日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成28年7月1日永代経/日蓮正宗佛乗寺

日蓮大聖人と『立正安国論』
〜大聖人様が御書の中で「立正安国論」に触れられた箇所〜

@『安国論御勘由来(あんこくろんごかんゆらい)』(新編御書三六七頁・文永五年四月五日)

 終に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年庚申七月十六日辰時、屋戸野入道に付し故最明寺入道殿に奏進し了んぬ。

A『宿屋入道許御状』(新編御書三七〇頁・文永五年八月二十一日)

  他国の為に此の国を破らるべきの由、勘文一通之を撰し、正元二年庚申七月十六日、御辺に付け奉りて故最明寺入道殿へ之を進覧す(安国論の名はないが、「正元二年庚申七月十六日」とあることから安国論のことを指す)

B『北条時宗への御状』(三七一頁・文永五年十月十一日)

  謹んで言上せしめ候。抑正月十八日西戎大蒙古国の牒状到来すと。日蓮先年諸経の要文を集め之を勘へたること立正安国論の如く少しも違はず普合しぬ。日蓮は聖人の一分に当たれり。未萌を知るが故なり。

C『平左衛門尉頼綱への御状』

D『極楽寺良観への御状』

C D (この二通は北条時宗宛と同じ内容)

E『一昨日御書』(四七六頁・文永八年九月十二日)

  就中日蓮生を此の土に得たり。豈吾が国を思はざらんや。仍って立正安国論を造りて故最明寺入道殿の御時、宿屋の入道を以て見参に入れ畢んぬ (乃至)仍って御存知の為、立正安国論一巻之を進覧す。勘へ載する所の文、九牛の一毛なり

F『開目抄』(七五二頁・文永九年)

  謗法の世をば守護神すてゝ去り、諸天まぼるべからず。かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし。還って大難に値ふべし。金光明経に云はく「善業を修する者は、日々に衰減す」等云云。悪国悪時これなり。具には、立正安国論にかんがへたるがごとし。

G『南部六郎三郎殿御返事』(六八二頁・文永十年八月三日)

  経文の如くならば日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり。其の上御勘気已前に其の由之を勘へ出だす、所謂立正安国論是なり。誰か之を疑はん

H『呵責謗法滅罪抄』(七一五頁・文永十年)

  去ぬる文応元年太歳庚申七月十六日宿屋の入道に付けて、故最明寺入道殿へ奉る所の勘文立正安国論には、法然が選択に付いて日本国の仏法を失ふ故に、天地瞋りをなし、自界叛逆難と他国侵逼難起こるべしと勘へたり。

I『顕立正意抄』(七四九頁・文永十一年十二月十五日)

  日蓮去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日、大地震を見て之を勘へ定めて書ける立正安国論に云はく (乃至) 又立正安国論に云はく「若し執心飜らず、亦曲意猶存せば早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん」等云云。今符号するを以て未来を案ずるに、日本国上下万人阿鼻大城に堕せんこと大地を的と為すが如し

J『法蓮抄』(八二二頁・建治元年四月)

  当に知るべし、是より大事なる事の一閻浮提の内に出現すべきなりと勘へて、立正安国論を造りて最明寺入道殿に奉る。彼の状に云はく取詮、此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり。

K『撰時抄』(八六七頁・建治元年六月五日)

  外典に云はく、未萠をしるを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみゃうあり。一つには去にし文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向かって云はく、禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ひなきならば、此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給ふべし。

L『阿仏房尼御前御返事』(九〇六頁・建治元年九月三日)

  然れども大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし。然る間、まづまづさしをく事あるなり。立正安国論の如し。いふといはざるとの重罪免れ難し。云ひて罪のまぬがるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく「慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり」等云云。

M『観心本尊得意抄』(九一五頁・建治元年十一月二十三日)

  一 北方の能化難じて云はく、爾前の経をば未顕真実と捨て乍ら、安国論には爾前の経を引き、文証とする事自語相違と。不審の事前々申せし如し。総じて一代聖教を大に分かって二と為す。一には大綱、二には網目なり。初めの大綱とは成仏得道の教なり。成仏の教とは法華経なり。次に網目とは法華己前の諸経なり。彼の諸経等は不成仏の教なり。成仏得道の文言、之を説くと雖も但名字のみ有って其の実義は法華に之有り。

N『種々御振舞御書』(一〇五五頁・建治二年)

  日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申に勘へたりし立正安国論すこしもたがわず符合しぬ。此の書は白楽天が楽府にも越へ、仏の未来記にもをとらず、末代の不思議なに事かこれにすぎん(乃至)日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して、此の御一門どしうちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し。

O『本尊問答抄』(一二八〇頁・弘安元年九月)

  仏法のため王法のため、諸経の要文を集めて一巻の書をつくる。仍って故最明寺入道殿に奉る。立正安国論と名づけき。其の書にくはしく申したれども愚人は知りがたし

P『竜泉寺申状』(一四〇〇頁・弘安二年十月)

  去ぬる文応年中一巻の書を上表す立正安国論と号す勘へ申す所皆以て符合せり。既に金口の未来記に同じ、宛も声と響きとの如し。外書に云はく「未萠を知るは聖人なり」と。内典に云はく「智人は起を知り蛇は自ら蛇を知る」云云。

Q『智妙房御返事』(一五二七頁・弘安三年十二月十八日)

  八幡大菩薩宅をやいてこそ天へはのぼり給ひぬらめ。日蓮がかんがへて候ひし立正安国論此なり

以上


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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