日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年3月12日日蓮大聖人御報恩御講/日蓮正宗佛乗寺

春初御消息

日蓮大聖人御書:『春初御消息』(平成新編日蓮大聖人御書・一五八八頁)
弘安五年一月二十日 六一歳

『春初御消息』(御書・一五八八頁)

ははき殿かきて候事よろこびいりて候。

春の初の御悦び、木に花のさくがごとく、山に草の生ひ出づるがごとしと我も人も悦び入って候。

さては御送り物の日記、八木一俵・白塩一俵・十字三十枚・いも一俵給び候ひ了んぬ。

深山の中に白雪三日の間に庭は一丈につもり、谷はみねとなり、みねは天にはしかけたり。鳥鹿は庵室に入り、樵牧は山にさしいらず。衣はうすし食はたえたり。夜はかんく鳥にことならず。昼は里へいでんとおもふ心ひまなし。すでに読経のこえもたえ、観念の心もうすし。今生退転して未来三五を経ん事をなげき候ひつるところに、此の御とぶらひに命いきて又もや見参に入り候はんずらんとうれしく候。

過去の仏は凡夫にておはしまし候ひし時、五濁乱漫の世にかゝる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給ふぞとみえて候へば、法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑ひなし。故五郎殿も今は霊山浄土にまいりあはせ給ひて、故殿に御かうべをなでられさせ給ふべしとおもひやり候へば涙かきあへられず。恐々謹言。

 

正月二十日                         日蓮花押

 

上野殿御返事

 

申す事恐れ入って候、返す返すははき殿、一々によみきかせまいらせ候へ。 

【現代語訳】

 伯耆殿が代筆されたことを喜ばしく思っております。

 新しい年を迎え祝いの言葉をかわすことができるのは、木に花が咲くように、山野の草木が芽吹くように、私にとっても周りの人々にとっても喜ばしいかぎりです。

 さて、御供養としてお送り下さった、米を一俵、白い塩を一俵、十字を三十枚、芋を一俵、書き付けの通り確かに拝受いたしました。

 山深い所に、三日の間降り続いた白雪は、庭には一丈もの高さに、また、谷底にも峰のように積もっております。さらに山々の峰に降り積もった雪は、天に架かる橋のようです。大雪の中、鳥や鹿は庵室に来ることはあっても、木こりや牧夫であっても山に入ることはできません。着ている衣は薄く、食べる物も絶えてしまいました。夜になれば雪山の寒苦鳥のように、寒さに震え、昼になったならば、暖かい里に出よう、と思うような心になっております。そのようなありさまですから、読経の声も絶えてしまい、仏を思う心もうすくなり、このままでは今生で退転し、未来世においては三千塵点劫や五百塵点劫もの長い間、地獄の苦しみを受けなければならない、と嘆いていたところです。ところが、この度の御供養によって、命が蘇り、またお目にかかることができると思い嬉しいかぎりです。

 過去に仏が凡夫であられた時、五濁によって乱れた世で、今の日蓮と同じように飢えている法華経の行者を養い仏に成られた、とあります。法華経の教えが真実のものであれば、貴男のこの度の供養の功徳により、亡くなられた父君は成仏することは疑いありません。故五郎殿も今は霊山浄土において父君と巡り会い、父君から御頭を撫でていただいている、と思うと、涙があふれ出てまいります。恐れならが謹んで申し上げます。

 

正月二十日                    日蓮花押

上野殿御返事

このように申すことは恐れ入ることですが、なんども伯耆殿から、ひとつひとつ読んで、聞かせてあげて下さい。

《拝読の手引き》

 今月拝読の御書は、弘安五年一月二十日に続き南条時光に与えられたものです。冒頭に「伯耆殿・・」、追伸にも「伯耆殿・・」とあることから、日興上人が御供養の品々のことなどを南条時光に代わって認められたこと、また、大聖人様からのお手紙を日興上人が読まれて、その内容を南条時光をはじめとする信徒に説き聞かしていたことが拝察されます。

 現在の日蓮正宗で行われている「御講」の原型が、大聖人様御在世の時にすでに出来上がっていたことが、当抄からもお分かりになると思います。

 南条時光が後に総本山大石寺を建立寄進する強信者に育ったのも、熱原の法華講衆が、南無妙法蓮華経の御題目を唱えないように、と脅迫され拷問を受けても、退転することなく信仰に生きることができたのも、このような場で大聖人様の仏法を学んだからだと思います。

 御法主日如上人が、「御講に参詣することが大切です」と常々御指南下さるのも、私たち日蓮正宗の信心活動の原点を忘れることのないように、自らの信仰を育む場が、「御講」である、その上で未来広布に向かって僧俗一体となって進むことが肝要である、と御指南下さる上からのものであると思います。

 さて、当抄では次の二点を拝することができます。一点目は、身延山中での大聖人様の厳しい生活です。木こりや牧夫さえも訪ねることができないほどに降り積もった雪の中で、食べ物も乏しく、寒さに責められて里に出たいと思われ、お経を唱えることもできず、仏のことを思う心もうすくなり、ついには退転を覚悟したと述べられるほどです。

 二つ目は、その厳しい大聖人様の生活を支えることになる、米や塩や十字などを御供養申し上げることで受ける功徳です。当抄では、亡くなられた父や弟を成仏に導く功徳が示されております。

 時光の父《南条兵衛七郎》は、当抄が認められた弘安五年(一二八二年)の十七年前、文永二年(一二六五年)に亡くなっております。この時、《南条七郎五郎》は母のお腹の中でした。その南条七郎五郎が亡くなったのは当抄が認められた二年前の弘安三年九月で、十六歳でした。産まれてくる子の顔を見ずに若くして亡くなった父と、父の顔を知らずに育ち、十六歳で夭折した子が、霊山浄土において再会し、父が子の頭を撫でている姿を思うと涙が止まらない、と大聖人様は仰せです。

 世間的な上からは、決して恵まれていたとはいえない南条家の父と子でした。しかし、遺された時光が、御本尊様への強い信仰と、大聖人様へ御供養によって、大きな功徳を積み、その功徳が亡き親や弟に回向されて、成仏に導くことができたのです。

 私たちにも臨終が必ずあります。この臨終を文字通り「生の終わり」と否定的にとらえるか、「新たな生の始まり」と肯定的にとらえるかで、今の生き方が代わってくるように思いますが如何でしょうか。

 南条時光は、来世・死後の世界を、大聖人様に教えていただき、来世・死後の世界を信じて御題目を唱えたのです。その結果、長寿の果報を得、総本山を建立寄進する大きな功徳を積むことができました。現在、国内ばかりか、世界各国から総本山をめざして登山参詣する法華講衆から、「信仰の鏡」として絶大なる尊敬を集めております。

 私たちは、この南条時光の信心を通して、日蓮大聖人様の仏法による最高最大の追善供養のありかたを、あらためて心に固く銘記したいものです。ご参詣の皆さまの益々のご精進をお祈りいたします。

 

以上


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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