日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年5月 日蓮大聖人御報恩御講/日蓮正宗佛乗寺

千日尼御前御返事

日蓮大聖人御書:『千日尼御前御返事』(平成新編日蓮大聖人御書・一二五一頁)
弘安元年七月二八日 五七歳

『千日尼御前御返事』(御書・一二五一頁)

 父母の恩の中に慈父をば天に譬へ、悲母をば大地に譬へたり。いづれもわけがたし。其の中に悲母の大恩ことにほうじがたし。此れを報ぜんとをもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんとをもへば、現在をやしないて後生をたすけがたし。身をやしない魂をたすけず。内典の仏法に入りて五千七千余巻の小乗・大乗は、女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし。小乗は女人成仏一向に許されず。大乗経は或は成仏、或は往生を許したるやうなれども仏の仮言にて実事なし。但法華経計りこそ女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候へと見候ひしかば、悲母の恩を報ぜんために、此の経の題目を一切の女人に唱へさせんと願す。

〈末代の女性の手本となる千日尼の信心〉

 当抄は今から七三九年前の弘安元年(一二七八年)七月二十八日に、佐渡の千日尼に与えられたもので、御真筆は佐渡妙宣寺に伝えられております。この時大聖人様は五十七歳、身延に入られて五回目の夏(七月ですから秋といった方がよいかも知れませんね)です。

 当抄の冒頭で、一、千日尼から日蓮大聖人様への手紙を、夫の阿仏房から受け取ったこと。二、手紙には、女性には仏に成ることを妨げる『罪障』が多いとされているが、一体それはどのようなものであり、どうすれば罪障消滅が叶うのか、という質問が書かれていたこと。三、日蓮大聖人の教えでは、法華経のみが女性の幸せ・成仏を叶える信仰である。私(千日尼)はそのお言葉を信じて罪障消滅の信心に励んでまいります、との決意が記されていたことが述べられております。(趣意)

 ここから、千日尼の人となりを知ることができます。一つには、女性の成仏、女性の幸せを願う強い心の持ち主であること、それは千日尼自身のためだけではなく、周りの女性を含めての思いであることは論を俟ちません。二つには、「万事はたのみまいらせて候」(御書一二四八頁)とありますように、大聖人様の教え、つまり文底下種の仏法を疑うことなく南無妙法蓮華経と御題目を唱え前に進む、という固く強盛な信心の持ち主であることです。

 また、千日尼のお父様の十三回忌が八月十一日であり、その追善供養のために、「ぜに一貫もん」を御供養なさったことも記されております。この千日尼がお父様の来世を思う心が「切に候へば」であるから、「法華経十巻をおくりまいらせ候」と仰せになり、親孝行の信心に励む千日尼をお誉めくださっております。

〈現代語訳〉

 父や母の恩について申し上げれば、父の恩を大空の広さや高さに譬え、母の恩を大地のように厚く堅いことに譬えることが出来ます。父母の恩を分けて考えることは出来ませんが、中でも母から受けた大きな恩に報いることは難しいことです。この恩に応えるために、仏教以外の教えである、三墳・五典・孝経等を用いることで、現在の母を養うことは出来ても、来世を助けることは出来ません。このことは、肉体を養っても魂を助けることが出来ないのと同じです。また内典の仏教であっても、五千巻あるいは七千余巻もある小乗や大乗の教えでも、女人の成仏は説かれておりませんので、母の恩に報いることは出来ません。小乗仏教では、女人の成仏は全く許されておらず、大乗教でも、ある経文では、女人の成仏や往生を許しているように見えますが、それは仏様の仮りの言葉であって、女人が実際に成仏したのではありません。その中にあって、法華経のみに女人の成仏が説かれております。(日蓮は)法華経が母の恩に報いることのできる真実の経文であることを知りましたので、母の恩に報いるために、法華経の題目である南無妙法蓮華経を全ての女人に唱えさせようという願いを立てたのです。

〈語句の解説〉

○外典=仏教以外の教え。仏教の外にある典籍の意。儒教や孝経をさす。またキリスト教なども外典である。

○三墳・五典=三墳は中国古代の書籍の名で、伝説上の皇帝の、伏羲・神農・黄帝の三人の事蹟を記したものとされている。五典も中国古代の伝説上の皇帝である、少昊・??・高辛・唐・虞の五人の事蹟を記したものとされている。ただし、両方とも現存しない。

○孝経=中国の孔子の教えを弟子が書き残したもの。家族を中心とした道徳を説いている。大聖人様は、孔子などの教えは現世の孝養は教えるが、来世を救うことが出来ない、と述べられて、過去・現在・未来の三世を説くことで父母の来世を救うことが出来る法華経が勝れていることを、多くの御書で示されている。

○仮言=仮りの言葉。方便の言葉。真実の言葉に対するもの。

《「母の日」の贈り物にはお題目を》

  今月の十四日は「母の日」です。母の日の由来は諸説あるようです。五月の第二日曜となったのは今から百年ほど前のアメリカで祝日に制定された以降のようです。人種や国や時代は違っても、お母さんを思う気持ちは変わりません。感謝の心を行動に移すことはなかなか出来ないものですが、このような機会に実践をしましょう。

大聖人様は、『種々御振舞御書』で、

@日蓮貧道の身と生まれて、父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。 今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん。(御書・一〇六〇頁)

と述べられております。御文は、日蓮は貧しい身であるから、父母に十分な孝養をすることが出来ない。国の恩に報いる力もない。そこで、法華経に命を捧げて得ることの出来る功徳を父母に贈る、という意味です。

また、『刑部左衛門尉女房御返事』では、

A父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給ふべし (御書・ 一五〇六頁)

とあり、両親に感謝の心を表すためには、法華経を贈ることが大切である、と述べられております。ここで「法華経を贈る」と仰せです。今風にいえば「プレゼントをする」ことです。このプレゼントは相手によって違ってきます。お母様がお元気でお題目を唱えているのであれば、御本尊様の前で一緒にお題目を唱えることがお母様にとって最高のプレゼントになるといえます。総本山にお連れするのもプレゼントでしょう。

  信心をしていないお母様には、「一緒にお題目を唱えましょう」と折伏の言葉が最高の贈り物です。たとえ反対されようとも、「強いて法華経を説くべし」とのお言葉を胸に、贈り物に励みましょう。

  ではご両親がすでに他界されていたらどうしますか。ご安心下さい。来世へも贈り物が出来ます。それが大聖人様の信仰をしている功徳です。『草木成仏口決』には、

Bされば草木成仏は死人の成仏なり。(御書・五二三頁)

とあります。「草木成仏」つまり私たちがお塔婆を立てることで死者の成仏が叶う、とハッキリと示されております。これこそ最高にして最大の贈り物ではありませんか。

  五月の第二日曜に、御本尊様に参詣され、御報恩に励むことが母の日のプレゼントであることを申し上げ、五月の御講といたします。この後も、御法主日如上人の御指南のままに、進んでまいりましょう。遠路、またご多忙のおり、まことにご苦労様でした。

 

以上


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