日蓮大聖人御書

日蓮大聖人御書講義・法話集:平成29年5月1日永代経/日蓮正宗佛乗寺

法蓮抄

法蓮抄:平成新編日蓮大聖人御書(八二〇頁)

建治二年閏三月五日 五五歳

『法蓮抄』 (御書・八二〇頁)

 法蓮法師は毎朝口より金色の文宇を出現す。此の文字の数は五百十字なり。一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放つて大地をつきとをし、三悪道無間大城を照し、乃至東西南北、上方に向つては非想非非想へものぼり、いかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給ひて、彼の聖霊に語り給ふらん。我をば誰とか思食す。我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり。此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん手とならんとこそ、ねんごろに語らせ給ふらめ。其の時、過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、娑婆世界に向つておがませ給ふらん。是こそ実の孝養にては候なれ。

【現代語訳】

 法蓮法師は、毎朝(法華経の自我偈を読んでおりますので)口から金色の文字が出ております。その数は五百十字です。その一つ一つの文字が太陽に変わり、太陽が釈迦如来に変わり、釈迦如来の発する偉大な慈悲が光りとなり、その光りが大地を貫き、大地の下にある地獄・餓鬼・畜生の三悪道は勿論のこと、無間地獄にまで届き照らし出します。又横に向かっては東西南北、上に向かっては非想天や非非想天という天上界のさらにその上まで照らし、亡くなられた父上がどのような所にいようとも探しあてて下さるのです。そしてその前で、「貴男は私を誰だと思いますか。私は貴男の子息である法蓮が毎朝唱える法華経の自我偈の文字が変じたものです。私が貴男の眼や耳に、また足とも手ともなります」と懇切に仰るのです。その言葉を聞いた父上は非常に喜び「法蓮は自分の子ではあるが、それ以上に自分を成仏へ教え導く善知識である。子の教えに導かれて仏になれるとは、これ以上の悦びはない。嬉しく有り難いことである」と感謝し、娑婆世界にいる貴方に手を合わせて拝んでおられます。
このように、親を教え導き仏の境涯に到達せしむることは最大の孝養です。今の貴男の法華経の信仰こそ真実の親孝行であり、これに勝るものはありません。

【分身の仏様が私たちの手足に】

  「法蓮」とは曾谷教信の法名、つまり戒名です。その曾谷殿の父親が亡くなって十三回忌の法要を大聖人に願いでられ、種々の御供養と共に、「父が亡くなってから後は、毎朝追善のために自我偈を読誦しております」とご報告しましたところ、この御返事を頂きました。

 いつの世も親を思う子の心は変わりません。また、先立つ親も、現世に留め置く子供のことを思いながら来世に旅立ちます。ところが、亡き父母が来世どのようなところに生を受けているか、地獄界で苦しんでいるのではないだろうか、と案じても、亡き父母の苦しみを取り除く方法がわからずに迷っているのが私たち凡夫です。そこで日蓮大聖人様はこの法蓮抄で、正しい親孝行の方法を教えて下さるのです。

「法蓮法師は毎朝口より金色の文字を出現す。この文字は五百十字なり」

とあります。これは、自我偈の文字が五百十文字ある、ということです。お経本を出して数えてみて下さい。また、

「今の法華経の文字は皆生身の仏なり」 (御書・八百十九頁)

と拝読の部分の少し前で述べられております。勤行をする意味の一つがお分かりでしょう。

 ちなみに、方便品は題号の十文字と十如是を三回読むのを含めて三百七十文字、寿量品の長行は題号の十三文字を含めて一五二二文字です。したがいまして、今日の御経日で読んだ法華経の文字数は、方便品の三百七十字、寿量品の長行と自我偈を合わせて二〇三二文字、さらに自我偈を繰り返しましたから五一〇文字を足しますと、二九一二文字になります。二九一二人の仏様が亡き方々を訪ねて下さり、「あなたの目や耳に、あなたの手足に」と仰って下さるのですから嬉しいではありませんか。その上、「南無妙法蓮華経」と七文字のお題目を百遍以上唱えましたので七百人を合計いたしますと、御本仏の身を分けた四千もの分身の仏様がお出まし下さったことになります。また、

「子は子にあらず善知識なりとて、娑婆世界に向つておがませ給ふ」

とあります。これは、子供である曽谷教信の追善供養によって仏の境界を得た親が、今度は反対に娑婆世界に残った子供のことを思って手を合わせることですから、私たちの一人ひとりの周りに、四千人の仏様がおわしまして、目や耳に、また手足となって下さるのです。有り難いことではありませんか。

 大聖人様が、追善供養に励みなさい、亡くなった方を大切にしなさい、と仰せになる理由がここにあります。この仰せを素直に信じて、亡き方のことを思って読経唱題をするばかりか、本日の皆さまのように佛乗寺に参詣されてお塔婆を建立してお励みになることで、無量の功徳を受けることができます。無量の功徳とは、成仏の功徳です。本日が祥月命日にあたっている南条時光や当抄を与えられた曽谷教信を信心の手本として、追善供養を心がけ、御本尊様の御加護を信じ、一生成仏の境界を切り開いてまいりましょう。

以上


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日蓮正宗向陽山佛乗寺

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