日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成28年6月12・13日日蓮大聖人御報恩御講/日蓮正宗佛乗寺

題目功徳御書

日蓮大聖人御書:『題目功徳御書』(平成新編日蓮大聖人御書・一六七三頁)

『題目功徳御書』 (御書・一六七三頁)

功徳は先の功徳にたくらぶれば 前の功徳は爪上の土のごとし 法花経の題目の功徳は十方の土のごとし

先の功徳は一Hの水のごとし 題目の功徳は大海のごとし

先の功徳は瓦礫のごとし 題目の功徳は金銀のごとし

先の功徳は蛍火のごとし 題目の功徳は日月のごとしと申す経文なり

【通解】

(法華経)の功徳と爾前経の功徳とを比較すれば、爾前経の功徳は爪の上の土のようなもので、法華経の功徳は十方の土のようなものです。また爾前経の功徳はひとしずくの水のようであり、法華経の題目の功徳は大海のようなものです。爾前経の功徳は瓦礫のようなものであり、法華経の功徳は金銀のようなものです。爾前経の功徳は蛍の明かりのようなもので、法華経の題目の功徳は太陽や月の光のようなものである、という経文です。

【語句の意味】

○先の功徳=法華経以前の教えを修行して受けることのできる功徳のこと。

○爪上の土・十方の土=涅槃経に説かれる譬で、爪の上の土は、極めて少ないこと、希なこと。十方の土は、反対に極めて多い、無量であること。爪の上に乗る土は数粒でしかありません。大地の土は数えきれません。

○瓦礫(がりゃく)=瓦や小石のことで、黄金や宝石などと対比して、価値のないものの例として挙げられます。

【拝読の手引き】

  当抄の御真蹟は京都の本隆寺という日蓮宗の寺院にあります。残念なことに、前後の御文が失われており、何方に対して与えられたものか、いつお認めになったか、等のことはわかりません。ただ、南無妙法蓮華経の功徳、法華経の功徳の貴さはこのわずか四行の中に、十二分に示されております。

  御文の最後に「申す経文なり」とあり、いずれかのお経文からの引用であることが拝されます。一説では、法華経薬王菩薩本事品第二十三であると云われております。薬王菩薩本事品には、

「譬えば一切の川流、江河の諸水の中に、海これ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。諸の如来の所説の経の中に於て、最もこれ深大なり」

(すべての川の水の総量よりも、海の水が多いように、この法華経は、如来の説かれたどの経文よりも、功徳が深く大きい)

とあり、法華経こそが最高の教えであることが示されます。また、

「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」

(私〔釈尊〕が入滅した二千年以降の世界には法華経が広宣流布をして絶えることはない)

とあり、世界中が法華経の功徳によって潤う広宣流布の確信が説かれます。

さらに

「此の経は則ちこれ、閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」

(法華経は私たちにとって最大最高の良薬であり、どのような病も消滅して不老不死となる)

とあり、法華経を信仰する功徳が、広大無辺であることが説かれております。

  この法華経とは、文底独一本門の法華経です。三大秘法の南無妙法蓮華経です。ゆえに、本門戒壇の大御本尊様を唯一無二、絶対の御本尊様と信じて、御題目を唱えることが、法華経の功徳を受けることになります。

 当抄に示される法華経の功徳と爾前経の功徳の対比は次の四点です。

一  爾前経の功徳は、「爪の上の土」
   法華経の題目の功徳は、「十方の土」

二  爾前経の功徳は、「一滴の水」
   法華経の題目の功徳は、「大海」

三  爾前経の功徳は、「瓦礫」
   法華経の題目の功徳は、「金銀」

四  爾前経の功徳は、「蛍火」
   法華経の題目の功徳は「日月」

 最初に、爾前経の功徳は、「爪の上の土」と仰せになります。これは無に等しいものですから爾前の教えには功徳のないことを意味します。一方、「十方の土」は無量の意ですから、題目の功徳は計り知れないものである事を示されます。

 二番目の、「一Hの水」と「大海」の対比も同じです。爾前経にも一滴の功徳があるではないか、と心の曲がった人はいいそうですね。まさに屁理屈です。大海の水から見れば、一滴の水は無に等しいものです。確かに、物理的に言えば、一滴の水は存在するのですからゼロではないでしょう。しかし、ここでは物理的に仰せになるのではなく、信仰の上からの仰せです。

  三番目に示されることは、仮りに、爾前の教えに功徳がある、とするならば、その功徳は「瓦礫」である、と示されます。つまり、功徳と思っているものが、価値のないゴミのようなものであり、それにしがみついている人々への、注意喚起を促された御文である、と拝することができます。末法においては、法華経以外の教えはすべて誤った教えとなります。誤った教えを信仰して、功徳・ご利益があったように思っている人がおります。これは勘違いであり、このような勘違いが少なくないのが現代社会です。その功徳は、法華経の功徳である「金銀」から見れば、ゴミ(瓦礫)です。ゴミを有り難がり、なんの価値もないものを大事にしている人を見て、黙っておられますか? やがてその人の生命はゴミだらけになるのです。その人だけがゴミだらけになるならまだしも、周囲にもゴミは撒き散らされます。私たち自身にも悪い影響が出るのは火を見るよりも明らかです。そこで、爾前の教えでは幸せになれません、と折伏をするのは、自他ともの幸福のためであることがわかります

  最後の「蛍火」と「日月」の譬えからも、御本尊様に向かい奉り、南無妙法蓮華経と唱題を重ねる功徳の大きさを御教示です。

  日蓮正宗富士大石寺の信仰は、宗教の正邪を峻別し、財は財、ゴミはゴミと知ることのできる教えです。誤った信仰をしている人たちに、宗教には正邪があることを教え、正しい信仰である日蓮正宗に導き入れ、真の功徳を受けさせることで、自らも功徳を受けることができるのが、私たち日蓮大聖人様の信仰です。

  そこに「十方の土」のようなの無量の功徳を受けることができます。満々と水を湛えた「大海」のように、私たちの心も清浄な水に満たされ枯れることはありません。今生で積む徳はあたかも「金銀」のごときもので、来世に持って行くことのできる財物です。このことを固く信じて、大聖人様のお使いとして、折伏の修行に励むことは、「日月」のごとく、全人類の心の闇を照らすことになります。佛乘寺檀信徒は、世界中の人々の太陽であり月です。貴いではありませんか。

  しばらくは梅雨空が続きます。梅雨の恵で、田畑が潤いお米や野菜が美味しく生長することを思い、一人ひとりの生命の奥底にたまりがちな湿気を、唱題という新鮮な風を吹き込んで、爽やかな命で鬱陶しい梅雨の季節を乗り切ってまいりましょう。唱題には、心のカビも取り除く功徳も含まれます。スイカや桃の美味しい季節がまもなくです。楽しみに励みましょう。

以上


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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