日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成28年6月1日永代経/日蓮正宗佛乗寺

『如来の使』
〜『諸法実相・妙法蓮華経』〜

《如来の使》 〈如来とは仏様〉 

  先日、座談会をAさん宅で開催しました。Aさんは自宅でご家族の手厚い介護のもとで療養中です。Aさんは、入信以来、日蓮大聖人様の弟子として、正直に信仰をされておりました。御講は勿論のこと、教区で執り行われる「折伏推進会」にも毎月のように参加されておりました。この推進会は、広宣流布を目指す、日蓮正宗の僧侶と信徒が一同に会し、信仰の功徳や喜びを語り、互いに励ましあい、未来広布への思いを共有する場です。Aさんはこの場に、未入信の方を誘っておられました。何年か前には、その中のお一人が御授戒を受けることができ、文字どおり折伏推進の場とされたこともありました。この例からも、お元気なときの信仰がお分かりになると思います。

  私たち法華講衆には、信仰上の永遠の指針があります。それは、「自行化他」の実践です。佛乗寺で、御講や御経日、勉強会等の冒頭に拝読する『諸法実相抄』には、

一に、御本尊様への絶対の信仰

二に、その信を根本にした折伏の修行

三に、信仰を深くし、折伏を推し進める上で、仏法を学ぶことが肝心

と御教示であることは皆さまご承知のとおりです。

『四菩薩造立抄』(御書・一三七一頁)では、次のように御教示です。

  総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はゞ、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。

御意を通解いたしますと、

「日蓮の弟子と名乗って法華経の修行をする総ての人々は、日蓮と同じように修行に励みなさい。そうすれば、釈迦仏や多宝仏や、本仏の身を分けあらゆるところで活動される仏ばかりか、法華経の行者を守護することを誓っている十羅刹女もお守り下さいます」

となります。
  Aさんが、この「一信・二行・三学」のご信心に励んでいたことは、推進会のことでも明らかなように、皆が認めるところです。あらゆる御書で仰せ下さる、「御本尊様の御加護」は間違いない、とご本人も信じておられたことでしょう。
  ところが現在は、ご家族に介護を受けるような身です。僧侶として、住職として、どうしてAさんがこの様な状況になったのだろう、原因はどこにあるのだろう、あれほど一所懸命に信仰に励んでいたのに、どうして、と思うばかりでした。
  身近でAさんのご信心をご覧になっていたご家族であればなおさらのことでしょう。家庭訪問の時にも、「あれほど一所懸命だったのに何故だろう」と疑う気持ちがなかったとはいえません、と苦しい胸の内をお聞きしました。「無疑曰信(疑わないことを信というのです)」とありますから、疑わないで、ひたすら信じてお題目を唱えることが私たちの信仰です。だから、愚痴を言わないで、一緒に御題目を唱えましょう、とは申し上げたものの、やはり、「何故」なのです。
  そこで、さらに御書を拝してみますと、『諸法実相抄』に、

  実相と云ふは妙法蓮華経の異名なり。諸法は妙法蓮華経と云ふ事なり。

とあります。御意は、

「真実の相(ありのままの姿)と云うのは、妙法蓮華経の異名です。したがいまして、宇宙森羅万象ことごとくが妙法蓮華経である、ということです」

と。つまり、物質的な面ばかりか、精神的な面も含め、あらゆるものが妙法蓮華経であり、全ては妙法蓮華経の中に含まれる、という御教示です。
  ようするに、すべての出来事は妙法蓮華経であり、すべてが仏様の御事に通じる、と教えて下さる御文なのです。この御文を、私たちの信仰の上から拝すれば、全ての出来事には何らかの意味があり、世の中に無駄なことなど一つもない、ということです。それが「諸法の実相は妙法蓮華経である」と大聖人様が仰せ下さる御意の一分です。
  そこで、Aさんのことを考えると、お元気なときに、あれだけ信心に励まれ、今はご家族から介護を受けるようになったことに、大きな意味があるのではないか、と思い、御佛智を信じて読経・唱題の後、座談会となりました。座の中心に、車イスに乗ったAさんのお姿があります。話をすることもできず、自由に動くこともできないのに、何故かそのお姿が貴く感じられました。生活のほぼすべてをご家族に委ね、自身ではスプーンでジュースを飲むことぐらいしか出来ない、とわかっていても、存在そのものがとても貴く感じられたのは何故でしょうか。
  このAさんのお姿から、「如来の使」という法華経法師品第十に説かれるお経文が頭をよぎりました。そこには、

「我が滅度の後、能く竊に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり」(新編法華経・三二一頁)

とあります。
  意味は、

「私(釈尊)が入滅した後の世に、少しだけでも法華経のことを話す人は仏様のお使いです。仏様がお遣いとして派遣した人です。その人は仏様の教えを弘めます」

というものです。このことについて、大聖人様は、『曽谷二郎入道御報』で、

  法師品の如くんば、末代に法華を弘通せん者は如来の使ひなり。此の人を軽賤するの輩の罪は、教主釈尊を一中劫に蔑如するに過ぎたり等云云。 (御書・一五六三頁)

と示されております。御意は、

「法師品には、末法に法華経を弘める者は、仏様の使いであると説かれています。この使いを軽しめたり賤しんだりする者が受ける罪は、教主釈尊を一中刧という長い長い間、軽蔑や馬鹿にして受ける罪よりも、なお大きな罪を犯したことになります」

というものです。ここで大聖人様は、法華経の行者を蔑む罪の深さを例に挙げて、折伏をする人の功徳、仏様のお使いをする人の功徳の大きさを教えて下さっているのです。
  この教えを固く信じ、仏様のお使いとして精進を重ねたAさんは、血色もよく、穏やかなお顔、汚れのない純真無垢な瞳にも「功徳が宿っている」と感じられ、ここに如来の使、仏様のお使いがいらっしゃる、と思いました。
  Aさんのことを思い、一層御題目を唱えることができるようになったというご家族。佛乗寺で用意した折伏用のチラシを、これまでに一〇〇〇軒を超えるお宅に配付し、次は二〇〇〇軒を目標にしている、という決意もお聞きしました。二〇〇〇軒を超えるころには、きっと大きな変化がある、という確信もお聞きしました。私もそのように思います。二〇〇〇軒もの方々に、日蓮正宗の教え、末法の人々が成仏する教えを伝えているのですから、仏様からの御加護が現証として現れないわけがありません。介護を受ける身になって、さらに如来の使としてご家族を励ます姿です。
  私は座談会の最後に、次のようなことを申し上げました。
「今、Aさんは皆さまのお世話で命をたもっておられます。そのことに対する感謝のお心が、この穏やかなお顔になって現れ、澄んだ瞳で伝えているのではないでしょうか。言葉ではなく、命で語っているように感じます。これから先、何年続くかわからない道ですが、Aさんを『仏様』と思い、仏様にお仕えするような心持ちで過ごされるならば、ご家族全員がさらに大きな御本尊様のご利益を受けることが叶うと信じます」と。また「御書には、『仏様を大切にすることは、自らを大切にすることになります。それはあなた自身が仏だからです』と示されております。Aさんのことを仏様のように思い、大切にすることで、ご家族は大きな功徳を積む修行に励んでいる、との大聖人様の御言葉を忘れないようにいたしましょう」と。
  ここでお伝えしたAさんのことは、他人事ではありません。高齢化社会を迎え、今日は元気な私たちも、明日は要介護の身となるかもしれません。肉身の介護、という重い荷物を背負ったとき、辛く苦しいことばかりが続くように感じて、何故、どうして、と思うばかりで、解決の糸口を見出すのは容易ではありません。暗澹たる心のままに日をすごし、御題目を唱えればよい、とわかっていても唱えられないのが私たちです。そのような迷いや苦しみの中にある友に接したとき、「諸法実相・妙法蓮華経」のこと、「如来の使」のことを教えて差し上げようではありませんか。一言で十分です。一瞬でも、「諸法実相・妙法蓮華経」、「如来の使」を思い出すことができれば、ほんのわずか、一センチかも知れませんが、確実に成仏に向かって進んだことになります。「仏道」という道は険しく遠いものです。しかし、必ず仏の道を達成することが叶う、それが御本尊様の功徳です。何故と疑ったその後に、功徳を確信し、励まし合い、声を掛け合い、皆で苦を分けて合って、悩みを共有して、成仏の大功徳を受けてまいろうではありませんか。
『四条金吾殿御返事』に曰く

  苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。(九九一頁)

  まもなく梅雨です。気候はジメジメしていても、心にはモンゴル高原を吹き抜けるうな爽やかな風を招き入れ、日々進んでまいりましょう。

〈語句の意味〉

◇十羅刹=十羅刹女の略。法華経陀羅尼品第二十六に説かれます。鬼子母神の娘である十人のことをいいます。はじめ、この十人の女性は人の活動の源となる「精気」を吸い取る「鬼女」でしたが、仏様の御説法に接して、母の鬼子母神と共に法華経の行者を守護する善神となりました。母親の鬼子母神は、五〇〇人の子供がおり、その子を養うために多くの人間の子を捕らえて食べておりました。これをご覧になった釈尊が、鬼子母神の一番下の子を隠してしまいました。末の子がいなくなったことを知った鬼子母神は半狂乱になりながら探し回りましたが見つけることができずに、釈尊に助けを求めました。その時に釈尊が「多くの子がいても、たった一人いなくなっただけでこのように取り乱している。たった一人しかいない我が子を食べられてしまった親の気持ちはどのようなものであろうか」と諭したところ、それまでの悪業を悔い改めて、以後は法華経の行者を守護することを釈尊に誓い実践いたしました。因みに、十羅刹女の名前は次の通りです。
@ 藍婆(らんば)。A.毘藍婆(びらんば)。B.曲歯(こくし)。C.華歯(けし)。D.黒歯(こくし)。E多髪(たはつ)。F無厭足(むえんぞく)。G.持瓔珞(じようらく)。H.皇諦(こうだい)。I.奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうげ)。

以上


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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