日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年2月1日永代経/日蓮正宗佛乗寺

『日女御前御返事』
〜「鬼も仏様になることが叶う御本尊様の功徳」〜

日女御前御返事:平成新編日蓮大聖人御書(一二三一頁)

弘安元年六月二五日  五七歳

『日女御前御返事』 (新編御書・一二三一頁)

陀羅尼品と申すは、二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説けり。二聖と申すは薬王と勇施となり。二天と申すは毘沙門と持国天となり。十羅刹女と申すは十人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。又十羅刹女の母あり、鬼子母神是なり。

【現代語訳】

法華経陀羅尼品二十六には、二聖と二天と十羅刹女が法華経の行者を守護することを説かれております。二聖と言いいますのは、薬王菩薩と勇施菩薩のことです。二天と言いますのは、毘沙門天王と持国天王のことです。十羅刹女と言いますのは、十人の女の大鬼神のことで、この世界のすべての鬼神の母です。又十羅刹女の母がおります。鬼子母神がその母です。

【語句の意味】

○日女御前=当抄を頂いた日女御前について詳しいことは伝えられておりません。ただ御文から、純真に信仰に励んでいたこと、学識が豊で経済的にも恵まれていたことが拝察されます。

○陀羅尼品=妙法蓮華経陀羅尼品二十六のこと。勇施菩薩と薬王菩薩の二菩薩、持国天王と毘沙門天王、鬼子母神・十羅刹女が仏の前で、「陀羅尼」をもって法華経の行者を守護することを誓ったと説かれております。陀羅尼とは梵語で、総てを持つ、能く持つ、悪を遮る等と訳され、病を治したり罪を滅したりする功徳を有する不思議な力であるとされております。

○二聖=薬王菩薩と勇施菩薩のこと。この二菩薩は、陀羅尼品で、法華経の行者を守護し魔を降伏させることを誓いました。

○二天=毘沙門天王(多聞天)と持国天王のこと。この他に、増長天王・広目天王がおり、四天王と称されます。御本尊様にも認めらており、仏法を護持する役目を担い、法華経の行者を守護することを誓っています。

○十羅刹女=十人の悪鬼の女人のことです。藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気の十人です。当抄にあるように鬼子母神の娘です。法華経以前の経文では、人の命を奪う悪鬼であると説かれておりましたが、法華経において善い鬼にかわり、法華経の行者を守ることを誓いました。

○鬼子母神=人の子を食する悪鬼でしたが、釈尊に帰依して善き鬼となりました。

☆《鬼も仏様になることが叶う御本尊様の功徳です》

 当抄から、本宗で行う節分会の豆まきで、「鬼は外」と呼ばわらない理由がお分かりのことと思います。経文には、「鬼子母神」に関して次のようなことが説かれております。

 「昔鬼子母神というたいそう恐ろしい鬼の女がおりました。その鬼女には一万人の子があり、中でも一番下の子であるビンガラを可愛がっておりました。鬼子母神の食べ物は人間の子で、毎日人間の子をさらっては食べておりました。人々は鬼女を恐れるあまりされるままでしたが、堪えかねて釈尊にありのままを申し上げました。人々の苦悩を聞いた釈尊は、鬼子母神の最も可愛がっている末の子のビンガラを隠してしまいました。ビンガラがいないことに気づいた鬼子母神は、狂ったように泣き叫びビンガラを探し回りましたが、いくら探しても見つけることはできませんでした。そこで鬼子母神は、思いあまって釈尊の所に行き、子供のことを尋ねましたところ、釈尊は次のように鬼子母神に言いました。「お前には一万人もの子供がいるではないか。それなのにたった一人の姿が見えないだけで、このように大騒ぎをして狂ったように探し回るのか。一人しか子供のない親も大勢いる。そんなことはお構いなしに、お前は子供をさらって食べているではないか。お前も子の親であるなら、子を殺された親の気持ちがわかるであろう」と。さらに続けて、「もしお前が私の教えを守り、今日からは、人の子をさらって食べることは絶対にしない、と誓うのであれば、ビンガラの居所を教えてあげよう」と。鬼子母神はこの時、自らのあやまちに気づき釈尊の弟子となり、「これからは心を入れ替えて釈尊の教えを守り、人間の子供たちを守ります」と誓ったのです。
(『鬼子母神経』趣意)

 鬼でも子を思う「菩薩の心」をもっているのですから、「鬼は外」と邪魔者にするのではなく、ともに仏様の、御本尊様の功徳を受けましょう、と願うのが私たち日蓮正宗の信仰です。ある方にお、この話をいたしましたら、その方は「福は内・鬼は内」ですね、と仰いました。仰るとおりです。

 また、この鬼子母神の話から、「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり」(本尊抄・六四七頁)の御文を思い浮かべた方もいらっしゃることでしょう。この御文は、私たちの命の中に貴い菩薩様の心があるのだ、と教えて下さるものです。さらには、仏様の心、仏界も私たちの心にあることを示されております。反対に、苦しみの心である地獄界や餓鬼界も私たちの心の中にあります。このことから、節分のころになりますと、多くの寺社で、「厄除けは○○大師」・「厄払いは○○神社」などで行っている『厄払い」などが無意味であることに気づきます。「災厄」や「厄難」は、自らの命の中にあるもの、心が原因となって外に現れたものですから、通り一遍の、表面だけのお祓いで解決などしません。ただ一つ、鬼も仏に変える一念三千十界互具の御本尊様の「仏力」と「法力」、御本尊様を絶対と信じてお題目を唱える私たちの信徒の「信力」と「行力」が揃ってはじめて「災厄」を「利益」にかえることが出来るのです。また、経文に説かれている、「鬼」のことを知れば、「鬼は外」という排除の心から、「鬼も内」という寛容の心に私たちの心も変われることを信じます。
  厳しい寒さの中にあっても、一日一日、日が延びていることに気づきます。春はまもなくです。胸を張って精進をしましょう。

 

以上


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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