 夫以れば末法弘通の慧日は、極悪謗法の闇を照らし、久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払ふ。於戯仏法に値ふこと希にして、喩へを曇華の萼に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足らざる者か。
  爰に我等宿縁深厚なるに依って幸ひに此の経に遇ひ奉ることを得、随って後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。

 

一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。

一、五人の立義一々に先師の御弘通に違する事。

一、御抄何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有るべし、若し加様の悪侶出来せば親近すべからざる事。

一、偽書を造って御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得べき事。

一、謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀並びに外書歌道を好むべからざる事。

一、檀那の社参物詣でを禁ずべし、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや。返す返すも口惜しき次第なり。是全く己義に非ず、経文御抄等に任す云云。

一、器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣き、御抄以下の諸聖教を教学すべき事。

一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶ふべからざる事。

一、予が後代の徒衆等権実を弁へざるの間は、父母師匠の恩を振り捨て出離証道の為に本寺に詣で学文すべき事。

一、義道の落居無くして天台の学文すべからざる事。

☆一、当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事。

一、論議講説等を好み自余を交ゆべからざる事。

一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。

一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師たりと雖も、当如敬仏の道理に任せて信敬を致すべき事。

一、弘通の法師に於ては下輩たりと雖も、老僧の思ひを為すべき事。

一、下劣の者たりと雖も、我より智勝れたる者をば仰いで師匠とすべき事。

☆一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

☆一、衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

一、衣の墨、黒くすべからざる事。

一、直綴を著すべからざる事。

一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事。

一、謗法の供養を請くべからざる事。

一、刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す、但し出仕の時節は帯すべからざるか。若し其れ大衆等に於ては之を許すべきかの事。

一、若輩たりと雖も高位の檀那より末座に居くべからざる事。

一、先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首或は習学の仁に於ては、設ひ一旦の?犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事。

一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫すべき事。

 

 右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く。後代の学侶、敢へて疑惑を生ずること勿れ。此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず。仍って定むる所の条々件の如し。

 

   元弘三年癸酉正月十三日                        日興花押    

《拝読箇所の現代語訳》

☆ 日蓮大聖人様の御化導を拝察するに、末法に弘通された三大秘法の南無妙法蓮華経の教えは、日光が大地を照らすように、人々の命の奥底を明るく照らして輝かせるものです。久遠の昔に悟られた文底寿量の教えは、印度出現の釈尊が説かれた仮りの教えを吹き払うものです。

 よくよく考えてみますと、仏法に巡り会うことは希なことなのです。譬ば、三千年に一度咲く優曇華の華を見るようなものであり、一眼の亀が甲羅の入る穴の空いた大海を漂う木の切れ端を探し当てるのと同じです。この譬えもってしても、なお仏法に巡り会うことを譬えることはできません。

 ところが、幸いなことに私たちは過去世からの縁が深く厚いゆえに、日蓮大聖人様の仏法に巡り合うことができました。この宿縁を無にしないために、後世の人たちが守るべきことを箇条書きにして書き置きます。これはひたすら広宣流布達成を願うためです。

☆ 時の貫主であっても、大聖人様の仏法に相違して、自分勝手はことをいうのであればこれを用いてはならない。

☆ 多数意見であっても、大聖人様の仏法に相違するものであれば、貫主はこの意見を摧かなければならない。

《語句の意味》

○慧日=衆生の生命奥底に潜む闇を照らす仏様の智慧を、太陽に譬えた言葉。
○久遠寿量の妙風=久遠元初の御本仏の御覚りである南無妙法蓮華経を風に譬えた言葉。
○伽耶始成の権門=釈尊の説いた爾前権教の教えのこと。
○曇華=優曇華のこと。三千年に一度花を付けるといわれる植物。仏に会い難いことを譬えたもの。
○浮木の穴=一眼の亀の譬えのこと。これも仏に会い難いことを譬えたもの。
○宿縁深厚=宿縁は過去世の因縁。深厚は深く厚いこと。私たちは、大聖人様との過去世の因縁が深く厚いこと。○当門流=日蓮大聖人様―日興上人という教えの中に身を置く者たちのこと。
○御抄=御書のこと。日蓮大聖人様の書き残された御文。
○心肝に染め=深く心に刻むこと。心の奥底に入れて忘れないこと。
○極理=究極の理。ここでは大聖人様が仏として極められた仏法の理論、教えのこと。即ち南無妙法蓮華経のこと。

○師伝=師から直接伝え授かること。直受相伝・口伝・直伝等ともいう。
○台家=中国の天台大師が説かれた法門。
○貫主=総本山の御法主上人のこと。
○己義=自己の心による法義。大聖人様の教えに背くこと。
○衆義=大衆が議決した。多くの人々の意見、考え。
○摧=くだく、阻む等の意。

【日興上人のお心】

一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

には、「仏法」とあります。大聖人様が末法に御出現遊ばされた目的を拝しますと、「本門戒壇の大御本尊様」を建立されることにありました。ゆえに、「三大秘法の随一・本門戒壇大御本尊様」が大聖人様の「仏法」です。そこで、「本門戒壇の大御本尊様」をないがしろにする、御護りしないことが、「仏法に相違」することになります。将来、万が一にも「大御本尊様に相違」するような貫主が出たなら、皆で諫めなくてはならない、とのお言葉であると拝するのです。
そこで、総本山第六世日時上人がお書きになられたと伝えられる『大石記』を拝しますと、

「日興が老耄して念仏を唱えるようになったならば、日興を用いてはならない」

とあります。このように日興上人は日頃からお弟子に、「日興がもうろくして念仏を唱えるようなことがあったならば、日興の言うことを用いてはならない」と仰せられておりました。大御本尊様に南無妙法蓮華経と唱えることが大聖人様の仏法ですから、この『大石記』のお言葉は『遺誡置文』の御指南とピッタリと符合します。あくまでも大聖人様の仏法、すなわち「本門戒壇の大御本尊様」を根本とすることを「仏法に相違してはならない」とのお言葉で御指南くださっているのです。
それでは平成の現在、大聖人様の仏法の根本である大御本尊様をお守りしているのはどこの誰でしょうか、と考えるならば、答えは自ずから明らかでしょう。
御法主上人が大御本尊様をお守りくださっているのはまぎれもないことです。御法主上人の御指南のままに皆様方が大御本尊様を外護されているではありませんか。外の誰でもありません。この一点が肝心要です。どのようなことがあってもこれが一番なのです。
ところが、信心の眼が曇った者たちや、自らが中心になれない者たちはこの御文の意がわかりません。我田引水の解釈をして自己に都合の良いように判断をします。その悪しき例が池田創価学会であり顕正会(妙信講)です。
重要なことは日興上人のお心を拝する上からは、次の

一、衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

と合わせて拝することにつきます。これによって、正しい相伝の教えに身を置くことが出来ます。
私たちは幸いなことに、宿縁深厚な法華講衆として正信を貫いております。この過去世からの深い因縁を現世の修行によってさらに厚くして、未来世にゆるぎのない幸福境界を築くことを目指し進んでまいりましょう。


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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