日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成28年3月6日広布唱題会/日蓮正宗佛乗寺

四条金吾殿御返事
〜『此経難持』〜

四条金吾殿御返事:平成新編日蓮大聖人御書(七七五頁)

文永一二年三月六日 五四歳

『四条金吾殿御返事』 文永一二年三月六日 五四歳 (御書・七七五頁)

 「此経難持」の事、抑弁阿闍梨が申し候は、貴辺のかたらせ給ふ様に持たん者は「現世安穏後生善処」と承って、すでに去年より今日まで、かたの如く信心をいたし申し候処に、さにては無くして大難雨の如く来たり候と云云。まことにてや候らん、又弁公がいつはりにて候やらん。いかさまよきついでに不審をはらし奉らん。
  法華経の文に「難信難解」と説き玉ふは是なり。此の経をきゝうくる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども「憶持不忘」の人は希なるなり。受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値ふべしと心得て持つなり。「則為疾得無上仏道」は疑ひ無し。三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持つとは云ふなり。経に云はく「護持仏所嘱」といへり。
  天台大師の云はく「信力の故に受け念力の故に持つ」云云。又云はく「此の経は持ち難し、若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す、諸仏も亦然なり」云云。火にたきゞを加ふる時はさかんなり。大風吹けば求羅は倍増するなり。松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる。法華経の行者は火とぐらとの如し。薪と風とは大難の如し。法華経の行者は久遠長寿の如来なり。修行の枝をきられまげられん事疑ひなかるべし。此より後は「此経難持」の四字を暫時もわすれず案じ給ふべし。恐々。
  三月六日                           日蓮 花押

四条金吾殿

 今から七四二年前の文永一二年の今日、身延から鎌倉の四条金吾に与えられた御文です。四条金吾が、大聖人様が教えて下さった通りに信心をしているのに、大難が雨のように襲ってくる。本当にこの信心には功徳があるのだろうか、と愚癡をいっている、と弁阿闍梨日昭から聞き、法華経見宝塔品の「此経難事」を通して指導されたものです。

【通解】

 現世安穏」と言われるにも拘わらず少しも功徳がない、それどころが悪いことばかりおこる、と愚痴を言っていると聞きましたが本当でしょうか。それとも弁阿闍梨が偽っているのでしょうか、どちらにせよ、あなたの不信を晴らしてあげましょう。
 法華経法師品に「法華経は信じ難く理解し難い」と説かれます。これは、法華経を聞いたり受ける人は多いが、大きな難が起こっても、疑いなく持ち続ける人は少ないことを教えて下さる御文です。「受けることは簡単であり持ち続けることは難しい」、しかし、成仏の功徳を受ける秘訣は持つことにあります。ですから、難に遭うことを覚悟しなくてはなりません。そのような覚悟であれば、「速やかに即身成仏の功徳が受けられる」と法華経見宝塔品に説かれる如くになれます。全ての仏が大切にする南無妙法蓮華経を念ずることを、「持つ」といいます。持つことを勧持品には「仏から付嘱を受け南無妙法蓮華経を護持し弘通」を誓うことであると説かれます。
 天台大師は法華文句で「仏を信ずる故に受け、仏を念ずる故に持つ」と述べております。また、見宝塔品には「この経は持ち難いが、仮りに少しでも持つことがあれば我は歓喜する。諸仏もまた同じである」と説かれます。 火に薪を加えれば火は燃えさかります。風によって成長する求羅は、大風が吹けば大きくなります。法華経の行者は火と求羅のようなものです。薪と風は大難のようなものです。今世で法華経の行者と為り通すことは、久遠の仏の功徳を受けることができるのですから、それを妨げようと、修行の枝を切ったり折ったりする用きが現れるのです。そのように心得るならば、「この経は持ち難し」の経文の意味もよく分かることと思います。その上でこの文を一時も忘れてはなりません。


 私たちが、折伏をするのは自と他のためです。そこに「大難雨の如く」の現証があり、その現証が、明日の成仏につながることを銘記したいものです。
 桜の季節は、別れと出会いの季節であり、折伏の好機でもあります。この時を逃さず、大聖人のお使いをして、たくさんの徳を積んでまいりましょう。


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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