日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成28年5月8・13日日蓮大聖人御報恩御講/日蓮正宗佛乗寺

諸法実相抄

日蓮大聖人御書:『諸法実相抄』 (平成新編日蓮大聖人御書・六六六頁)

文永一〇年五月一〇日  五二歳

『諸法実相抄』 文永一〇年五月一〇日  五二歳(御書・六六六頁)

 いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや。経に云はく「我久遠より来是等の衆を教化す」とは是なり。末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし。(乃至)
行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし。

【現代語訳】

 どのようなことがあっても、この度は信心を強盛にして法華経の行者として信仰を貫き、日蓮の一門として退転なく信心に励みなさい。
日蓮と同じ心であればその人は地涌の菩薩と同じです。地涌の菩薩と同じであるということは、釈尊から久遠の昔に教化を受けた弟子である、ということです。法華経の涌出品には「私は久遠の昔よりこれらの衆生を導いてきました」と説かれるのはこのことです。
末法という時代において、妙法蓮華経の教えを弘めるものは、男性であっても女性であっても同じ地涌の菩薩です。何故ならば、地涌の菩薩でなければ唱えることのできない妙法蓮華経の題目だからです。
日蓮はただ一人、この南無妙法蓮華經の題目を唱へはじめ、二人・三人・百人と次第次第に題目を唱える人々が増えてまいりました。未来でも同じようにお題目を唱える人々が増えてゆくことは間違いがありません。まさに法華経の涌出品に、大地から無数の大菩薩方が出てこられる、と説かれたそのままの姿です。その上、広宣流布の時には、日本国中の人々がそろって南無妙法蓮華経と唱えるようになります。この広宣流布は、大地を的として矢を射れば、決して外れることがないのと同じで、必ず実現いたします。 (乃至)
 仏道修行と教学の二つの道に励みなさい。行と学が絶えるようなことがあったら、仏法は廃れてしまいます。自身が行うばかりではなく周囲の人にも教えて導きなさい。行と学は信心からおこるものです。力を尽くして、一言だけでも御本尊様のことを周りの人たちに語ってまいろうではありませんか。

○『諸法実相抄』について

 『諸法実相抄』は文永十年(一二七三年)五月十日、佐渡において認められ弟子の最蓮房に与えられたものです。大聖人様が五十二歳の時です。
 内容は、最蓮房が法華経方便品第二に説かれている「諸法実相」について、質問したことへのご返事です。内容は三段に分けて拝することができます。最初に、方便品に説かれる、「諸法実相乃至本末究竟等」の文について、@妙法蓮華経が根本の法であること。

Aこのことは、天台大師や伝教大師もご存じはあったが、説かれることはなかった。

Bただ日蓮大聖人様お一人のみが説き顕したものである。

と述べられております。
 次に、先に明らかにした大聖人様のお立場の上から、大聖人様に難を加えることの罪の大きさや、反対に大聖人様に御供養をしたり、弟子として折伏に励む功徳の大きさが述べられている。
 次に、本日拝読の箇所から以下は、大聖人様と同じ心、すなわち、広宣流布の達成を確信し、法華経の教えのままに修行に励むならば、必ず仏になることが叶うのだから、どのような苦難に遭遇しようとも、仏になる喜びが勝るのであるから辛いことはない、と仰せになり、私たち弟子檀那の信心を励ましてくださる御書です。

【語句の意】

○日蓮と同意=立正安国の精神を堅く堅持し、自他共に幸福になることを目標に進むこと。
○地涌の菩薩=法華経涌出品第十五において、釈尊が久遠の昔に仏になったことを明かすために大地より涌き出た大菩薩様のことです。その数は六万恒河沙といわれます。恒河沙は、インドのガンジス川の砂の数のこととで、その上に六万を付け、無量、無数、つまり数えることのできない多くの大菩薩が出現されたことを示しています。この無量の地涌の菩薩の唱導の師として、上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩がおり、その中の中心の御方が上行菩薩様です。さらに、法華経の神力品では、この上行菩薩様に末法での妙法蓮華経の弘通を託されました。
  このようにお経文に説かれるこれらのことから、大聖人様は末法に上行菩薩様の再誕としてご自身が出現した、と当抄で仰せになります。また、『三大秘法抄』では、

@この三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮確かに教主大覚世尊より口決せし相承なり(御書・一五九五頁)

とおおせです。

― 三大秘法の南無妙法蓮華経は、二千年前のさらにその前の久遠において、地涌の菩薩の上首として教主大覚世尊の口より確かに承ったことである ―

日蓮正宗ではさらにその一歩深いところにある日蓮大聖人様を拝する宗旨です。それは、『百六箇抄』に末法の凡夫に成仏の教えを説くお立場から、

A下種の法華経の教主の本迹、自受用身は本、上行日蓮は迹なり (御書・一六九五頁)

と仰せになり、末法に出現した上行菩薩様の再誕としての日蓮大聖人様の御身は迹仏(仮りの仏)であり、本仏(仏としての本地)は久遠元初の自受用報身如来様である、と明示されているからです。
総本山二十六世日寛上人は、『文底秘沈抄』において、

《外に現れた姿から見れば、上行菩薩様の再誕である日蓮大聖人様、内証の上から見れば、根本の仏様の自受用身の再誕です。日蓮大聖人様の本地は、自受用身であり、垂迹としてのお姿は上行菩薩様であり、末法に日蓮としてお姿を顕わされました》(趣意・『六巻抄』四十九頁)

と御教示です。

◆ポイント〈外用と内証〉

 外に現れた用きを〈外用〉といい、心の中で真理をお覚りになることを〈内証〉といいます。ただ、内証があってはじめて外用があることを押さえておいて下さい。この内証と外用について、大聖人様は『立正観抄』で、

B「天台大師は内証では妙法を覚られていたが、時代などのことから一念三千の法門として示された」(趣意・御書七七一頁)

と述べられ、内証の覚りである、妙法があってはじめて一念三千が顕われたことを示されております。
 この内証・外用・本地・垂迹という説明のしかたは、日蓮正宗だけがするものではありません。仏法の宗派全般で行われていることです。
『文底秘沈抄』には、天台大師や伝教大師にも外用・内相があることを示されております。

『御義口伝』 《地涌の菩薩の本地は久遠元初の自受用身・末法では日蓮大聖人様》(御書・一七六四頁)

C千草万木地涌の菩薩に非ずと云ふ事なし。されば地涌の菩薩を本地と云へり。本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり。此の菩薩は本法所持の人なり。本法とは南無妙法蓮華経なり。此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず。

恐れ多いことですが、理解を深める上で、現代語にしてみました。

― あらゆる草や木も地涌の菩薩です。ですから地涌の菩薩が根本であり、一切はそこから生じたのです。根本の本は、久遠元初からの利益であり、この利益は始めも終わりもないものです。根本の法を所持している菩薩は日蓮であり、根本の法は南無妙法蓮華経です。この南無妙法蓮華経は日蓮の所持するものであり、他の仏菩薩の所持ではありません ―

  お寺のハナミズキも若葉が繁り新緑が目にまぶしい季節になりました。お手植えの柚やミカン、またドングリの木にも花が咲き、甘い香りには、蝶やミツバチがせっせと通っています。実りの秋が今から楽しみです。
  私たちの下種によって、成仏の実をつける資格を得た方々が今年も大勢いらっしゃいます。植えた種に、水や肥料をやるのは、信心の先輩である私たち一人ひとりの役目です。お寺やお山にお誘いするのは、水や肥料をやるのと同じことです。丹精を込めて、育ててこそ頼もしい人材になります。育て成長せる「育成」は、行って共に成長する、「行成(いくせい)」です。家庭訪問や電話・メールなどでの声かけも立派なな化他行であり行成です。ともどもに成長してまいりましょう。ご精進をお祈りいたします。


文責編集部 転載複写等禁止

日蓮正宗向陽山佛乗寺

ページのトップへ戻る