日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年4月28日立宗会/日蓮正宗佛乗寺

当体義抄

当体義抄:平成新編日蓮大聖人御書(七〇二頁)

建治二年閏三月五日 五五歳

『当体義抄』 (御書・七〇二頁)

 問ふ、南岳・天台・伝教等の大師、法華経の一乗円宗の教法に依って弘通し給ふと雖も、未だ南無妙法蓮華経と唱へたまはず、如何。若し爾らば、此の大師等は未だ当体蓮華を知らず、又証得したまはずと云ふべけんや。

 答ふ、南岳大師は観音の化身、天台大師は薬王の化身なり云云。若し爾らば霊山に於て本門寿量の説を聞きし時は之を証得すと雖も、在生の時は妙法流布の時に非ず。故に妙法の名字を替へて止観と号し、一念三千・一心三観を修し給ひしなり。但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱ふる事をば、自行真実の内証と思し食されしなり。南岳大師の法華懺法に云はく「南無妙法蓮華経」文。天台大師云はく「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文。又云はく「稽首妙法蓮華経」云云。又「帰命妙法蓮華経」云云。伝教大師の最後臨終の十生願の記に云はく「南無妙法蓮華経」云云。

 問ふ、文証分明なり。何ぞ是くの如く弘通したまはざるや。

 答ふ、此に於て二意有り。一には時至らざるが故に、二には付嘱に非ざるが故なり。凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり。地涌千界の大士の付嘱なり。是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲って弘通し給はざりしなり。

【現代語訳】

 質問いたします。中国の南岳大師・天台大師や日本の伝教大師は、仏に成ることができるただ一つの法、欠けることのない円満な教えを説かれた法華経に基づいてそれぞれの立場で人々を導くために法を弘通されました。しかし、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えられておりません。どうしてでしょうか。もしそうであるならば、これらの大師は、一切衆生の本来の性質そのものが妙法蓮華経であることを知らなかったか、あるいは覚ることができなかった、というべきではありませんか。

 お答えいたします。南岳大師は観世音菩薩が身を変えて出現されたものであり、天台大師は薬王菩薩が身を変えて出現されたものです。したがって釈尊が法華経をお説きになられたインドの霊鷲山で、法華経本門寿量品のお説法をお聞きになった時には「当体蓮華」をお覚りになりましたが、天台大師がお生まれになり活躍された時代(像法時代)は、妙法蓮華経が弘まる時代ではありませんでした。そこで、妙法蓮華経の名前を替えて『止観』と名付けて、一念三千や一心三観を修行されたのです。

 ただし、これらの大師方も南無妙法蓮華経と唱えることは、自身が成仏するための修行であり、真実の教えであることがご自身のお心の中でのお覚りであるとお考えでした。その証拠に、南岳大師の『法華殲法』には、「南無妙法蓮華経」とあり、天台大師は「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」、また「稽首妙法蓮華経」、また「帰命妙法蓮華経」と述べられています。伝教大師の『修善寺決』にも「最後臨終の時南無妙法蓮華経と唱ふ」と記されております。

 質問いたします。お答え頂いたように、これらの大師方は「南無妙法蓮華経」と明らかに述べられているにもかかわらず、何故「南無妙法蓮華経」を弘通されなかったのでしょうか。

 お答えいたします。その理由として二点あげることができます。一つ目は時代が違っていたからです。二つ目は、その役目ではなかったからです。そもそも妙法蓮華経の五字は、末法に流布する大白法です。このことは、地から涌き出た大士の権能によるもので、法華経における付嘱の上からのことです。南岳大師や天台大師や伝教大師は、内心ではこのことを十分ご承知でしたが、末法の導師(日蓮大聖人様)に譲られる上から弘通をなされなかったのです。

【語句の意味】

○南岳=西暦五一五年〜五七七年。中国の僧侶。中国天台宗第三祖、南岳大師のこと。師の慧思の下で法華経を学び弘通をした。天台大師の師匠。大きな慈悲をもって、全ての人々を救うことを願いとしている観音菩薩の生まれ変わりである、とされる。日蓮大聖人様は、南岳大師の生まれ変わりが聖徳太子であることを、「聖徳太子は用明の御子なり南岳大師の後身なり」(御書・一〇九八頁)と述べられている。

○天台=西暦五三八年〜五九七年。中国の僧侶。中国天台宗第四祖、天台大師のこと。南岳のもとで修行に励み、法華経薬王菩薩本事品にいたって悟りを開いたことから、薬王菩薩の生まれ変わりであるとされている。インドから中国に伝わってきたあらゆる経文を分類・整理をして、法華経こそが仏の真実を説かれた教典であることを明らかにした。『法華文句』・『法華玄義』・『摩訶止観』の法華三大部をはじめ多くの尊い教えを残している。

○伝教=伝教大師最澄のこと。日本天台宗開祖。

○一乗円宗=一乘は一仏乗の略。ただ一つの成仏の教えである法華経を、乗り物に譬えた言葉。円宗は、完全で欠点のない教えである法華経のこと。

○当体蓮華=私たちを含め全ての生き物、心あるものの本来の性質が妙法蓮華であることを表す言葉。これに対して、当体蓮華を説明する上で、草花の蓮華を用いて説かれたことを譬喩蓮華という。

○証得=仏道修行によって真理を覚りその徳を身に受けること。

○化身=仏が人々を救うために、その身を変えて現れること。

○霊山=霊鷲山の略。古代インドのマカダ国の首都であった王舍城の東北にあった山。釈尊はここで法華経を説かれた。

○本門寿量=法華経本門十四品の中の寿量品第十六のこと。

○一念三千=私たちの一瞬の生命の中に、全宇宙のあらゆる物事や現象が具わっていること。この法門は天台大師が法華経に説き示 される最も大切な教えをを明らかにされたものである。つまり、私たちの命の中に、仏の命も地獄の命も具わっており、そのことを知る人が仏であり、そのことに迷う人が地獄であることとを教えている。日蓮大聖人様は御本仏のお立場から天台の立てた一念三千の法門をさらに深められて、南無妙法蓮華経の御本尊として建立され、御本尊様に向かってお題目を唱えることで、私たちの命に仏の命がある、と知ることができる、と教えて下さり、実践を通して成仏の境界を得る方法を明らかにされた。

○一心三観=天台宗で説く真理を観察して明らかにする修行方法。空仮中の三観を同時に感じ取ること。空間は一切の存在には実体がない、と観ずること。仮観は一切の存在は仮りのものであると観ずること。中観は空も仮も別々のものではないと観ずること。大聖人様は『立正観抄』で、「(天台の修行である)一心三観は、妙法の功徳を成就するために行う仮りのものである」と述べられている。(御書・七七一頁)

○大白法=南無妙法蓮華経のこと。釈尊の仏法は「白法」。釈尊の教えよりもさらに尊い教え、との意で「大白法」と呼ばれる。『撰時抄』には「彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の(乃至)広宣流布せさせ給ふべきなり」(御書・八七三 頁)と述べられ、釈尊の教えである白法が末法には効力を失い、大聖人様の教えである南無妙法蓮華経の大白法が弘まることを示されている。

○法華殲法=ここでは「南岳・・・」とあるが、天台大師が法華経の行者のために制定した修行の儀式や作法。

○稽首妙法蓮華経=稽首は首を傾けることで、ここでは「南無」のこと。ゆえに、「稽首妙法蓮華経」は南無妙法蓮華経のこと。

○地涌千界の大士=法華経従地涌出品第十五に説かれる菩薩のことで、大地より水が涌き出るように出現されたことからこの名前がある。仏法の世界観で、私たちの住む世界が千個集まって小世界、小世界が千個集まって中世界、中世界が千個集まったのが三千大世界となる。大士は、地涌の菩薩の上首(代表)である上行菩薩のこと。一歩深く拝すると、御本仏日蓮大聖人様のことである。

※現代(末法)を生きる私たちのためのお題目。

『三大秘法抄』

末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり(御書・一五九五頁)

「前代に異なる」と仰せのように、中国の南岳や、また日本の伝教等も南無妙法蓮華経とお題目を唱えておりましたが、それらは自身の成仏のためだけに唱える題目でした。末法の私たちが唱えるお題目は、「自らの修行と、他の人たちを教化し導く」ためのお題目です。私たちの唱えるお題目の素晴らしさがこのお言葉から明らかではありませんか。

 大聖人様が建長五年(一二五三年)四月二十八日に、太平洋から昇る太陽に向かって、はじめて南無妙法蓮華経と唱えられてから七百六十五回目を迎えた立宗宣言の良き日に、皆さまと共に、「自行化他の南無妙法蓮華経」を唱えることができましたことを、有り難く嬉しく存じます。尊く素晴らしいお題目をさらにさらに強盛に唱へ、成仏をめざし、広布を思い進んでまいりましょう。混沌とした世界情勢ではありますが、私たちのお題目の力で、清浄にすることができます。

 新緑の季節を迎えました。若葉を見るたびに、初心を忘れてはならない、と思いながらの毎日です。この季節、意外と寒暖の差があります。油断をすると風邪をひくこともあります。檀信徒の皆さまが、お元気で自行化他の唱題に励むことが叶いますよう御祈念申し上げます。 ご精進を。

 

以上


文責編集部 転載複写等禁止

日蓮正宗向陽山佛乗寺

ページのトップへ戻る