日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成28年4月18日御書学習座談会/日蓮正宗佛乗寺

曽谷殿御返事
〜『自体顕照』と『四仏知見』〜

曽谷殿御返事:平成新編日蓮大聖人御書(一〇三八頁)

建治二年八月二日 五五歳

『曽谷殿御返事』 建治二年八月二日 五五歳 ( 御書 一〇三八頁)

 夫法華経第一方便品に云はく「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云。釈に云はく「境淵無辺なる故に甚深と云ひ、智水測り難き故に無量と云ふ」と。抑此の経釈の心は仏になる道は豈境智の二法にあらずや。されば境と云ふは万法の体を云ひ、智と云ふは自体顕照の姿を云ふなり。而るに境の淵ほとりなくふかき時は、智慧の水ながるゝ事つゝがなし。此の境智合しぬれば即身成仏するなり。法華以前の経は、境智各別にして、而も権教方便なるが故に成仏せず。今法華経にして境智一如なる間、開示悟入の四仏知見をさとりて成仏するなり

【現代語訳】

 法華経一の巻方便品第二に次のように説かれております。「諸の仏の智慧は甚だ深く量ることができません」と。天台大師は法華文句で、この経文を次のように解釈されております。「法華経で説く境は、淵に満々と湛えられた水に譬えられるので、甚だ深い、といい、智慧の水は測ることができないゆえに、無量という」と。この経文と玄義の意は、成仏するためには境と、智の二つにある、と言うことです。境は一切法、全ての法の本体のことで、智は自体顕照の姿をいいます。
 したがいまして、境の淵が広大で深いときには、智慧の水が流れるにあたっても滞ることはないのです。この境と智が合致しますので即身成仏が叶うのです。法華経以前の経文では、境と智が別々であり、権教・方便という仮りの教えですから成仏はできません。今法華経を信ずる私たちは、境と智が一つですから、開示悟入の四仏知見を悟って仏に成ることができるのです。

※自体顕照=本体から照らし顕される、との意です。この御文を、私たちの立場から拝すれば、対境である御本尊様の前で手を合わせて、お題目を唱える姿が自体顕照の姿です。御本尊様の仏力と法力によって、私たちの信力と行力が照らし出されることです。それを知ることが智慧であると言えます。つまり、正しい体(御本尊様・境)に手を合わせることは、体と智慧(私たち衆生の)が一つになることで、私たちが仏様と一体となることです。ですから、正しい御本尊様に手を合わせることが大事なのです。

※開示悟入の四仏知見=仏知見とは仏様の智慧のことをいいます。法華経の方便品で、仏様がこの世の中にお出ましになるのは、私たちにこの四仏知見を教えるためである、と説かれております。
@開仏知見=開は、開発の義で、私たちの命に仏の生命が具わっていることを知らしめることです。
A示仏知見=仏の知見の徳を示すことをいいます。
B悟仏知見=仏の知見がすべての物事に通じ、差し障りのないことを悟らしめることです。
C入仏知見=仏の悟の大海に流入せしめることをいいます。


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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