日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成28年4月1日永代経/日蓮正宗佛乗寺

『法蓮抄』

〔私たちも「善知識」になれる追善供養の功徳〕

四月の御経日にあたり、願い出の永代供養、ならびに塔婆供養の御回向を申し上げました。皆さまが、時間と浄財を御供えし、御先祖をはじめお母様やお父様、さらにはご縁の方々のために精進されたことに、「有り難いことである」と手を合わせて御礼をおっしゃっております。亡き方が悦び感謝されている様子を、日蓮大聖人様は次のように述べられております。

過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、娑婆世界に向かっておがませ給ふらん。是こそ実の孝養にては候なれ(『法蓮抄』御書・八二〇頁)

― 亡くなられたお父様は、「法蓮は私の子どもではあるがそれ以上の存在である。仏に導いてくれる貴い方である。実に有り難いことではないか」と娑婆世界に残った子に向かって手を合わせて拝んでいる。これが真実の親孝行である―と。

 仏に導く人やその用きを善知識といいます。この善知識の導きによって私たちは仏道を成ずることが叶います。しかし、末法では善知識に巡り合うことが難しいと云われます。御書では、「成仏のためには。私たちの智慧など頼りにならない。善知識こそ大切である」(趣意・『三三蔵祈雨事』)と示されます。曽谷教信のお父様は、来世においてその善知識に巡り合うことができたのですから、嬉しさは人一倍であったことでしょう。子であっても子ではない仏様だ、と感謝し手を合わせる父親の姿を思い浮かべ、曽谷教信も嬉しかったことでしょう。

〔ここでお尋ねです― お母様やお父様から、手を合わせて拝んで頂いたことがありますか ―〕

 たとえば誕生日。

「お母さん誕生日おめでとう。これ誕生日のプレゼント。ダイヤモンドが安かったから」

「有り難う。母の日には金の延べ棒で、今日は素敵なダイヤモンド。お母さん嬉しいわ」

という親子の会話は毎年繰り返されたことですね。当然ながら、過去形ではなく現在進行形でもあります。

  お父様やお母様が、

「迷惑をかけるね、有り難う」

の言葉とともに、ベッドの上で両手を合わせるシーンは、テレビや映画でよく目にする親孝行な姿です。物語の上だけではなく、現実であり、皆さまも経験のあることでしょう。

  看護する御両親から感謝の言葉があったとき、

「こうして看病することができるのも、お母さんが私を産み育ててくれたから。だから御礼を云うのは私の方なんだから」

 この様な会話は、辛い闘病生活にあって一条の光ではないでしょうか。しかし、それも生あればこそで、お墓に入ってからでは叶いません。「いまさらに石に布団は着せられず」・「孝養したいときに親はなし」等の言葉がそのことを教えております。

〔親孝行は誰にでもできます〕

  親不孝であったと反省する子に対し、大聖人様は「心配はありません。親孝行はあなたが生きている間ずっとできます」と『法蓮抄』の中で教えて下さっているのです。現世のお父様やお母様に孝養を尽くし、さらに来世に生まれ変わった御両親にも親孝行のできる日蓮大聖人様の信仰であることがお分かりでしょう。

  同じく『法蓮抄』では次のように述べられます。

法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。所謂地獄の一人・餓鬼の一人乃至九界の一人を仏になせば、一切衆生皆仏になるべきことはり顕はる。譬へば竹の節を一つ破りぬれば余の節亦破るゝが如し。(『法蓮抄』御書・八一五頁)

― 法華経は、全ての人を仏にする秘術が説かれた経文です。地獄界の苦しみを受けている者を一人でも仏に仏にする、同じように餓鬼界を含む他の九界の一人でも仏にすることができたならば、全ての人が仏になることは道理の上から明らかです。このことは、竹の節を見ればよく分かります。つまり、竹の節の一箇所を破れば、残りの節もみな割れるのと同じです―

 このお言葉から、法華経の功徳は、一切衆生を一人残らず成仏させるものであることがわかります。この法華経の「秘術」を大聖人様は南無妙法蓮華経の御本尊様にして、私たちの首にかけて下さいました。それが次の御文です。

一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたまふ(『観心本尊抄』御書・六二二頁)

― 念三千の教えを知らない者には仏様が大慈悲を起こされて、南無妙法蓮華経の御本尊様として、私たち末法の凡夫の首に懸けて下さったのである―

〔日蓮大聖人様が見守って下さる〕 

 一念三千という仏様の最高のお悟を知らなくても、持つことで悟ことができるようにと、御本尊様として私たち凡夫の首にかけて下さっている、つまり、いつも御本尊様と一緒なのですから、これ以上安心で心強いことはありません。

 この大聖人様の御言葉を根本にして、南無妙法蓮華経と信心を励ますのですから、亡き方も生きている私たちも、共に仏となることができるのですから嬉しいことではありませんか。

 あちこちで引っ越し用の大小のトラックを目にします。作業の人たちが手際よく大きな荷物を運んでいる姿を見ると、新しい年度がはじまったことを実感します。新しい出会いの時です。この好機に、大聖人様の弟子檀那として、亡き方も遺された方も功徳を受ける教えがあることを伝えてまいりましょう。


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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